「価値観をデザインするということ」
価値観とはPCで言うところのOSに相当するもの。
そして、PCと同様、人間もOS(価値観)次第で情報処理の仕方が変化する。
最近このことを実感しています。
私たちは、仕事や趣味、人間関係など、日常生活の中のあらゆる場面で情報処理を行っています。
そしてそれらを上手く行って優位に立つため、多くの人は
スキルアップのための多大な努力、「自己啓発」を行っています。
本屋に行けば、仕事術や人間関係術など、自己啓発関連コーナーが充実していますが、このことは「上手に情報処理するニーズの高さ」を反映しているのではないでしょうか。
私も学生時代や社会人になってからの長期間、「上手く情報処理できない悩み」を解消するために、随分と自己啓発に投資をしてきましたが、今思うと、その対費用効果は低いものでした。
「能力を高めて評価を得たい」という発想に縛られていたので、自己啓発という手段が目的化してしまったせいだと思います。
そんな不毛さに嫌気がさし、
「能力を高めて評価を得たい」という価値観から
「自分が愉しむ」という価値観へのシフトを図るべく、
6年前、何の根拠も無しに
「アーティスト化宣言」を行いました。
「「時間価値を最大化する」ことをテーマとし、
そのための営みを自分にとってのアート活動とする」
という発想でしたが、 これが私にとっては、とても痛快な一打となりました。
私がまず、やってみたこと。
それは、時間価値を高めてくれる
「!」や「♡」や「😊」的な情報や刺激に対する感度を高めることでした。
すると、「カラーパス効果」により、
「!」や「♡」や「😊」的な情報や刺激が自ずと集まりやすくなっていき、自分の活性化傾向が把握できるようになり、
益々、感度が高められていく。
その結果、注意の向け方や解釈の仕方という
「情報処理そのもの」がガラリと変わったのでした。
そして、面白いことに、
これまで、全く興味がなかった事に強い関心が持てるようになったり、これまで全く理解できなかった事柄が理解できるようになったりしました。
自分としては、「自己流アート」を愉しんでいるだけなのに、
自己啓発以上の情報処理効果が得られるようになった。
おまけに、素晴らしい出会いにも次々と恵まれ、
学習の対費用効果も飛躍的に高まっていく。
価値観というOSを変えるだけで、後は愉しみながら連鎖的に様々な変化が起こせたのは、とても痛快なことだと思っています。
近年、生き辛さや息苦しさを感じている人が増えていっているような気がしますが、これまで自分が採用してきた価値観を見直し、自分で価値観をデザインすることも有効な一手だという事を伝えられたらと思っています。