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「スイ」

 九月のある月曜日、私は、起き抜けに「サイを見なければ」と思った。インスタントコーヒーを一杯飲み、寝巻きにサンダルという、無頼派スタイルで、湯沢山にある動物園へ向かった。途中、良い香りのするパン屋に入り、シナモンロールというものを買って食べたが、その何とも言えない特徴的な香りが、幼い頃に嗅いだ、母の化粧箱の匂いに思えてならなかった。
 湯沢山の麓は、土産屋や温泉宿が並んでいて、たくさんの観光客や家族連れで賑わっていたが、そこから十数分山を登ったところ、湯沢山平和動物園には、私の他に何組かの老人夫婦と、障がい者支援施設のグループがいるだけだった。月曜日の午前中に、動物を見に来る暇人など、普通はいないのだ。
 もっとも、混雑嫌いの私にとっては好都合だった。並ぶことなく入園料八百円を支払い、すぐさま、サイのエリアへ行こうと、パンフレットを開いた。だが、どれだけ探しても「サイ」の文字が見当たらない。近くのクジャク小屋を掃除していた、若い男の飼育員を見つけたので、彼を呼び出し、
「君、ここにサイはいないのか」と訊くと、サイは今、西野動物園にレンタルしておりまして、申し訳ありませんが、十月末まで当園にはいません、と頭を下げた。私は「謝る必要はない」と言ったが、心の中では、レンタルしてんじゃねえぞ、と思っていた。その男に礼を言い、爽やかな紳士を演じてみたが、それでも私は、やはりサイが見たくて、去ろうとする飼育員の肩を掴み、
「では、青年よ、何かサイ的な動物はいないか。真のサイでなくても構わないから、サイの代わりになるような、私の努力次第で、頭の中でサイに変換できるような、そんな動物はいないか」と訊いた。彼は私の凄味に、身を引いていたが、それでしたら、と言い、私のパンフレットを手に取り、サル山のところに丸を書いた。
 ここの裏に、治療棟入口という扉があって、そこへ入ると、地下への階段があります、下ると部屋があります、そこは治療室といって、怪我や病気にかかった動物たちを治療する場所です、先日、怪我をした動物が一匹、運ばれて来まして、そこで療養しています、「スイ」という動物です。サイではありませんが、この園では、一番サイに近いと思います、本来、治療棟にお客様を入れることは、禁止されているのですが、どうしても見たいと言うのなら、私は責任を取れませんが、どうぞ見に行って下さい。
 そう言うと彼は、では、と会釈して、クジャク小屋に戻って行った。
 私はどうしたものか、と思った。治療棟にいるスイを見に行きたい気持ちは、やまやまだったが、立ち入り禁止されている場所に入るのは、やはり怖い。誰かに見つかって、怒られるのは嫌だし、もしかすると、警察を呼ばれたりなんかもするかも知れない。そこまでのリスクを背負って、スイを見たいだろうか、と考えた。サイが見れるのなら、まだ分かるが、勇気を出したとして、そこにいるのは、サイに似ているだけのスイなのだ。
 私は行くか行かまいか悩み、なんの興味もないカピバラの前を、何往復も歩き続けていた。すると、カピバラの担当者なのか、若い女が一人やって来て、エサやり体験やりませんか、などと提案してきた。私はそんなものに、一切関心がなかったが、スイを見に行くかどうかを、先延ばしにする理由になると思って、ぜひやってみたいです、と つい少年みたいな顔で返事をしてしまったものだから、私はニンジンやらキャベツの入ったバケツを持って、カピバラと対峙することになった。どうやらカピバラという動物は、世間では評判が良いらしく、ぬいぐるみなどのグッズがよく売れているという。たしかに、間近で見ると、少し腑抜けた顔つきで、アホっぽいというか、愛着の湧く見た目ではあった。バケツの野菜がなくなり、もう食べられないと分かると、先ほどと打って変わって、私の元を離れて行き、水場の草陰で居眠りを始めた。その つんでれ な雰囲気も、彼らが人気であり続ける秘訣なのだろう、と思った。
 束の間の安らぎの時間が終わり、私はスイがいるという治療棟の扉の前にいた。扉には治療棟入口と書かれており、その下に(関係者以外立ち入り禁止)とある。たしかに私は、それほど仕事もせず、人付き合いも悪く、社会性のある人間とは言えないが、法律や規則などからは、努めてはみ出さないように気を付けてきた。それが今、サイに似た動物スイを見るために、動物園の法を犯そうとしている。そのときはもう、なぜ私はサイなんか見たかったのかも、思い出せなかった。だが、ここまでくると、もはや意地だった。春に妻から別れを告げられ(もちろん私の不甲斐なさによるものだ)、決まっていたはずの大きな仕事が、直前でキャンセルとなり、胃の調子も一向に良くならず、年越しまでに何とかこの厄続きを、断ち切らなければならない、と思っていたのだ。きっかけは何でもよかった、スイを見るために立ち入り禁止エリアに入っていく、入ってはいけないところに忍び込む、やっちゃいけないを、やってみる! 大事なのは、私がそれにどんな意味付けをするかだ。
私は変わる! いや、変わるのだ!
 と、気合を入れたりもしたのだが、結局、私の生来の びびり が出て、そのまま動物園を去り、麓の蕎麦屋で蕎麦とビールを頼み、まい茸のかき揚げなんかも付け、窓一面の紅葉を見て、ああ、それでも世界は美しい──。などと自分を慰めるための感傷に浸り、結局二千なんぼという会計を支払い、家に帰るや布団に寝転がり、そのまま夕暮れまで眠ってしまったという醜態だった。
 一体、何をしているんだか。というわけで、翌日、私の知人の中で、最も暇だと思われる カマダ という男に、蕎麦を奢るから見張りをしてくれと、頼み、昼過ぎに湯沢山へ向かった。私が自分の用事だけ済ませて、逃げてはいけないということで、先に蕎麦を食うことにした。ビールに日本酒も飲み、会計は六千円ほどになったが、ほどよく酔いが回り、「スイ」に突撃するための準備が、ついに整った。
 カマダを治療棟の扉の前に立たせて、もしも飼育員が来たら、中国人の真似をして、道に迷った風を演じ、どこでもいいから道案内をさせて、時間を稼ぐようにと指示した。
 そして、私はついに治療棟の扉を開け、スイへの階段を降りていった。階段は意外と幅があり、大型スーパーの階段のようだった。降り切ったところに、第一治療室と書かれた、大きな鉛色のドアがあった。昔、派遣のアルバイトで行った、牛肉を保管するための、巨大冷凍庫のようだった。恐る恐るスライドすると、まず、さまざまな機械や道具があり、部屋の中心には、意外にも、地上にあるのと同じような、中に草木の茂った檻があった。そして、そこに、あの若い男の飼育員が言っていた、「スイ」が眠っていた。体長およそ二メートル半くらいで、体は灰と茶を混ぜたような色で、顔の先には大きい角と、小さい角が、一本ずつ生えていた。あの男の言う通り、たしかにサイに限りなく似ていた。目一杯近づいて、全身をくまなく見ても、サイと異なる部分を見つけるのは、難しかった。ただ、言葉にできない「サイではなさ」が、たしかにあった。
 つまり、「スイさ」というものを、私は感じた。それはそうなのだ、スイさもなにも、スイなのだから、スイなのだ。
 スイなのだから、スイなのだ。
 しかし、スイが、私の心に訴えかけてくる「スイである」というエネルギー。地上で人々の常識の枠に収まった、サイと、誰にも知られず、地下で時の流れるままに鎮座する、スイ。ああ、なるほど──。
 私はスイになりたかったのだ、と思った。
 どれほどの時間、そこにいたか分からないが、地上に出ると、三時を過ぎていて、カマダは扉の横で居眠りをしていた。カマダを起こし、動物園を出た。湯沢山から電車に乗って、知肥(ちふと)で降り、居酒屋に入って酒を飲んだ。カマダは、居眠りですっかり忘れてしまったのか、今日の出来事については、特段、追求しようとせず、最近のアニメがどうだ、アイドルがどうだと、いつもの講釈を垂れていた。
 さて、それから、あっという間に時が経ち、年をまたぎ、気が付けば春になっていた。私は以前よりも、仕事に時間と体力を割くようになり、おかげでそれなりにお金も入り、日々、充実感を得ながら生活ができていて、ストレスの減ったおかげか、胃の調子も少しは良くなり、遠い先のことを考えて、無駄に不安になったり、鬱になったりすることもなく、とりあえずは、まだまだ生きなければ、と前向きに思うようになった。
 先日、妻と娘と会う機会があり、三人で湯沢山へ行った。道中、話すことといえば、養育費や娘の将来のことばかりだったが、私にとっては、それが自分の生活を成り立たせるための、よすが の一つでもあった。
 昼飯時、妻が、かつ丼が食べたいと言ったので、またあの蕎麦屋に入り、それぞれ好きな物を食べた。そのあと、和菓子屋で団子を買い、裏の庭園のようなところで、食べられるというので、抹茶も頼んで、静かに流れる大見川を眺めながら食べた。
 そうしていると、なんだか自分は、とても幸せ者のような気がしてきて、私は突然「スイを見なければ」と思い、動物園に行かないか、と二人を誘ったのだが、妻が、このあと美容院の予約があるとかで、それが本当かどうか分からないが、彼女たちは行かないということになった。
 二人を駅で見送り、私は動物園へと向かった。入場料が値上げされたようで、仕方なく九百円を支払い、早速、サル山の裏の治療棟入口へ行ったのだが、扉のあったところが、一面コンクリートのようなもので、埋められてしまっていた。近くを通った飼育員に、どうしてこうなっているのか、と聞いてみたけれど、ここはずっと前からこの状態だ、と言うだけで、詳しいことは教えてもらえなかった。それから、スイの存在を教えてくれた、あの若い男の飼育員を捜してみたのだけれど、今日は休みなのか、それとも、もう働いていないのか、見つけることはできなかった。まあ、それなら仕方がない、今日は別の動物でも見よう、と思い、他になにかいないか、貰ったパンフレットを広げると、見開きになった園内マップの、東門側アフリカゾーン、「キリン、カバ、ゾウ」の並びに、サイのイラストを見つけた。たしかに、十月にサイが帰ってくる。と、あの若い飼育員が言っていたのを思い出した。
 そして、私は久しぶりに本物のサイを見たわけなのだが、なんだかサイというのは、見れば見るほど退屈な生き物に思えてきて、それから私は、あくまでもサイを見ていますよ、というふりをして、頭の中では、もっぱらスイのことを考えていたのだった。



2024/07/25 渡辺浩平


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