自己肯定感と自己顕示欲は反比例することを実感。
周囲の凄い人に憧れ、「あんな風になりたい」と
そのために自己啓発教材に手を出しまくっていた30代の頃は、
今から思うとかなり恥ずかしいくらい、自己顕示欲にまみれていた。
あの時は、常に誰かと自分を比較し、「自分はまだまだだ」と
不足感ばかりを感じ、そのくせ周囲に認められたくて、
学んだ知識を隙あらばひけらかそうとしていた。
多分、あの頃の自分は、自分の価値を誰かと相対化することで
確かめようという意識に支配されていたのだと思う。
「自分は~のスキルを身に付けて、周囲よりも秀でていなければならない」
という強迫観念に取りつかれていたのだろう。
だから、自己啓発系の教材を買いまくり、ろくに消化せぬまま、
また次の新しい教材に手をだしていたりしたのだ。
誰かと比べて勝手に羨んだり或いは落ち込むということが多かったが、
その逆に、誰かと比べて勝手に勝ち誇ったりしていたものだ。
今思えば、本当に不毛である。
しかし、私の場合はとても幸運なことに、ある人たちとの出会いによって、
この自己顕示欲の支配から抜け出すことができたのだ。
それは誰かというと、「自分の合わせ鏡となってくれる人」である。
私は「他人は自分の合わせ鏡である」という説を採用しているのだが、
他者の美点も欠点もそう見える以上は、自分の姿を反映したものであると
認識するようにしている。
そして、これまでの所、その認識の御蔭で、
自分の悪習慣を上手く手放すことができているのだ。
なので、私にとってはこの「他人は自分の合わせ鏡である」という説は、
非常に再現性の高い有力なものとなっている。
そして、私からみた「自己顕示欲の強い人」というのは、
即ち私自身の姿であるため、
その人達を観て、自分が不快感や違和感を感じたのならば、
それは自分自身にも全く同じ要素がどこかにあるということを示している。
問題は、それをどうやって見つけるかであるが、
それは自分の脳の検索機能に任せればいい。
ChatGPTへの指示と同じく、
「今、自分はこの人達を観て不快感を感じているが、
それと同様の要素が自分の中にもあるはずなので、それを示して欲しい」
と脳に注文するのだ。
すると、「あなたは、〇年の〇月〇日頃の~の場面で似たようなことをしていますね」と回答を示してくれるのだ。
この答えは一見、「そんなことはない!」と受け入れがたいものだったりもするのだが、そこは肚から勇気を出して、一旦受け入れてみることで、
「なるほど!確かに!」と納得できることが多い。
そうやってみて、「今目の前で繰り広げられている、自己顕示欲のための言動は自分自身がやっていることでもある」と肚落ちできるのだ。
脳の検索とその検索結果に対する肚落ち。
つまり、頭(思考と検索)と肚(勇気と納得)の双方を使ってみて、
「あっ!そうか。あれは自分自身だ」
と認めることができるのである。
そうなれば、「あれはみっともないから止めよう」と決断できる。
なので、私は「合わせ鏡となってくれる人」の御蔭で、
自己顕示欲って持ちすぎはいけないと悟り、
徐々に手放していけるようになった(対自分比で)のだ。
そうなると不思議なもので、
元々自分に備わっている能力に関心が向いてくる。
私はこれまで色んな人から
「運がいい」とか「笑顔がいい」と言ってもらえたのだが、
その時は「優秀な人間だと思われたい」という自己顕示欲から、
「運」や「笑顔」といった「優劣に関係なさそうな資質」には
目を向けようとしなかった。
だが、人から優秀だと認められたいという自己顕示欲を
少しずつ手放すようになってからは、そこにできた空きスペースに、
「褒められた無自覚の資質」を受け入れる余地ができたのだ。
そして、
「あの人がああ言ってくれたのなら、それが自分の長所なのかもしれない」と認めることができるようになり、
その内、「確かに、これが自分の強みなんだ!」と
誇らしく思えてきたのだ。
そうやって、自己顕示欲を手放した代わりに、
これまで気づかなかった自分の長所と出会うことで、
自己肯定感を高めることができるようになれた。
私はこれまで、自己顕示欲を満たせれば、
自己肯定感も高められると思っていたが、
それが間違いであることを理解できた。
なぜなら、自己顕示欲を仮に満たせても、
あくまでも一時的な満足感に過ぎずすぐに欠乏状態に陥ってしまうからだ。
さらに厄介なことに、中毒性と禁断症状があり、
自分の期待通りにその欲求が満たされない場合は、
激しい欲求不満に陥ってしまうのだ。
だから、
「もっと自分は能力を高めて周囲にスゴイと思わせなければならない!」
という思い込みに囚われてしまう。
これは恐ろしい悪循環である。
だから、「自己顕示欲と自己肯定感は反比例する」
このことを知っていれば、自己顕示欲を下げれば自ずと自己肯定感が
高まり、さらに自己顕示欲を下げることができることも理解できるだろう。
自己顕示欲も自己肯定感もどちらも「心の食べ物」だと思う。
食べ物が無かったら、飢えてしまうので、
なんでもいいから食べ物であれば口にしたい。
心の状態が貧しければ、猶更ジャンクフードである自己顕示欲に
手を出してしまうだろう。
確かにそれで、心の飢餓状態はしのげるかもしれないが、
心はいつまでも栄養不足である。
だからこそ、頭と肚を上手く活かして、
自己肯定感という栄養豊かな食べ物を求めにいってほしい。