過去記事との対話機会を愉しむ
私の記事は初期の頃は、ハッシュタグをつけていなかった。
それはそういうものがあるということを知らなかったからだが、
これがある方が検索上有利であり、やはり読まれやすくなるらしい。
なので、ある方からこれを付けた方がいいとアドバイスをいただいて、
それを未設定だった50ほどの過去記事について、
設定し直しているところである。
ハッシュタグをつけるには、その記事の内容をちゃんと把握してその内容を要約しないと適切なキーワードが想起できない。
だからこそ、このハッシュタグ付け作業というのは、最初は面倒に思えていたのだが、一日あたり5記事ずつくらいに分けて、やっていけば、
過去記事との対話も愉しめるくらいの負荷にまで軽減できることに気づいた。
過去記事を読み返してみると、案外、それを書いていた時には気付かなかった自分の意図というものを改めて発見できたりもして、これが嬉しい驚きなのである。
当時の自分が意図していなかった意図を無意識にその記事に盛り込んでいたのだろうか。
よく、昔読んだ時には、その本の良さが良く分からなかったが、
何十年ぶりかに読んでみると、当初の印象とまるで違い、素晴らしい内容に感じられたという「味変」を体験を見聞きするのだが、
まさか、自分が書いた記事についても「味変」を体験するとは思わず、
それが嬉しい驚きたる所以なのだろう。
ともかく、ハッシュタグ付けという一見地味で面倒くさい作業を通じて、
思わぬ大発見ができたということは、なかなかに痛快なことである。
それにしてもまあ、
このnoteというプラットフォームに自分がここまで記事を投稿するとは
当初は思ってもみなかった。
それもやはり、ここに参加する方達がとても前向きで
他者を尊重する意識の高い方が多いからであろう。
だからこそ、こちらも安心して思い切り自己を表現する内容の記事を
投稿し続けることができたのだと思う。
そして、自分の本心について正直に吐露した記事というものは、
ある種、当初の自分では意図しなかった意図というものが
含まれる可能性にも気付くことができた。
それはまるで、タイムカプセルのように、あとから見返す価値のあるものだと思う。
私はこの記事投稿を気付きの備忘録として、
それからアウトプットを通じた自分の成長のために書いてきたのだが、
自分の中にはどこか「進歩史観」のようなものがあり、
「昔の記事よりも、今の記事の方が中身があるはず」
という思い込みがあったようだ。
だから、過去記事を読み返すということが無かったのだが、
過去の自分も、その時の素直な気持ちを告白している以上、
やはり読み返してみる価値はあったのだ。
私の記事を熱心に読んでくださる方からの親身なアドバイスのお陰で、
読み返すきっかけを得ることができたのだ。
このアドバイスをくださった方への感謝とともに、
このアドバイスを有難く頂いて実行できた自分を褒めてあげたい。