正月返上。寧ろそうしたい。
6日の講演会まであと3日。
できる限り納得のいく内容を届けたいため、
妥協はしたくない。
年末に概ね完成はさせたが、リハーサルしてみると、
「これじゃない」という感じ。
だから、正月を返上してアクセル全開で準備中。
ただ、この「正月返上」ということに対して
全然嫌な感じがしないのである。
普通「正月返上」というと、
厳しいノルマを達成するために、自分に鞭打って
本当はゆっくり過ごしたいのにそれをガマンしている苦行
のようなイメージがとても強かった。
たとえば、受験生などはよくこのフレーズを
言ったり言われたりするだろう。
私は、学生時代は大の勉強嫌い、努力嫌いだったので、
この言葉には蕁麻疹がでるくらい拒絶反応が起きていた。
正月というのは穏やかな休息日の代名詞だと思っていたからだ。
そんな年に3日しかない特別な安息日を
なぜ返上しなければならないのかさっぱり分からなかったからだ。
しかし、今回は全く違う。
なぜなら、この講演会のテーマは
「ご機嫌の自給自足とおすそ分け」
~ハタラキ方改革のススメ~
と銘打っており、この講演の準備自体が、
まさにご機嫌の自給自足の手段だからである。
自分がご機嫌になれたエピソードを紹介しながら、
その背景にある理論を紹介し、
ワークも踏まえて体得的に理解してもらう。
そして、ご機嫌の自給自足仲間を増やしていく。
自分にとっては、これほどご機嫌で、
素晴らしい「ハタラキ方」は無いと思う。
正月をゆっくり過ごすことと、講演準備をすること。
どちらが自分にとってご機嫌なことなのか?
それはいうまでもなく、後者だと反射的に理解している。
今までの自分だったら、「大体この辺で十分だろう」
と思える内容には仕上げてはいるので、
正月をゆっくり過ごしても別に困りはしない。
でも、不思議とそうすることがとても苦痛に思えてしまう。
まだまだもっともっといい表現が湧き出てきそうだから
その機会を逃すのがとても勿体ないからである。
だから、寧ろ「正月返上」を是非ともさせて欲しいと
思ってしまうのである。
今までとても嫌なイメージを持っていたこの言葉を、
今は自ら喜んで実行している。
そして朝から晩まで夢中で準備を愉しめたこと。
この完全燃焼感がすこぶる気持ちいい。
そしてこの心境の変化自体がまたご機嫌なのである。
本番まであと丸二日しかないのが名残惜しいが、
当日がとても愉しみでもある。
この複雑な心境もまたご機嫌である。
なんだか、マトリョーシュカのように
ご機嫌な要素が入れ子構造になっているようだ。
そしてそれもまたご機嫌である。