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除草剤

二年前の春に、会社を退職した。

長年サラリーマンをやってきたが、もう通勤や会社の人間関係が嫌になってしまったからだ。どこの職場にいっても、怒鳴り散らすパワハラの源のような奴もいたし。もう疲れた。

会社を辞めてからは、しばらく失業給付をもらい、その後は派遣会社に登録してぽつぽつと短期の仕事をしていた。短期はいい。人間関係が希薄だ。どんなに気が合う人であっても、帰りの駅に向かうときには全く見ず知らずの人になるのだ。

ただ、これもあまり熱心にやると疲れる。それにこういう仕事は立ち仕事がほとんどなので、中年になると体にこたえる。

家族もいないので貯金はなんとか年金が始まるまでもちそうだ。節約しながらこうした生活を続けようと思った。

とはいえ、こういう生活は単調だ。嫌なことはなくなったが、楽しいこともない。辞める前にはあれもやろう、これもやりたいと思っていたが、いざ辞めてみるとまったくやる気になれない。これは想定外だった。

だが、解決策は何も思いつかないし、行動する気力もない。「このまま死ぬのを待つだけだろうな」砂を噛むような日々を送りながら漠然とそう考えていた。

*****

その年の夏、ベランダに草が生えた。

住んでいるアパートは一階にあるのだが、そこのベランダは少し珍しい感じで、ベランダと柵の間に1cmくらいの隙間がありそこに土が埋められていた。そこからつる植物が数本、成長を始めたのだった。

草はベランダの柵に巻き付きながらどんどん上へと伸びていき、やがて朝顔のような花を咲かせた。朝顔と違っていたのは、その花はしぼむことなく長期間咲き続けていたという点だ。すごい生命力だなと感心していた。

単調な生活の目の保養ができたと喜んでいると、やがてその花の蜜を目当てに蜂がやって来るようになった。朝方に蛇腹式の雨戸を開けると、蜂たちがせっせと花の蜜を集めているのが見えた。

こちらは好意を持って蜂たちを眺めていたのだが、蜂には悪意を持たれていることがのちに判明する。ある日、ベランダで洗濯物を干していると「ブーン」という大きな羽音がした。驚いて振り返ると、蜂がすれすれの距離を飛んで来ていた。

明らかな、威嚇だ。

とはいえ、蜂を追い払おうとして刺されるのはいやだ。結局、花がなくなるまで待つしかなかったが、これが秋になっても全く枯れることなく元気に花を咲かせていた。いまいましい。

その草がやっと枯れて、枯れ草色に変色したのは真冬になってからだった。「やれやれ」とその枯れ草を取り払おうとしたが、根の方は木のように固く、とげもあるようで作業する手に痛みが走った。

平穏な冬が過ぎ、春が来ようとしていた。

ある日、外出しようと玄関から外へ出ると何か違和感を感じた。しばらくは気づかなかったが、やがて正体が明らかになった。

草だ。ベランダ側だけではなく、玄関の方からも草の蔓が伸びてきていた。しかもそいつは玄関と建物の境に空いたコンクリートの隙間から蔓を出すという、信じがたい生命力を見せていた。

そうこうしているうちに草はどんどんと伸び、ついには若い葉が開こうとしていた。昔「ロビンソンの庭」という映画で植物の生命力に負ける様子が描かれていたが、まさか自分が同じ目に会うとは思わなかった。

それに、このままだと他の住民にも知られてしまう。忌々しいことに、草は他の住民のところには一本も生えていなかった。

いやだ。植物に侵略されるのはたくさんだ。人間だけでなく、蜂や草にもいじめられるのか。ふざけるな!

俺はネットを開くと、通販で除草剤を注文した。反撃開始だ。

届いた除草剤は緑色の液体で、なにか台所用洗剤と変わらない気がした。しかし、ネットの評判も一番いいし、人間にも悪影響はなさそうだ。

その除草剤のボトルを持つと、玄関を出て草のところへ行った。草はあいかわらずそこにのんびりと生えていた。今に見ていろよ。

俺はボトルから、除草剤をシャワーのように草に振りかけた。草はよく見ると先端から葉が何枚か出てこようとしていて、その若々しい様子はまぶしいほどだった。

除草剤をたっぷり振りかけたが、草には特に変化がなく、相変わらず生き生きとした様子でそこに植わっていた。俺は毎朝ウォーキングに出かけるので、玄関先の草の様子を毎日確認することにした。

1日目:あまり変わった様子はない。だが、上の方が少し白ずんできたような気もする。本当に除草剤は効くのだろうか?

2日目:あまり変わっていないが、やや全体が前方に傾いてきたような気がする。気のせいだろうか?

3日目:あれほど生き生きとしていた草から、生気がなくなってきているような様子が見える。効いているのか?

4日目:葉が少し丸まったようになり、部分的に黒いシミができてきた。明らかに病的だ。あの元気はどこへいったのだろう?

5日目:全体的に若々しさがなくなり、老人のようなしなびた感じになった。そして、あの生命力の象徴でもあった先端の若い葉の先がくるくるっと丸まってきていた。

6日目:全ての葉が垂れ下がり、しなび切っていた。いかにも余命短い病人の様相を呈していた。

7日目:この日は部屋の掃除をした。次いでに共用部分の玄関先も掃き掃除をしていたのだが、たまたま箒があの草に当たってしまった。すると、草は粉々になって飛び散ってしまった。

あの元気いっぱいだった草は、わずか一週間でこの世から姿を消してしまった。

*****

その後、ベランダにも草が生えてきたのだが、生えかけると除草剤を撒いて枯らしていった。除草剤の効果はすさまじく、撒いて2、3日もすると草の元気はなくなり、たちまち枯れていった。

そして、その年の夏はベランダに一本の草も生やすことなく過ごした。そういえば蜂であるが、ほとんど見かけることはなかった。ただ、朝などに一匹がやってきて恨めしそうにガラス越しにこちらを見ていることがあった。ざまあみろ!

その年から俺はクラウドサービス会社に登録し、webライターの仕事を開始した、同時にFXの口座を開設し、投資を開始した。

これからは色んなことに手を出し、好きなように生きるのだ。