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学習しない女

バイト中、電話が鳴った。
画面に表示されたのはマンションの管理会社。
ヒヤッとした。
まさか留守中に何か起きたか。
朝、火は使ったけど‥。
などと電話に出る数秒の間逡巡した。

私は電話とインターフォンの音がすごく嫌いだ。
どちらも唐突に、しかも土足でこちらの時の流れを断ち切ってくる。

これは仕方ないのだけれど、母の生前は施設や病院からの電話にビクビクしながら過ごしていたので、より一層苦手になった。

通話ボタンを押すと、女性従業員が名乗る。
私の連絡先で間違いないことを確認すると、用件を話し出した。

「10×号室にお住まいの方からベランダに布団が落ちていると連絡が入りまして」

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

言い終わる前に心当たりにぶち当たり、心臓をバクバクさせながら答えた。
「う、うちです、朝、布団干しました」


我が家には布団を挟むような大きな洗濯バサミが二つしかない。
しかし洗濯する度に薄々感じてはいたが、明らかに足りてない。
この日も一つは別のもので使っていたので、やむを得ず布団に一つ挟んで家を出た。


私はこういうことを、よくやる。

食事を運ぶ時など、「こぼしそうだな」と思いながらも一気に運んで結果こぼす。

「危ない」と思いつつも、面倒くささが勝ってしまい横着する。
結果失敗し、余計に面倒なことになる。


ちなみに件のベランダに物を落とすのはこれが初めてではない。

タオルなどの洗濯物を数回、一番最近では洗面器を落とした。
なぜ洗面器?と思うかもしれないが、そこは想像にお任せする。

前回洗面器の回収に伺った時は笑顔で対応してくれたが、果たして今回はどうか。
洗面器だって一歩間違えれば怪我人が出るところだった。

さすがに今回はお叱りを受けることを覚悟し、電話を切る。


バイト後、菓子屋に向かった。
謝罪のための菓子折りを買うのはもしかしたら人生初かもしれない。
営業職の人は、取引先への謝罪に菓子折りに何を選ぶかで頭を悩ませることがあるなんて聞いた。
…ポッドキャストで。

こういう時、洋菓子に振るか和菓子に振るかでまず迷う。
前回お会いした時に見た感じはアラフィフの女性だった。
情報はそれのみ。

個人的に、もらってもテンションが上がらない物は
・ういろう
・せんべい
・羊羹

どれも別に嫌いではないが、箱を開けた時の華やかさに欠ける気がしてしまう。

逆にテンションが上がるのが、スコーンやワッフルなどの洋菓子。
あれ?洋菓子思考だから痩せないのか?


金額的にもパッケージ的にも何だかマッチするものがなく、店内をぐるぐるしていると、これだ!というものに出会った。

どら焼き。

どら焼きってなんかちょうどいい。

まず、見た目がふざけてない。
かと言って華やかでないこともない。
謝罪するにはもってこいだ。
味も甘すぎないし、腹持ちもいい、お茶はもちろんコーヒーにも合うっちゃ合う。

総合的にバランスの取れた一品な気がする。

どら焼き片手にいざ、参らん。

インターフォン越しに部屋番号を伝えると、すぐに察してくれた。
ドア越しに布団を持ってくるだろう音がバタバタと聞こえる。

開け放したドアからは笑顔の女性。
良かった!怒ってない!

二人で部屋を探した時、なかなかいい物件に出会えず苦労したので何としても近所トラブルは避けたい。

スッと菓子折りを差し出し、謝罪し穏便に事なきを得た。

エントランスから人の入ってくる気配があったので慌てて布団を抱えて部屋に戻る。

そのわずか数秒後ガチャガチャっと部屋の鍵が開く。あの気配はパートナーだったのだ。

入ってくるなり「布団落とした」と報告した。

布団が吹っ飛んだ、って本当にあるんだとしみじみ思う。



さて、我が家の洗濯済みの雑巾が、きれいに畳まれて共用スペースに置かれていたのは昨日の話。


私は学習しない女なのだ。

落ちるかも、と思いながらも洗濯バサミをつけずにベランダの桟にかけた。


いっそ怒られた方が良かったかもしれない。

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