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斑鳩三寺で一番好きな法起寺(Hokki-Ji)



寂しさを迎え撃つ大晦日

2024年大晦日の午後3時。急に思い立って斑鳩三寺のひとつ、世界遺産である法起寺を訪れることにした。この場所は、法隆寺の裏手にありながら、それほど観光客が訪れない静かな穴場。法隆寺から歩いて15分ほどの距離だ。


金網の向こうの三重塔



車を法輪寺の駐車場に停め、そこから徒歩で約10分。(この駐車場は17時にロープが張られるので注意してください)ちなみに斑鳩三寺とは、法隆寺、法輪寺、そして法起寺を指す。法隆寺は世界最古の木造建築として名高く、観光客が絶えない。法輪寺は雷で焼失後、近年、立て替えられたので、世界遺産には含まれていない。そして、法起寺。この三寺の中で、一番人気(ひとけ)のない法起寺が好きなのだ。


裏側から見た三重塔


寂し気な畑

寂しさを増幅させたい気分

法起寺も法隆寺と並び世界遺産に登録されているが、その扱いはどこか無防備。裏側は金網の柵があるだけで、簡単に入れてしまうような場所だ。法隆寺の壮大さとは対照的に、どこか寂しげな雰囲気をまとっている。
今日は、この寂しさを味わいたい気分だった。なぜかというと、自分の中に得体のしれない寂寥感が漂っていたので、あえて寂しい場所に足を運ぶことで、その感情と向き合いたい—そんな気持ちだった。二日酔いの時の迎え酒みたいなものか?(ここ20年くらい二日酔いはしてないので単なる想像)

天気も曇天。田んぼは茶色く枯れ、周囲の山々も冬の装いをまとっている。夏には輝いて見える葛城山や金剛山も、今日はその静けさが際立つ。その枯れた色彩が、法起寺の寂しさをさらに引き立てているようだった。


法起寺 次は 法輪寺

そんな静かな境内に、誰かが近づいてくる気配を感じた。同じく法起寺の魅力に惹かれてきたのだろうか。一瞬、迷いが生じた。挨拶をしようか…と思った瞬間、先に相手から「こんにちは」と声がかけられた。

“うーん、1秒遅かった。”

その瞬間、少しだけ悔しさと不思議な感情が胸をよぎった。なぜ先に挨拶をされると、こんなにも心が動くのだろうか。相手の優しさや礼儀正しさに触れて、自分が受け手になる側に回ったとき、どこか自分の中の小さなプライドが刺激されるような感覚。普段なら自分から挨拶をするのが好きなのに、今日は相手が一歩先だった。




寂しさと向き合う中での発見

この小さな出来事を振り返ると、挨拶とは単なる言葉のやり取りではなく、心と心を繋ぐ最初のきっかけであることに気づく。先に挨拶をされたことで、私は相手の存在を強く意識し、自分の中にある迷いや静寂を一瞬で払拭されるような感覚を覚えた。

人から挨拶を受け取ること。それは、相手がこちらの存在を認めてくれた証であり、何気ない言葉の裏には優しさが込められている。自分が先に挨拶をする側になることも大事だが、受け手になることで得られる学びや感動もあるのだと感じた。


葛城山


教訓—挨拶を受け取る柔らかさ

今日の法起寺での出来事から、挨拶を受け取る心の柔らかさを大切にしたいと思った。自分が先に声をかけることで得られる満足感もあるが、相手からの挨拶を受け入れることで広がる世界もある。たった1秒の差で生まれる心の動き。その繊細な感覚を味わいながら、これからも人との関わりを大切にしていきたい。

2024年の締めくくりに、そんなささやかな教訓を胸に刻んだ。


世界遺産 法起寺


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