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連合赤軍事件研究NO. 8

永田から激怒され、逮捕時の取調べについて自己批判した能敬。すると、永田だけでなく、森からも追及を受けるようになった。追及は取調べだけでなく、逮捕時の対応まで広がった。

加藤君は、
「権力がアジトに踏み込んで来た時には逮捕を直感しましたが、体が動かず、メモを飲み込む余裕しかありませんでした」
と答えた。森君は、
「逮捕されることが分かっていながらこれを突破しなかったのは間違いだ」
と語気鋭く決めつけた。側に居た金子みちよさんが、
「でも、越谷(埼玉県)で森田彰さんが逮捕されガサ入れされた(71年4月3日)時、能敬君は漫画を読んでいたけれど、今度はメモを飲み込んでいる。その時からすれば大いに進歩した」
と擁護すると、森君は、
「そんなことは問題にならない。現在問われていることは、警察と闘い、包囲網を突破しようとすることなのだ」
といって一蹴した。

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第20章 榛名ベースでの新党結成
239ページ

と森からまったく相手にもされなかったが、弁護しようとしたのが金子だったことは後に彼女への批判につながることとなる。

尾崎もKに渡した銃を埋めた場所の地図の再現を求められ、森の追及を受け始めていた。
坂口は、小嶋がいつのころから森の追求を受けるようになったのか、はっきり覚えていないと書いている。しかし前回取り上げた小嶋の発言の揚げ足取りをしていたし、彼女の

「私、この間変わったんよ。明るくすることにしたの」

坂口 弘『続あさま山荘1972』
第22章 死者続出の総括
15ページ

という発言によって、完全に連合赤軍兵士としての資格がないと森は判断した。その根拠はこれらの発言が論理的ではなく感情論に支配されしやすいという彼女の性質を証明しているとのものであったが、あまりに身勝手な判定であった。
能敬と小嶋は総括を求められて以降も、態度が変化しなかった。これに森は『総括しようとする態度ではない』とし、ふたりを作業から外し、さらには食事も与えなくなる。このころになると、他の被指導部メンバーも彼らに対して冷ややかな視線をおくるようになっていた。
こうして革命左派メンバーを追求している最中でも、森は川島豪への批判を継続し、永田らに彼からの『分派』を要求した。さすがにすぐには永田らも合意はできなかったが、徐々に傾いていくことへとなる。

能敬への暴力的総括


12月26日深夜指導部会議の途中、永田はトイレにたった。外に出ると、小嶋が立っており、

「永田さん、いやになっちゃう。加藤が夜変なことをする」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
163ページ

と苦言を呈した。小嶋がなぜこんな発言をしたのか、真意はわからない。きっとそれまで永田が彼女の相談に親身に乗って来たので相談しようと思ったのであろう。しかし、このときの永田は違った。能敬と小嶋は恋人関係であったが、互いに総括を求められているこのときの状況で、このようなことをしたことに永田は激怒した。他のメンバーは永田が能敬と小嶋が接吻しているのを見たと証言したと書いている。どちらにせよ、永田は指導部会議に戻ると、

「加藤さんが夜変なことをすると小嶋さんがいったけれど、加藤さんの隣に寝た小嶋さんにも問題がある。神聖な『我々』の場をけがした

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
163ページ

と怒りをあらわにした。他の指導部のメンバーも、怒っていた。さらに永田は、能敬が川島豪の影響を大きく受けていたことを強調し、

「どうする?」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
163ページ

と森に決断を迫った。

皆はしばらく黙っていたが、そのうち、森氏が、握りこぶしをつくって殴る真似をしながら山田氏と何か話したあと、
「殴るか。総括要求されている加藤がそういうことを黙っているのだから、他にも隠していることがあるはずや。殴ってそれを聞き出そう」
といい、さらに、
「これまでの総括要求の限界を乗り越え、真に総括させるために殴る。殴ることは指導である。殴って気絶させ、気絶からさめた時には、新しい気持で共産主義化のことを聞き入れることができるはずや」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
164ページ

革命左派に創設者川島豪との分派を求めている森に言わせれば、加藤になんらかの制裁を下さないわけにはいかなかったのであろう。しかも、銃砲店襲撃事件や早岐・向山の処刑など革命左派は、大言壮語の赤軍派よりも実績を積んでいた。そんな革命左派を統合しようとしていた森としては、より過激な発言をしつつけなければならなかった。「殴って気絶」の文言は、森が高校時代の剣道部の試合中気絶して目覚めると、生まれ変わったかのような感触を覚えたからだといわれているが、とりあえず持ってきた基準に過ぎないであろう。
一方、永田ら革命左派は森の暴力による制裁の提言に驚いたが、処刑もおこなっていたので、そこまでの拒絶反応はなかったであろう。
こうして能敬への暴力は決まってしまった。この間に日付は変わり、12月27日となっていた。問題の加藤は指導部のもとへ連行され、すでに就寝していた被指導部メンバー(前澤・岩田・尾崎・山本夫妻・金子・加藤兄弟)もたたき起こされた。被指導部メンバーはなにが起こったのかよくわかっていなかったが、

森氏が、
「何か隠していることがあるだろう!それをいえ!」
とどなりながら加藤氏を殴り始めると、岩田氏、前澤氏、M・K氏(倫教)、N・K氏(三郎)らがドタドタと音をたててそのまわりを取り囲んだ。

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
167ページ



もうひとりの当事者・小嶋も引き出され、女性メンバーから叩かれていた。
このような暴行を受け、能敬は痴漢行為の余罪を告白し、小嶋は「能敬から強姦された」と告発した。ふたりは恋人関係であったはずだが、あまりの暴行に耐えきれなくなったのであろう。能敬の余罪の告白も同じであったと考えられる。
小嶋の告発を聞いた永田は川島による自身の性被害を話し、

「加藤を殴る?殴るべきだ」といった。
小嶋さんはさらに驚いた顔をした。小嶋さんをひっぱって加藤氏を殴っているところに行き、私は、加藤氏を追求していた人たちを押しのけ彼女を加藤氏の前に立たせ、
「殴りな」といった。しかし、小嶋さんは殴らなかった。私は小嶋さんを押しのけ、
「痴漢なんかした加藤を殴るべきだ」
といって、加藤氏の両頬を平手で十回ほどピタピタと殴った。そのあと、私は小嶋さんに、
「思いっきり殴れなくても、今みたいにして殴りな」
といって殴らせた。小嶋さんは、加藤氏に、
「どうしてそんなことしたん!」
といって十回ほど殴った。

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
168~169ページ

殴り終わったあと、小嶋が正座させられると、森は能敬にいつ小嶋と関係を持ったのか詰問する。小嶋の『強姦された』という言葉を鼻から信じていなかったのだ。能敬が丹沢ベースの整理にいったときと永田を迎えにいったときと自白させられると、永田はふたりに迎えにきてもらったとき遅れてきたのを思い出し、さらに怒った。指名手配されていた彼女にしてみれば当然であろう。
このとき小嶋が尿意を訴えたが、森は手洗いに行くことを許さず、そのままさせられた。また過去に違う相手から強姦されたことを話すが、相手にもされなかった。
加藤への追及はまだ継続されていた。最初は指導部メンバーが殴るのを見ていただけだった被指導部メンバーも、自主的に殴り始める。その中で、尾崎が、


「よくも俺のことを小ブル主義者といったな!」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
171ページ

と殴ったが、のちに問題となる。
永田は、能敬の弟たち倫教と三郎が能敬をまだ殴っていないことに気づき、彼らに、

「兄さんのためにも、自分のためにも殴りな」
といった。N・K氏(三郎)は、涙をボロボロ流しながら大きい声で、
「どうして総括しないんだよ!総括しろよ!兄さんにはおやじへの反発で闘っていたところがある。にいさんはよく屋根に登って一人で星を眺めていたが、そういう姿勢で闘ってはいけないんだよ!」
といって加藤氏を四~五回殴った。

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
171ページ

もうひとりの弟・倫教は固まってしまっていた。永田は、倫教の手を握り、

「殴ることがあなたのためにも、今後闘いぬいていくうえでも必要なのよ」
といい、それを繰り返した。(中略)
そのうち、かすれたような声で、
「総括しろよ」
といってさらに涙を流し、加藤氏を四~五回殴った。

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
171ページ

実の弟たちに、兄への暴行に参加させる―。常軌を逸した行動にしか見えないが、永田は

共産化のためには兄弟という感情を克服しなければならず、そのうえで改めて新しい兄弟関係ができるのだと信じていた。だから、私は、彼らに兄を殴るように懸命に説得したのである。そして、彼らが涙を流して殴った時、私はそれをのりこえて共産主義化のために頑張ったのだと感動しさえしたのである。

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
171~172ページ

と記している。実際は人間関係を破壊するものであった。
もうそろそろ日が昇るような時間になって、やっと森は能敬と小嶋への暴行を中止した。とくに森から説明があったわけではないが、能敬は柱に縛り付けられた。無論、逃亡を防止するためであった。

今回取りあげたのは、事件の始まりである。たしかに森が能敬への暴力の導入を提言したことには間違いないが、やりとりを見ていると永田も一定の役割を果たしていたと考えざるを得ない。
この日からメンバーが殴られ、緊縛されるという異様な状態が続くこととなる。

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