予習教材となってくれた人達への感謝

「感謝ゲーム」を開始して今日で10日目。
感謝の対象を毎日3つ探して報告するというルールだが、
もはや、ルーティンになっている。

これをやることの何がいいかというと、
感謝の対象に気付く力が日に日に高まってくることである。

これまでの記事でも時折述べてきたことだが、
「脳の検索能力は大したものだ」
ということをここでも実感している。

そんなわけで、これまで気づかなかった感謝の対象を
またまた発見することができたのだが、

今回は何かというと、

「自分の予習教材になってくれた人たち」である。

私には、採用しているモノの見方があって、
それは「他者は自分の合わせ鏡」というものである。

この見方もこれまでの記事に何度か登場しており、
私のモヤモヤの解消に非常に役立ってくれている。

ただこれはどちらかというと、
「復習教材」として活用することが多い。

つまり、モヤモヤを感じた不快な出来事が起こってから、

「不快には感じるが、そうはいっても、自分の合わせ鏡だから、
自分もどこかで同じことをやっているはず。それはどこだろうか?」

という風に、事後的に用いるツールなのだ。

ただ、学習は「予習と復習」がセットになってより浸透しやすくなるため、
学びを愉しみ、深めるためには、予習教材も必要だ。

そんなことを考えていた時に見つけたのが、
「予習教材になってくれた人たち」という感謝の対象である。

その中でも特に貢献してくれた予習教材が、
就職して最初に配属された時の直属の上司なのである。

この人は世間一般でイメージされがちな「ザ・公務員」の典型なのだが、
ともかく、自己保身に一生懸命で、責任回避能力がすこぶる高い人であった。

あと、「公務員=仕事ができなくてもクビにならない」という
特権をフル活用する人で、仕事のスキルアップ意欲などまるでみられず、「ホントにそれでいいのか!?」と新人ながらもその人の行く末を
本気で心配するほどであった。

その上司があまりに頼りなく無責任でそのくせスキあらば説教してくる
ので、当時はとても腹が立っていたのだが、

そのお陰で「自分は絶対にあんな無責任な公務員にはならない!」と誓い、
自分なりにスキルアップに取り組むことができたのだ。

今やあの時の上司の年齢を追い超してしまったのだが、
あの時の自分の誓いの御蔭で、自己流アートを編み出し、
それで活路を見出して愉しく生活できている。

それはひとえに、
「自分もあの人のように「公務員=安泰」という意識を持っていたら
将来絶対にまずいことになる」という将来への危機意識をもてたお陰だ。

当時の私はその上司と同様、仕事ができず、
できるだけラクをしたく隙あらば仕事から逃げようとしていたのだが、

その上司という「分かり易い自分の将来像」の御蔭で、
「このままだと将来ああなる確率が高いが、それは絶対に嫌だ!」と
感じさせてもらえたため、自分の怠惰な部分に歯止めをかける役割を果たしてくれたことはとても大きい。

そういう意味で、あの上司は大事な予習教材となってくれたのである。

そして、あの上司とあのタイミングで出会わなかったら、
今の私はいなかっただろう。

だからかけがえのない出会いだったのだと肚落ちし、
イラ立ちの対象から感謝の対象に見事に変換できたのである。

繰り返しにはなるが、学ぶ上では、
「予習と復習はセット」という意識は大事だとつくづく思う。

そして、

「自分にしっくりくる予習と復習のツールや教材」を見出していくことで、起こった出来事から効率的に学習を行い、気づきを抽出し、
ストレス要因を「愉しみ」や「希望」や「歯止め」に変換すること
ができると考えている。

これも、自分自身をご機嫌にし、人生を愉しんでいくための
自己流アートではなかろうか。


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