褒められたことを素直に受け取れなかったのは何故か?

以前は、折角褒めてもらったことも
「いやーそんなことないですよ」と
「受け取り拒否」をしていた。

これは非常に勿体ないことだし、
言葉のプレゼントをしてくださった方に対して
失礼なことだったなと反省している。

それにしても、なぜあのような態度を取り続けてきたのだろうか?
その理由を最近なんとなく考えていたのだが、ふと気づいたことがある。

それは、「約束を破ってがっかりさせたくないから」
ではないかということだ。

相手が褒めてくれたことを受け取ってしまったら、
相手が褒めてくれたとおりの人間として振る舞い続けることを
相手と約束しなければならない。

そんな風に考えていたようだ。

だから、自分が全く自覚もしていないような資質を褒められた場合は、

「そんな資質を発揮し続けることなどあなたに約束できない」

と思ってしまい、自己防衛本能的に
「そんなことないですよ!」と
受け取り拒否をしてしまったのだろう。

だが、これは自分の中の現状維持システムが抱かせた
変化を恐れる心理が原因なのだという事に気付いたのだ。

それは、原始時代から遺伝子に刻まれてきた、
今となってはナンセンスに作用しがちなプログラムであり、
これらをある程度程度解除していく必要がある。

相手が褒めてくれたような人物像でい続ける約束など
本来は求められてはいない。

にも拘らず、「約束をしなければ」と反射的に身構えてしまうのは、
これが生命の危機とは何の関係もない変化要因に対してさえも、
変化を過剰に警戒してしまうからであり、

時代遅れの現状維持システムによるアレルギー反応のようなものだろう。

なにより、折角心を込めて贈ってくださった
言葉や想いのプレゼントを受け取り拒否するのは、
嫌な感じである。

これは逆の立場で考えればそうだろう。
例えば、私が渾身の想いで伝えようとしたことを
受け取り拒否されたらさぞかしがっかりするだろう。

そう考えると話は早い。
まずは素直に有難くいただくこと。

そして、真心を込めて発してくれたメッセージと共に、
自分の中にある可能性を信じてみること。

自分が相手のイメージ通りの人物であるか否かという
ジャッジは不要だ。
現時点でのセルフイメージなどどうでもいい。

相手がそう思ってくださって発した言葉なら、
「もしかして、そういう資質はあるのかも」
と思ってみること。

最近、とても有難いことに、
真心の籠ったメッセージを頂く機会があるが、
そんな時に、「有難く素直に頂く」こと。

そして「そんな人物像になれるかもしれない」
と自分を信頼してみること。

現在はその練習をしているのだが、
1か月ほどやり続けてみると、
「確かに、あの方が言ってくれた感じかもしれない」
と思えてくるのだ。

これはあくまで主観的な判断でいい。
その方が下さった言葉や想いのプレゼントを
受け取る練習ができていればいいのだから。

この練習をやり続けることで、
気づけば本当にそういう人物になれるような気がする。

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