♯135 “桐島、部活やめるってよ”
“桐島、部活やめるってよ”
という映画がありまして何を隠そうこの映画のロケ場所が
かつて勤務していた高知県の高校でした。
よって学校でのシーンはほぼこの高校で撮影され
入口には出演者が寄せ書きでサインしたポスターが飾られています。
でこの映画の主演はまだ世に出始めた頃の神木隆之介君であり
原作は2009年早大在学中に朝井リョウが書いた処女作で
本人はこの作品にて第22回小説すばる新人賞を受賞。
この時写真の神木君はバレーボール部のキャプテンでした。
さて前置きはこのぐらいにしてここから本題に入ります。
1970年代の連続企業爆破事件を巡り警視庁公安部が
過激派“東アジア反日武装戦線”メンバーの桐島聡容疑者(70)
(爆発物取締罰則違反容疑で指名手配)であろうとみていた男が
29日午前7時半入院先の神奈川県内の病院で死亡しました。
読売新聞オンラインによりますと捜査関係者の話では
男は数十年前から内田洋(うちだひろし)の偽名を使い
神奈川県藤沢市の土木工事会社に住み込みで働いていました。
ところが今月に入り本人が容体を悪化させ
同じ偽名で同県鎌倉市の病院に入院するものの
25日になって病院関係者に“自分は桐島聡だ”と名乗り始める。
この情報提供を受けた警視庁公安部は身体的特徴などから
男が桐島容疑者本人の可能性が高いとみて
詳しい生活実態や支援者の有無などを調べていたとの事。
男は任意の事情聴取に対し
桐島容疑者が関与した疑いで指名手配された
1975年4月の“韓国産業経済研究所”
爆破事件についても話していたという。
公安部は“今後DNA鑑定で桐島容疑者本人と確認されれば
容疑者死亡のまま書類送検する方針”という事で
彼はおよそ50年の逃亡生活にピリオドを打った事になります。
でこのような活動に身を投じたのが20歳の時ですから
以降70歳になるまでおそらく偽名を使いながら
表に出られない生活というのはいかほどのものであったのか
中々想像の及ばない厳しい人生だったと思いますね。
病状は相当重かったという事で
自らの最期が近いと悟ったからなのか今際の際に
“自分が桐島だ”と名乗り出たのだと思います。
さて一度しかない人生を彼はどう振り返っていたのでしょう?
20歳と言えばまだ世の中の事も殆どわからないタイミングで
武装闘争に身を置き大きな権力に向かって立ち向かって行く。
この様な姿勢は時代の背景もあり
ある種の流行りの様な状況も多分にあったと思います。
学生はデモに参加して学生である。
そのような熱病に罹患して運動に突入して行った者たちは
大半がいずれ髪を切って就活に雪崩を打って行く中
むしろ生真面目で桐島の様な学生ほど
一心不乱に没入して行ったと思われます。
果たして桐島聡は幸せな人生だったのでしょうか?
どこかで“別の人生もあったのではないか”
と考える事はなかったのでしょうか?
いずれにしても本人はやっと安堵していると思います。
“桐島、人生終わるってよ”、、、
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