三人称の視点の前、ハンドルを握る手に感じる合成高分子

 例えば三島由紀夫が金閣寺で表現した破滅への美。その美しさが僕の中にもあるとしたら、それは一つの物語になるだろうか。三年間頑張って勉強してきた。脇目も振らず、真面目に、愚直に頑張ってきた。恋に遊びに忙しい奴らなんかよりよっぽど立派な人間だという自負がある。そんな僕の共通テストの結果というと六割弱。第一志望は愚か判定を求めてた大学は軒並み行けそうにない。悲しかった。だがそれ以上に人生というものを理解した。人は産まれ外気を浴びた瞬間にその能力が決められ、手繰り寄せられる運命の範囲が制限される。たとえ自分なりの理想像があったとしてもそれが手の届く範囲の外に置かれているものならばそれは諦めるしかない。悲しいけど、それが現実なのだ。この僕の現実を出版社に持ってったらどうだろうか。「あるある」で終わらせられるだろうな、そもそも突っぱねられるか。誰だお前ってね。
あぁ、こんな身体があるからいけないのだ。この肌が、骨が、内臓が、脳があるから途方もない幸福を求めてしまうのだ。いっそ身体機能すべてを機械化して、お金とボタンを押せば反応する自動販売機になれたらと思うことは罪だろうか。
「ワンッ」
 びっくりした、犬か。ポメラニアンって鳴き声高いからビックリするんだよな。あ、えーとなんだっけ
そうだ、俺はもう自分で自分の道を切り開くことに疲れたんだ。長い旅路の中で朽ち果てる旅人の、その破滅を詩にしてくれる吟遊詩人が欲しいのだ。
「ピーッ、ピーッ」
 洗濯機が終わったのか。今は6時9分か、キリが悪いから15分になったら干そう。
「ピンポーン」
「ワンッワンッワンッ」
うるせ〜〜〜。チャイムに反応して犬が吠え始めた。声ほんとデカい。勘弁してくれ。
インターホンを覗く。近所の老人が魚眼レンズにより歪に立ってた。なんだよ、せめて宅急便であれよ、めんどくせぇ。老人ってケアされて当然だと思ってるから嫌なんだよな。あと勝手に孫扱いしてくるの、本当に気持ち悪い。行き場のない母性をばら撒くな。
あ、そうだ。暗くなる前に犬の散歩にも行かなきゃな。自転車の空気もそろそろ入れないとだし。
あぁもう、生きるって本当にめんどくさい。

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