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おおきくなってゆく、きみのすがたに向けて 〜ショウ・ランジュの人となり〜

じはんきです。昨日に引き続き、この度スクールアイドルの世界にまた一つ素敵な企画が生まれたので参加しております。

2日めの今日は「 #明日へ夢を繋ごう 」ということで、ぼくはこのタイミングでしか、いや、このタイミングで言葉にして伝えたい想いを、この記事に込めます。

想いを伝えたい主役は、「ショウ・ランジュ」。おそらく最も「驚かれた」スクールアイドルであり、最も「斬られた」スクールアイドルであり、「最も純粋な心を持つ」スクールアイドルだとわたしは思います。

彼女を取り巻くワードは、ある時からポジティブなものに変わりました。わたしはそれをとても嬉しく思うと同時に、彼女の持つほんとうの魅力とはなにか、ずーっと気になって仕方がありませんでした。そして何よりもその魅力に迫ることすら、ある時までは許されていなかったのです。

おそらく今後も彼女を斬り続ける人は出てくるでしょうし、この記事やこの企画をきっかけに彼女に初めて触れる人は、これまでの「行動」を見てびっくりしたり、なぜそんな彼女が今となっては受け入れられているのか、疑問に思う人もきっと出てくると思います。そして何よりもその当時に行動を起こさなかったことを、わたしは今でも悔やんでいます。たくさんの人がランジュを好きになった今だからこそ、わたしは伝えたいです。

今も昔も、ランジュはランジュであると。そしてここから、さまざまな夢を描けるスクールアイドルになれる、と。

我儘お嬢様を構成するもの

スクールアイドルの世界に憧れたランジュが最初にスクールアイドルになってやったことは、「自分だけの世界で自分だけを表現すること」でした。

当時の彼女が驚かれ、いや完全に真っ向から「わたしたち」と対立した理由の一つに、「同好会を分裂させたこと」があります。果林先輩と愛さんの「移籍」はあまりにも衝撃的で、かつそんな彼女たちが想いを表現できないステージが広がっていたのをみて、唖然としたのはわたしだけじゃないはずです。何一つ不自由のない世界から飛び込んでみたら、実は根幹に気づくことができなかったのだと、今となっては思います。

ということでなんですが、あなたがもしランジュちゃんだとして、ランジュちゃんの世界を構成するキーワードは一体何だと思いますか?いろんな答えがあってしかるべきですが、僕自身もまだまだこの時点では彼女が「何」を大事にしているか、何をもってこんな行動に移しているのかは読めなかったのは確かです。

自分自身で考えてみたことが、大きく分けて3つあります。
一つは「恵まれた環境」。ランジュちゃんは自分の世界を表現するうえで一見何一つ欠けることのない環境の中で育ったように見えます。有名人とのコネ、優れた作曲家、そして設備にかけられる"金額"。どれをとっても、まわりのスクールアイドルにはない一つの個性です。ただそれを他者を巻き込む形で自分の世界に引きずり込むように表現したことを除いて…

二つ目は「渇望」。"あなた"とのやり取りからもわかるように、ランジュちゃんの友達への渇望はまるで乾いた砂漠に水を求めるように、水がなければ無理やり作り出してでも水を求めていくようなものです。その主たるものが「監視委員」だと思っていますが、ここで一つ大事なのは「自分自身の願いをわかってほしい」ということに対しての表現の仕方がかなりいびつだったことです。それこそ「恵まれた環境」あってのものでしょうからね。

最後は「自己理解」。ランジュちゃんの最大の特徴に、自分自身への理解、特に自分が行った行動に対して、どこまで他者の想いに影響を及ぼすかへの理解がそこまで進んでいないことがあります。これについてはまた後ほど。

私がスクスタ2部を読み通して最も驚いたことは、最後までランジュちゃんは”ランジュであり続けることを選んだ”ことです。これら3つの構成するものは、さいしょから彼女の「個性」でありつづけたんですね。

ランジュちゃん自身の自己理解について

彼女が"わたしたち"にとって手ごわい「相手」だったのは、まぎれもなくそのたぐいまれなるステージパフォーマンス力にあります。それは誰かの力を借りたものではなく、彼女自身が唯一持ち得ていた「力」です。真っ向勝負でせつ菜ちゃんをねじ伏せたのも、決して彼女が「付け焼刃の力」しか持っていなかった、ということではなかったのだと思います。

しかしながら、ある「ターニングポイント」までは、彼女の巻き起こす行動すべてが裏目に出てしまう結果になっています。その最大の理由こそ、「他者の抱える想い」に気づくことができなかったからです。同好会でみんなで過ごした思い出、みんなで共有した時ひとつひとつ、後から入ってきた彼女は早急にそれを作ろうとして、うまくいかなかったのです。

さっきの章でランジュちゃんについて「自分自身への理解、特に自分が行った行動に対して、どこまで他者の想いに影響を及ぼすかへの理解がそこまで進んでいないこと」と話しました。どれだけ大暴れしても、いつかどこかで許してもらえる。恵まれた"環境"であったけれども、恵まれた"輪"ではなかった。それがランジュちゃんがランジュちゃんになった最大のきっかけであったのだと、私は思います。そして本人は、それに気づくことがないままあの瞬間を迎えたのです。

ターニングポイントとなったのは?

ではそのターニングポイントとなったのは、どの場面だったのでしょうか?私はここを挙げます。

まず一つ目。

ランジュの全力の提案を
初めて否定する栞子
それは栞子の成長した姿と、
ランジュの止まった時を現すものとして十分だった

この場面。ここまでやりたい願いを叶えてきたランジュちゃんが、初めて叶えられなかったシーンです。おそらくここで、自分の本当の悩みと、他者の想いに初めて気づくきっかけになったのだと。

二つ目。

ランジュの特別は、「もたらされるもの」だと思っている

自分が特別な存在ではなく、ただ周りと仲良くなりたいという純粋な願いを口にするシーン。たった一人の力“ではなく”築き上げた場所で、ランジュちゃんは一人で悩みを吐露します。でも、悩むときはいつだってひとり。

三つ目。

一番近くにいた者が、一番気づいていたことを伝える
かつての自分が、そうだったように

そんなランジュの本当の悩みを、すでにこの時点で同好会のみんなは「本人に聞かずに」気づいていました。それは何よりも、同じ轍を“前に”踏んだ栞子ちゃんがいてこそだったのです。それからの行動は、ストーリーを見てわかる通り。

四つめ。そして最大のターニングポイント。

すでにランジュちゃんは
この時点で言葉として、
形にしたいスクールアイドルを知っていた
そして、それを誰よりも見抜いていた薫子

そう、最大のターニングポイントはすでに「前」でした。ランジュちゃんが本当に求めたかったものは、「より彼女たちのために切磋琢磨できる世界」だったのです。そしてそれは同じようにスクールアイドルを通じて何かを追い求める薫子には、すでにお見通しだったのだと思っています。また、ランジュちゃんがランジュちゃんであることを選んだのは、同好会のみんなに受け入れられたのが一番大きいとわたしは考えます。それはまるで、千歌ちゃんがヨハネちゃんをヨハネちゃんとして受け入れられたように、彼女の想いを真心で理解したからなのです。

セカンドシーズンは、ランジュちゃんが自らの形で理想のスクールアイドル像を、自分の言葉と身振りで発信できるようになるためのステップであり、それによってもたらされる混乱が結果的に彼女たちの糧になった物語でした。最終的にランジュちゃんが得た気づきは、「他者のために動くだけでなく、自分自身への正直さを素直にさらけ出すのは、どんな時でも強いもの」だったと思います。それはいい方向にも、悪い方向にも…

これからのランジュちゃん

それではお話を、これからの「未来」に移します。ランジュちゃんは上記の「気づき」を得たことにより、どんなスクールアイドルになれるかの"色"の幅がさらに大きく広がったのではないかと思っています。わがままであることも、一つの個性であるのです。

スクールアイドルは、みな「想いの体現者」です。もともと卓越したステージパフォーマンスの力を持つランジュちゃんは、自分だけの想いを誰よりもダイレクトに、かつよりみんなに響き渡るような「力」の強さがあると思います。最もステージパフォーマンスで想いを伝えられるパワーあるスクールアイドルは、私はランジュちゃんだと考えています。

しかしながら、ニジガクの面々は必ずしもそうではありません。ステージパフォーマンスだけが個性ではありません。人がみなそれぞれもつ「特徴」こそ、その人が最も輝ける瞬間を持つ。それを伝えることこそがニジガクのみんなが「わたし」に教えてくれたことです。これからのランジュちゃんは、きっとステージパフォーマンスの外でも、たくさんの個性を見せてくれるのでしょうね。そしてそれは、まだ始まったばかりの青い写真のように、どこまでも広がっていくのです。

2期ランジュちゃんに思いを馳せて

さて。「スクスタ」からちょっとだけ離れたアニガサキにおいても、いよいよ4月からランジュちゃんがやってきます。ランジュちゃん本人がどのようにして思い思いにのびのびと、あの輪の中で過ごしていくか僕自身非常に楽しみであり、同時にちょっと心配でもあります。おそらく多くの方が、同じように心配をしているのではないでしょうか。

アニガサキと「スクスタ」のストーリーは、コンセプトの真っ向から異なります。かたや努力の果てに生まれる裏側と葛藤、かたや夢を真正面から明るく追い求める物語。わたしにとってどちらも大事な物語であり、それぞれにスポットライトが当たるときは、よりコントラストをはっきりと。そんな感じなので、どちらも大好きであふれています。

ただ明るく元気でみんなを引っ掻き回すランジュちゃんもみたいけど、いろんな想いを抱えて葛藤するランジュちゃんもみたい。周りに迷惑をかけてしまうことが心配なのではなく、ランジュちゃんがランジュちゃんらしくあれば、わたしはそれでいいのです。

まだ見ぬ未来に向かって。

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