腕立て伏せを愉しむ
最近、腕立て伏せをするのが面白くなった。
それは、腕立て伏せ中に筋肉や骨を意識することに集中すれば、
思った以上に回数をこなせることが分かったからである。
腕立て伏せを日課としたのは、およそ半年前だが、
その時は「筋トレは将来のために大事だから」という理由で
半ば義務的に始めていたのだ。
この時点でのノルマは1セット30回。
これを一日3セットできればいいと思っていた。
ただ、この時の私の中では結構負担の大きい回数であり、
ノルマ意識で臨んでいたので、
やり始める時の心理的な抵抗感と
やっている最中の疲れ具合は大きかった。
1セット30回というノルマの回数を決めてやっていると、
開始から終了まで常に「あと~回」というカウントを脳内で行い、
その残り回数への意識に引っ張られて余計な体力を消耗していたようだ。
例えば、15回目に来た時に「やっと半分を過ぎた。でもあと15回もある」と考えたり、残り10回になったら「これだけきついのに後10回もやらねば」と思い、呼吸も荒くなったりと、ノルマ意識に囚われて腕立て伏せという運動自体に集中できていないことに気づいたのだ。
どうせ運動をするのなら、面白がってやった方がいいのではと発想を変え、腕立て伏せ中の身體の感覚を味わうことにフォーカスしようと決めた。
どのようにやったかというと、まずは呼吸に集中すること。
できるだけ回数のカウントに意識を向けないようにするために、
自然な呼吸のペースでどれだけの回数がこなせるかを把握してみたのだ。
計測してみたところ、吸気で4回、呼気で6回であるため、
一呼吸で10回できることが分かった。なのでいちいち回数をカウントせずとも、呼吸をペースにしてやっていけばいい。
そして、呼吸の一往復毎に意識する體の部位を変えていけば、今何セット目かも考えずに済む。
一呼吸目は腕部の筋肉や関節や骨を意識し、二呼吸目では胸部、三呼吸目では腹部、という風に、腕立て伏せという運動によって得られる刺激を體の各部位で味わうことに集中することにしたのだ。
このように、意識を呼吸と體の部位に向けることで、回数へのノルマ意識を切り離し、「腕立て伏せを通じた體の働き」を味わい愉しむように、変換したわけである。
そのようにしていたら面白いことに、これまでは30回が限界だと
思っていたのが、気づけばノルマを軽く達成し、
「あともう少しやっても大丈夫」という自信のようなものが湧いたのだ。
そこからは順調に回数が増え、
今では大台の100回を一度にこなせるようになったのである。
この経験は、「どこに注意を向けるかでパフォーマンスは大きく変わる」
という気づきを与えてくれた。
「腕立て伏せの上限は30回程度だ」と思い込んでいた時には、
自己予言成就的に30回近くになれば、
必然的に疲れが増幅するような感じがしていた。
これは変革を望まない「現状維持システム」の仕業ではないか。
そのように考え、回数への意識を弱めて、
「行為そのものを味わい愉しむ」ことに注意を向け直した所、
筋肉が疲労し始める時や、それに対する心理的な反応自体にも
興味が湧くようになったのだ。
特に、大台である100回に近づいてきた時に沸き起こる
「きつい、限界かも」という心の弱音に対しても、
「果たしてそうなのだろうか。もう少し回数をやってみて確認してみよう」という実験的な意識が作動したのは、我ながら興味深い体験であった。
実際この意識のお陰で110回を達成し、
「やはりその時の心の弱音は現状維持システムの言い訳に過ぎなかったようだ」と、「限界かも詐欺」を立証することに成功したのである。
この体験は、腕立て伏せ以外にも色々と応用が利く。
なぜなら、「きつそう」とか「面倒臭そう」とか「もう限界かも」という
心の声がパフォーマンスを制限し、活動中のエネルギーを浪費することが
すでに分かっているからだ。
そして、腕立て伏せ以外の活動でも、
「とりあえずやってみる」と「行為自体を味わう」ことに意識を向ける
だけで、「案ずるより産むが易し」を毎回実証することができている。
電化製品は、スイッチをオンにするときに最も電力を消費するというが、
これは「起電力」というのが最もエネルギーを要するからである。
物理で習った慣性の法則もそうだが、静止しているものは静止しつづけたいし、動いているものは動き続けたい。
心にも何となくの思い込みによって、
そうした起電力や慣性の法則のようなものが強く働いているようだが、
そうした心理的な抵抗は、物理法則とは本来無縁であるため、
そこを自分でデザインし直せばいい。
腕立て伏せの御蔭で、このことを実感することができた次第だが、
義務感から「行為そのものを味わい、愉しむ」に意識をデザインしなおしただけで、当初無理だと思っていた100回を案外短期間で突破することができた経験は、意識のデザインの威力を心から実感させてくれた。
やはり、何でも実験感覚でやってみること。
それが「向き合う」や「愉しむ」上でのコツではないかと改めて思う。