【エッセイ】人生において恋人ができたことがないキモオタはどう欠如した恋愛経験を補うか

 僕はこれまで恋人というのができたことがなかった。恋愛に興味がなかったわけではなく、むしろ逆で好きな人はちゃんといた。けれど、単純に告白する勇気がなくて、なんだかんだ今まで恋人ができたことがない。その代わりアニメや漫画を恋愛の代替品としてきた。高校からは、YouTubeにシチュエーションボイスを投稿してる個人声優をそれとしていた。
 なんというか、傍から見ればれっきとしたキモオタだろう。なんならオタクと言えるほど作品を視ていないからキモ、かも。けれど渦中の僕はそれには気付けなかったので「いやいや、この人の声質と演技が好きなの。恋愛感情とかじゃねーって笑」という態度をとっていた。
 そんなある日、部屋でツイッターを眺めていたら、僕の好きな声優のひとりが、YouTubeのアニメ(マリマリマリーみたいな)に、名も知らぬ男と出るといった内容のツイートをしていた。そのときに僕に初めての感情が湧いてきた。嫉妬のような、失望のような、恨みのような、腐った藍色のような感情が湧いてきた。本来ならば好きな声優に仕事が来たら、ファンとしては喜ぶべきなのだが、僕は喜べなかった。なぜなら、彼女を恋愛の代替品として見ていたから。そのツイートをみた直後にフォローを解除したし、しばらくその人の動画も見れなかった。
 もうひとつ似たような話がある。僕は他にも無自覚のうちに恋慕を募らせていた声優がいた。チャンネル登録者も結構いて、それに見合う実力もある。僕はこの人のチャンネルのいわゆる古参で、他の声優よりも特別な気持ちで見ていた。
 その日もツイッターに精を出していたのだが、ある日、偶然その人の別アカウントを見つけてしまった。なにやら🔞のマークがついてるぞ。言い忘れてましたけどこれは前世の成年してたときの話なので、何も問題ないです。流れるままそのアカウントのツイートを見る。見なきゃよかった。
皆さん、「寝取られ」ってご存知ですか?
そう、恋人が自分以外の人間とセックスして興奮するあれ。
寝取られてました。僕の好きな声優が。
 当たり前の話ですが、キャラクターと演者がそのままイコールなわけない。演技は演技、人生は人生で声優の方々はその分別がついています。
 ただ、僕はそうじゃなかった。作品と現実との間を気持ち悪く超えてしまった。例えば、ある映画がエンタメの枠を超えて誰かの人生に大きな影響を与えてしてしまうようなものを健全な壁の超え方だとすると、僕のは造られたキャラクターをそのまま現実の人間に当てはめてしまった。つまり、演者の人格を一方的に決めてしまった。これを人間同士でやれば「苦い青春」みたいなラベルを貼ることも可能かもないが、僕に貼られたのは「キモオタ」の処分のシール。その後はその人のYouTubeの動画が見れなくなったりして。
 しかし、悪いことばかりじゃなかった。これらの事件が「失恋」のイベントに置換され、なぜかうまい具合に人付き合いのステータスが上がったのも事実だ。恥ずかしい話だが、それまで「異性」として直視するのを拒んでいたのも直して、「人」として観るにした。具体的に言えば女の子と話すときに緊張しなくなった。
 今でもトラウマが完全に消失したわけではない。動画がおすすめに流れてくると鼓動が跳ねる。だがそれもまた一興。
本記事はキモオタの人生経験、習性として、手前味噌だがかなり興味深いと思う。
 最後になりますが、本記事に出てきた声優様たちについての詮索はご遠慮ください。

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