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今後の活動についてとちょっとした身の上話

こんばんは。
明日からまた、新年度が始まろうとしていますね。

日が経つごとに、新型ウイルスが想像以上に
恐ろしいものだと知り、もう他人事では済まされないところまでやってきています。

ちゃんと手洗いうがいとマスク徹底しようね


さて、早くも本題に入りますが
しばらくの間、私の被写体活動について詳しくお伝えできておらず、すみませんでした。

結論から申し上げますと、被写体活動は今後も続けていく予定です。

ただ、やはり現在の情勢上4月末までは
撮影を縮小したいと考えております。

何度かお世話になっているさくらフォトさんの出演も5月以降、もしくは状況を見てそれより後になるかと思いますが、いつか必ず戻ってきますのでどうか待っていてください。

撮影のご依頼に関しては、また再開と同時に
詳しくお知らせしたいと思います。


今後の活動については以上です。
ここからは、興味(と時間に余裕)のある人だけ
読んでください。


____私は小学生の頃、卒業文集に
「将来は医者になりたい」と書いた。

結構、本気だった。
きっかけは小6の夏、祖父を亡くしたことだった。

特に闘病とか入院とかしていたわけでなく、
ある日突然。
昨日まで、ピンピン元気にしていたというのに。

幼い頃の記憶というのもあると思うが、その時
「人ってこんなにあっさり死んでしまうんだ」
という概念というか一種のトラウマというか、
それが脳内に刻まれてしまった。

祖父が倒れてから、病院に運ばれて病態はどうだとかいった情報は全部電話で親から聞かされた。

なんだか、すごく自分が無力に感じた。

たまにしか会えないけど、小さい頃から可愛がってもらった大切な家族の最後でさえも。
息を引き取った瞬間さえ、私は立ち会えなかった。

確実な医療ミスとかではないけれど、
もっと早く運ばれていたら。手術がなされていたら。
助かっていたかもしれない。

その時、そんな思いを少しでも無くしたいと思って、医者になりたいと漠然と考えていた。

そこから中学受験の志望校を少しレベルを上げて
地域一の進学校に変えたのだが、無念にも
落ちてしまった。
12歳にして「結果が全てだ」という現実を
突きつけられた。

まぁでもそこからでも夢を叶えることは決して不可能ではなかったのだが、あんまりそういう気にもなれず受かった中高一貫のエスカレーター校に
入学した。

入学してまず衝撃だったのは、周りの生徒が
ハンパなくお金持ちばっかりだということ。

私の家庭はそこまで富裕層でもないので、
とにかくこんなバカ高い学費払ってもらってることに申し訳なさしか感じていなかった。
私が第一志望に受かってさえいれば、そこまでの苦労をかけずに済んだのに。

その頃から、今の分は将来社会人になったら
親孝行しなきゃ。というもはや義務感のようなものにずっと追いかけられていた。

とにかく自分の生活とプラス親にもちゃんと恩返しできるくらい、安定した会社員になる。

その時から、将来の夢は「会社員」に変わった。

ちなみに私の父親も普通の会社員だが、仕事で
いつも帰りが遅かった。
平日はいつも母親と弟と3人。
だから休みの日くらいに、ちょっとコミュニケーションを交わした記憶くらいしかない。

でもそんな少しの合間に聞く仕事の話とか、
大人になるほど知っていく父親像に尊敬を払っていた。
だから私は、どんな偉人よりも自分の父親を
尊敬している。

就活は自分が行きたいと思ったところ以外(滑り止め的な?)は受けず、周りからは「頭おかしい」とか言われながら(ES出さなさすぎて)、
まぁそんなこんなだったが、なんとかご縁を頂くことができ、私は来月から無事「会社員」になる。

はじめての一人暮らし。
「社会人」という未知の世界。

実家を出る日に「今までありがとう、社会人になったら恩返しできるように頑張るね」と言ったら

「健康で、幸せでいてくれることが一番の親孝行だよ」と返され、一瞬イケメンに見えた。
(本当はトドに似たおっさん)

というわけで、明日から4月。

最近はずっと良いニュースより暗いニュースの方が多い世の中だけど、
私と同じで新しい生活が始まる人も
そうでない人も
明日くらいは上を向いて歩いてみよう。

桜でも見ながら帰ろうかな

そんな今月の月記でした


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