「とはいえ」の話 人生応援マガジン
著名なタレントの方が自死を選び、SNS界隈では、”またまた”、誹謗中傷について、意見のやり取りが熱を帯びているようです。
それらやり取りの中に、「誹謗中傷する人というのは、これこれこういう思考、こういった気持ちでやっているらしい」という、”加害者側”に一定の理解を示しつつ、「とはいえ、だからやっていい、許されるということにはならない」というふうに結んだ意見が多くの注目を集めていました。
いやはや、まさにその通りであり、加害者の感情を理解したところで、「とはいえ」であるのですが、それでも少し知っておくだけで、世界の見え方は変わってきます。
イライラの正体
私は、母も父も、イライラしていた時期に遭遇しています。
おそらくですが、母は更年期でした。父は、病気から来るものでした。
それらの原因を知ったところで、イライラに遭遇しないということにはならないわけですが、それでも正体がわかっていると、「揉める回数」は確実に減ります。
このことは、家族だけでなく、道ゆくおじさん相手でもそうですし、上司や同僚でも同様でしょう(「とはいえ」でしょうが)。
ちょうど、私は病院に行く機会が多く、「典型的なじいさん」を見たばかりなので、サンプルとして紹介します。
まず、車椅子で自分が歩けない状態であるのに、誰よりも偉そうです。
妻と思しきおばあさんが車椅子を押しながら、「診察室はどこですか?」とおじいさんに聞いたら、「俺が言うまで進めばいいんだよ!」と怒鳴り、他の車椅子患者で狭くなっている脇を通りながら、「こんなところに止めてんじゃねえ!」と怒鳴り、目的の場所に着いたら、「横向きにするんだよ!」と怒鳴ります。その度に、おばあさんは周りの人に、「すいません、すいません」と、謝ります。
しかもおじいさんは、足を組んでいて、随分と態度の悪い人がいるもんだと、思ったのですが、その後、私が帰る頃に廊下ですれ違った時、組んだ足は裸足になっており、指先に治療のあとも見え、どうやら足を組みふんぞりかえる理由は一応、あったようでした。
このケースでもやはり、「とて」「とはいえ」ではあるのですが、それでも理由や原因を知ることで、「なるほどね」とは思えます。人を死に追い込むほどの誹謗中傷と、「日々の小さなイライラ」は比べ物にならない話と思われるかもしれませんが、実際、更年期ではイライラもしますし、病気によってイライラすることもあるようですので、何かのお役に立てば幸いです。
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