エゴにマルチタスクをさせてはならないことを実感。
私には行きつけの食堂がある。
そこは親子でやっていて、
アットホームな雰囲気で料理もとても美味しい。
息子さんの方が接客をしているが、
彼は気さくで心根がとてもやさしく、
彼と話していると、心が温かくなる。
なので彼とのコミュニケーションを目当てに来店する常連客が多い。
ただ、彼はマルチタスクが極端に苦手なようで、
配膳をしている時に、食事を終えた客がレジに向かうと、
半ばパニック状態になってしまう。
彼は料理はしないので、その仕事内容とは、
注文をとること、料理を持っていくこと、
そしてレジで会計をすること、主にその3つである。
一見誰にでもできる至極シンプルな作業なのだが、
彼にとっては、その一つ一つをこなすのが大変なようで、
特に会計時の計算は料理が2つ以上になったら、
計算を間違い易くなってしまう。
常連客は彼のそうした特性を心得ているので、
「ゆっくりでいいよ」と声をかけて待ったり、
食器の後片付けを手伝う人が多いし、私もそうしている。
そういう客と店との関係性ができているので、
店の雰囲気はアットホームでゆっくりとした時間が流れており、
居心地がいい。
そんな空間があるからこそ、彼は客と雑談するのが大好きであり、
私を含めた常連客もまた、彼と話すことをたのしみの一つとして
この店に来ている。
彼はもう、10年以上この店で働いているが、
最初の数年間は、作業中によくパニックに陥り、
喚いたりしていたそうだ。
このことを知ったのは実に最近のことではあるのだが、
お店の他のスタッフの方達のご苦労と優しさ、
それと彼自身の苦悩の大きさを感じてしまった。
そしてふと、
先日学んだ「エゴは水中メガネ」のことを思い出したのだ。
それは、
エゴの本来の役割と、
エゴが不調和を起こすときについてである。
「エゴの本来の役割とは、
「あるがままを認識すること」であるが、
「それ以上の役割」をエゴにやらせようとしたときに
エゴの反発をくらい、不調和状態となる」
という内容を思い出し、
これは、食堂の彼と全く同じではないかと気付いたのだ。
彼は諸事情により、マルチタスクが苦手であり、
それを要求されるとパニックに陥るのだが、
彼の本来の役割である、「接客で客を和ませる」をさせてあげることで、
客との関係も良好になり、彼自身も仕事に喜びを感じられるからだ。
世間一般の基準でみると、彼の仕事はあまりに単純作業過ぎるかもしれず、
お店の売り上げに繋がるバリューチェーンにおいて、彼の働きが生み出している付加価値は一見とても少ないかもしれない。
しかし、そのお店に私が行きたくなる理由は美味しい料理以外に、
彼の人柄に触れたいという部分がかなり大きいので、
実はお店の売り上げに彼は相当貢献しているのではないか。
そう考えれば、社会的には労働生産性が低い彼も、
彼本来の持ち味をちゃんと発揮できてさえいれば、
実は大切な価値を生み出せているということになると言えるだろう。
そして、世界はフラクタルな構造だと考えれば、
これは他人事ではなく、
自分のエゴとの付き合い方にあてはめて考えた方が良さそうだと思う。
随分昔の話ではあるが、
私は公務員時代、あまりの業務負荷に心身が悲鳴を上げ、
ドクターストップをくらって休職したことがあった。
あの時などはまさに、
エゴに対して過剰な役割を担わせていたことに他ならない。
業務の複雑さや労働時間に程度の差こそあれ、
彼がマルチタスクでパニックになったことと、
私の休職体験はまるで同じ構造ではないか。
そう考えると、私も食堂の彼に見習って、
自分自身の本来の役割の比率を増やして、
ハタをラクにしていきたいと思う。
マルチタスクが苦手な彼を労わるようでいて、
実は私は自分自身の労わり方を彼から教わっていたようだ。
まさに世界はフラクタル構造なのだと思う。