劇場版アンパンマン感想


はじめに

なんか気付いたらNetflixで配信されることになったのが、去年のクリスマス前のことだった。

Netflixにアンパンマンが解禁されたので一通り見漁った感想をまとめたもの暫定版。
しばらくの間は気が向いたときに感想なり以下の視聴済み作品のリストに追記していくと思う。

視聴済みの作品

夢猫の国のニャニイ(2004年公開)

アンパンマンがメロンパンナちゃんたちを庇うシーンがカッケェっつーことでまずこれから見始めた。
開幕すんごくよく動くので、記憶の中にあるテレビシリーズとは全然違うなぁとやたらと感動した。素人の評価だけど、大体このクオリティが維持されてたと個人的には思っている。俺この頃のジャパニメーション好き……。
メロンパンナちゃんのニャニイに対する愛情がまっすぐすぎて、もう泣いた。とにかく泣いた。中盤からずっと泣いてた。思い返してからも泣くほど心に重かった。これ書くためにもう一度見返したんだけど、序盤のメロンパンナちゃんとニャニイのシーンすべてで泣いた。やだ…私の涙腺、ザコすぎ…?
メロンパンナちゃんがニャニイを抱えて逃げたくなるシーン、ニャニイに「ママ」と呼ばれて我に返るところが本当につらかった。間違ってるってわかってる。でも離れたくない、どうすればいいの…。ここで泣くメロンパンナちゃんに一緒に泣く。そんなときにロールパンナちゃんが優しく言葉をかけてくれる。離れたくない気持ちを否定したりしない。ニャニイを返そう、なんて簡単に言い切ったりしない。ここのやり取りの奥でニャニイが無邪気に遊んでいるのが切なかった。アンパンマンもじっと見守っていて、ああ彼は誰かを助けるヒーローであるけれど、その救いは押し付けなんかじゃないんだ。寄り添ってあげられる心の持ち主なんだ、と感じられた。
ところでこの後急転直下を迎える展開の中で、宇宙に飛び出すところがたいへんSFやっててほんわかしたアンパンマンの世界を想像していた私は頭が「????」ってなりました。なんで第二エンジン点火の演出入れたんすか??????涙引っ込んだよ。
夢猫の国に漂う絶望感やクライマックスのアンパンマンたちが奮闘するシーンも臨場感があってとても良かった。
ムーマに襲われて絶体絶命だ、もう打つ手がないぞってところでメロンパンナちゃんがニャニイを抱きしめて歌を歌うシーン、後でアンパンマンお約束の歌唱シーンと知るんだけど、初見はすごく重さを感じた。
だってこの状況で歌える?自分ではもうどうしようもない、戦えるわけがない、危機は迫りくるし恐怖で涙をこぼす子供を抱きしめて自分の感情を抑えて「泣かないで、ママがいるよ」って平静を保って歌える?愛だよ…。愛以外の何物でもない。そこで回想も入るから涙腺にトドメを刺されるってわけよ。
まあその後出てくる夢猫の国の住人を見て「猫が魚と鳥と融合したキメラ」と冷めた感想を抱いた時点で涙消えるんだけど。情緒が不安定。
観終わってから「ああこれは愛するものを手放さなくちゃいけないときもあるってことを子供に伝える話だったのかも……」とぼんやり思った。
手放せる?自分の一部になるほど愛しているもの、それは命があるものとは限らない。大好きなおもちゃ、お気に入りの毛布、もう会えない友達からのお手紙、何度も読み返してボロボロになった絵本……。もう使えないよ、直せないよって親に言われて取り上げられようとしても、それでも手放したくない気持ちに、どうやって向き合ったらいい?
ニャニイは夢猫の国での役割があって、それが幸せなのだとメロンパンナちゃんは自分に言い聞かせていたし、実際に物語はハッピーエンドで終わるけれど、私たちはそうなるとは限らない。手放したくない存在たちへの愛を胸に抱きしめながら、さよならを言えるだろうか?
一方で親目線で見ると、子供の幸せとは何なのだろう、子供たちに親として何ができるのだろうって考えさせられるアニメだったと思う。守るべき存在を頭に置きながら見ると、すさまじく心に響くんじゃないかな。
とにかくテンポが良くて、最近長い動画が見られなくなってきたはずなのに一気に見終わってしまった。退屈しない。画面も話もメリハリが良い。まず最初に観たのがこの作品でよかった。

いのちの星のドーリィ(2006年公開)


俺この頃のジャパニメーション好きィ~~~!!キャラクターの動きと表情のなんと生き生きしていることか。かわいらしく無邪気な子供たちの姿を技術を駆使して惜しげもなく表現しているな、と思った。もちろん今のアニメーションもよく動くし技術は向上しているんだけど、また違った良さがある。
これはフォロワーさんにおすすめって言われてそれ以上の情報はないまますぐに視聴した。
海に流されていたところをアンパンマンに助けられたその晩、いのちの星を得て動き出した人形ドーリィのお話。このドーリィのキャラクターがすごくいいんだ。生きている喜びを得て無邪気にはしゃいでいる姿がかわいい。嫌味なやつ!って思うところはあるけれど、まあ見ている側の心は「公園にいる子供たちを『かわいいな』って見ているオバハン」なのでさほど鼻につかない。アンパンマンたちが温かく接しているからというのも大きい。ただし彼女をそうやって見守れるのは大人たちだけで、特別甘やかされているわけではないし、子供たちは反感を抱いている、というのがしっかり描かれているのはとても良いバランス。
ドーリィとアンパンマンが夕暮れで語り合うシーン、さらりと流されているけどとても良いシーンだと思う。というかこの作品、すべてにおいて無駄なシーンがない。退屈にならない。
テーマ曲として流れる『ドーリィのいのち』がこの映画のテーマをわかりやすく伝えてくれるが、重い。曲調も手伝ってひたすら重い。中盤に入る前にこれが流れるんだけど、歌詞を聞けば「生きているのに満たされない」といったことを歌っているのがわかる。そしてまたこの歌唱中、わがままに生きるドーリィと地味に人を助けるアンパンマンが描かれている。このふたりは同じいのちの星を持つ関係でありながら対照的であると示されているのだ。そういう演出、幼児向けアニメでやっちゃう~~????そんでこの直後に子供たちといさかいを起こすのが切ない。
これは後になってしみじみ思ったことなんだけど、作者が戦時中を生き、壮絶さと貧しさを見てきたためか、アンパンマンには「生きている者は皆役割を持っている」という価値観を感じる作品がちょくちょくある。ドーリィにもその片鱗はあるけれど、ドーリィは何の役割を持っているわけではない。彼女はその境遇もあってただ「生きたい」と願って命を得て、生きることを楽しむために過ごすのだ。でもそれでは、いのちの星の炎は弱くなってしまう。
またロールパンナちゃんとドーリィの対話もいい。困っている人を助けるために生きる――「アンパンマンは「そう」なんだ、私にはできない」と語るロールパンナちゃんの存在は、ある意味ではアンパンマンのような存在にならなくていいと寄り添ってくれるように感じる。それがドーリィにとってどれだけ優しかっただろう。
まともに愛されなかったから、願いは「自分の好きなように生きたい」だったドーリィ。でも、願いが叶っても足りない。それは何だろう?
いや重ッ。重たいでしょこれ。もうね~~~~~手加減ってものをご存じない??脚本が全力で殴りかかってくる~~~~~。
これね、ドーリィはアンパンマンたちを前にしなければこんな気持ちを抱くことはなかったと思う。ちびぞうくんたちに砂かけまくってバイバイ!で終わりだよ。事実ケンカした後はひとりで遊んでいるし。でも、誰かを助ける喜びを知っているアンパンマンを目の当たりにするからこそ、優しく見守ってくれる人たちがいるからこそ、嫌になる。みじめになる。苦しくなる。おまけにいのちの星は小さくなる。どうしよう、の心の叫びが本当に胸に迫る。ここでバイキンマンたちと関わってコミカルな展開にならなかったら心が死んでた。悲観的にならないようにする塩梅が上手い。スタッフの手の内で情緒が転がされる~~~~。
アンパンマンから助けられて泣きじゃくるドーリィ。アンパンマンが自分の顔を分け与えて抱きかかえながら彼女をあやすとき、ドーリィは初めて誰かから与えられるやさしさを享受できたんじゃないかな、直後に素直に謝れるところを見て、そう思えるシーンだった。もう駄目だオバサンは泣きます。
どの生き物もそうだけど、ただ生きてさえいるだけで喜びを感じられるもんじゃないよね。犬だって猫だって、他の命と寄り添う喜びを知っている。人だってひとりでは生きられないから、誰かとのつながりに喜びを抱くよう感じられるようにできている。何のために役割があるのか。それは誰かと関わるためなんだ。誰かと関わること、それは誰かを助けること。誰かに助けられること。
自分の命の使い方を知ったドーリィがアンパンマンにいのちの星を差し出したおかげでアンパンマンは危機を脱して戦えるけど、ここが最後まで画面が暗くて「もう助かった!大丈夫!」な空気じゃない。何ならスーパーかびだんだんを倒した後のシーンはお通夜そのもの。そりゃそうだ、ドーリィが命を犠牲にして得られた勝利になんの喜びがあるだろう。
ここで奇跡が起きてドーリィは再び命を得られたけど、これをご都合主義だ、軽率なハッピーエンドだとは思えない。そりゃ老いも若きも、みんなどこかで命を失うけど、それでもきれいごとでいいじゃん。精一杯生きた命が、自らを犠牲にしてまでも誰かを助けようとした命が、ちっとも報われないなんてことはないよ。子供たちを守っていこうと思う大人としては、そんなことがあってはいけないって思うじゃん。たくさんの希望と喜びに満ちたそういう世界を、子供たちには見せたいもん。だからこれは、大人たちの愛と、強いメッセージに満ちた作品なんだなぁ……。
最後、みんなに交じって一緒に街を復興させて祭りを楽しむドーリィの姿と笑顔に救いが詰まっている。生きる喜びは、みんなと一緒にあるんだね、歌えなかった歌も歌えたね。おばちゃんはまた泣いたよ。

キラキラ星の涙(1989年公開)


どれから観よう、おすすめあったら教えてとTwitter(意地でも言う)でぼやいたらこれと「つみき城のひみつ」の存在を教えてもらったので見た。そう私はアンパンマンの映画作品がどれほどあるのかも知らないのである!
これは劇場版第一作目。「キラキラのなみだ」を探してアンパンマンワールドを西へ東へ駆けまわる話なのだが、ひのたまこぞうやらーめんてんし、こおりの女王やすなおとこといった、他の作品では見ないこともあるキャラクターも続々登場してくる。アンパンマンの世界とはこういうものだという紹介の一面を感じられる作品だった。
のっけから歌われる「生きてるパンをつくろう」の歌詞を聴いて「えっ、そんな重い覚悟でパン焼いてたの?!」と地味に驚く。
視聴したのはニャニイやドーリィの後だったので、「はいはいわかってますよわかってますよ」と頷きながら観るところのはずが、パン工場の間取りが新しい作品と違ったり、バイキンマンはやたらと語尾に「バイキン」をつけるので、このキャラクターこんなこと言うの!?と思わせるところがある。設定がまだ固まっていないのか、それとも時代なのかちょっと考えてしまった。ナンダー姫を見ればわかるけれど、まあこの頃は明らかに画風も違うしな……。アニメも今ではあんまり見ない古い演出がちょくちょくある。ドキンちゃんの劇中歌も今だったらあんまり流さなさそうな雰囲気。そういえばドキンちゃん、しょくぱんまんにあんまりデレデレしないな?惚れたのはこの後なのかな??ホラーマンもいないな???
さらにはどんぶりまんたちが実は兄弟でもなんでもない赤の他人同士だったことを知り愕然とする。全然関係ないが、この話でようやくかつどんまんのことをかつどんまんと認識した(なぜか中華丼だと思い込んでいた)。まだこの世界は奥深いんだな……。
それにしてもこの頃からジャムおじさんの万能っぷりが片鱗を見せている。パン作りを生業にしていて機械いじりができて宇宙ロケット含む乗り物を操縦できるおじさん、強すぎる。本作のおじさんは火炎放射器も使えるぞ!軍役の過去がおありかな??
しょくぱんまんの「こんな日はトーストになりたい気分です」はこの作品からだったかぁ~。
どろんこ魔王のビジュアル怖くない?子どもたち泣かない?バックベアードじゃん。
アンパンマンたちはナチュラルに大気圏突破できるのか。その頭と体はどうなっているんだ……????
それにしても古い作品だけあって、声優陣の声も若い若い。

つみき城のひみつ(1992年公開)

めっちゃくちゃよく動くし絵がかわいい~~!!この頃はまだまだセル画なので、画面の色合いが優しい。色が同じでも撮影技法が違うだけでこんなに印象が違うんだなぁ。それと、とにかく背景がかわいい!タイトルにもなっているつみき城の薄暗いけどわくわくする世界観がよく出ていると思う。何気に画面全体に満ちたかびるんるんが動いているシーン、狂気を感じる。よく描こうと思ったなぁという気持ちと、やっぱりかびるんるんは気持ち悪いものだとして描かれているんだなぁという謎の感動。
クライマックスシーンは本当にどこを切り取ってもいい画になって、平成初期のアニメの空気も好きだな…と噛みしめた。どことなくラピュタ味を感じるのはなぜだろう。
囚われのオリガ姫を助けるために、おりがみ島とは敵対しているつみき島のブラック王子がアンパンマンたちと冒険を繰り広げる、という作品。見ているときはあまり気にしていなかったけど、この二人は恋人らしい。えっ、そうなんだ……??(wikiで知った顔)つまりこの作品はアンパンマン世界におけるロミオとジュリエットだったわけかぁ〜。そりゃ国交回復しないと結ばれないよね。
争いの原因は遠い昔にさかのぼることだけど、主におりがみまんとガランガラ大臣がことあるごとに言い合いをする。共闘する中で対立していたふたりが協力していくのはしみじみしてしまうね…どのジャンルでも味の変わらない良さがある。
皆口裕子さんの声の変わらなさにちょっと驚かされる。そういえばこのころはまだゲストキャラクターにちゃんと声優を起用していたんだな…とスタッフロールを見ながら思った。

ゴミラの星(2001年公開)


実はこの作品に関してだけは、受動喫煙的に視聴している。というのも、この中にあるあるシーンがどう見てもガンダムのアクシズ落としなので、ガノタの兄がわざわざレンタルビデオ店から借りていたのだ。中の人の都合で視聴できなくなる可能性もあったので見られてよかった、マジで。
のっけからこういう広告のやりかたもあるのか……と大人の事情を感じる。スポンサーの不足でもあったのかな。でも絵はよく動くんだよな……。
ゴミラはテレビシリーズからのキャラクターなのか、最初は説明が省かれていることもあって「知らん…誰それ…」となっていた。今もゴミラのことはよくわかっていない。後々の作品にも出てくるくらいの情報しか知らない。俺はなんとなくでアンパンマンを見ている。
ここにきて今後もちょくちょく出てくる、パン工場盗聴されまくり問題に初めて遭遇する。ここで盗聴を担当するコウモリたちを見ていると、バイキンマンはあちこちにかびるんるん以外の子分を従えてるんだろうな…と感じる。いつもアンパンマンに吹っ飛ばされている彼だけど、実は各地に支持者がいるんだろうか。
劇場版キャラであるヤーダ姫が可愛い。お風呂後にしょくぱんまんに褒められて照れるシーンでぼかぁもうメロメロですよ。この「やだー」って声がこれでもかってくらい可愛い声なもんで、嫌味に聞こえないのがいいところ。でもその格好で海に潜るのやめたほうがよくない?あとさらっと「ずっとひとりぼっちだった」って言ってるけどよく考えなくてもこれってかなり壮絶…後でまた「ひとりぼっちはなれっこ」って笑うんだけど悲しいわよ!アンパンマンにはたまにやべー設定が当たり前に出てくる。まあゴミラの設定がこの作品では最たるものかもしれないけれど…いや挙げていくと枚挙にいとまがなくなる。やめよっかこの話題。
ヤーダ星が落ちてくる!ってなもんで慌てて宇宙へ行くことに。バイキンマンたちのフットワークも軽いが、アンパンマンやジャムおじさんたちのフットワークもめっちゃ軽い。もともと準備してたって?ふつうは宇宙に行こうって思ってもそんなホイホイ行けるもんじゃない。燃料とかどうなってるのかな…。地味にSF部分の作画に気合を感じる。重力や大気圏の表現があるでしょこれ。
急ぐ旅路の中でいい雰囲気になってるゴミラとヤーダ姫。これは…不純異性交遊ってやつか…!?異性っていうか異種だけど。そんな頬を染められてもこのアニメ、子供向けだし時間の都合でこれ以上もたもたしてられないんですよ。
ヤーダ星のシルエット、やっぱり完全にアクシズ。これはもう狙ってますわ。というかバイキンマン、これまで見た中で一番やべー目標を掲げてらっしゃる。破壊神か何か?
この直線だけで作ったようなふざけた外見のロボットがまさかここまで奮闘するとは思うまい。一度やられてもスーパーダストデーモンとして復活するところ、フラッシュが目に痛いのにかっこいい。こいつが活躍する引きのシーンがまたとっても格好いいんだ。明らかに気合の入った動きをしている。劇場版アンパンマンについてスタッフは多少「ガチ」のバトルをさせても許されると思っているな?大正解だよ。やられてもかわいい泥人形になるだけだからね。ハッピーエンドが約束されている作品だからこそ許される所業。
アクシズ落としばかり言われるけど何気に火山のマグマの中に沈むロボットの描写には誰も指摘しないのである。まあ親指立ててたわけじゃないしセーフセーフ。
自分が犠牲になることでヤーダ星が落ちることを阻止しようとするゴミラと、彼についていくことを決めたヤーダ姫…いやこれ子供向けでやっていい展開なのかな!?ドーリィのときにすら驚かされたのに!?しかもこの後噴火口に落ちるゴミラはヤーダ姫をアンパンマンに託すのである…ってもうそれ男の中の男じゃん……。
ヤーダ姫の愛でゴミラは復活するし、何ならこの後の作品でもヤーダ姫と一緒に暮らしているらしい姿が確認できるので、もう結婚しちゃえよお前ら…となるのだが、ふたりは友情!友情です!!
何気に最後ジャムおじさんとバタコさん、チーズも宇宙に出てきちゃってるけど、ぼかぁもう何も突っ込まないからな…。
これの三年後にはニャニィが出てるのかと思うと、知らない間にアニメ制作会社でパラダイムシフト起きてる?と関係ないことを思った。そういえば平成中期くらいの作品だし、デジタル彩色に切り替わる前後かな(後で調べたら劇場版は03年の『ルビーの願い』からデジタル彩色に切り替わっていた)

勇気の花がひらくとき(1999年公開)


アンパンマンの夢女ことキララちゃんがヒロインの作品、元気三倍アンパンマンを聞くわよ!
お約束のアンパンマンとバイキンマンの開幕バトルが始まる…と思いきや、謎のカウントダウン。そしてなぜか宇宙へ行っちゃうアンパンマン。ねえ楽しんでらっしゃる?どこから出てるのそのロケット噴射。ばいばーいって楽しそうに手を振ってるけど、実はけっこうおかんむりだったりする?そのまま宇宙パトロール行っちゃってるけど私の気持ちは置いていかれたまんまだよ。
キラキラ星のお姫様としての生活にうんざりしているキララちゃん。キラキラ星は劇場版一作目にも名前が出てきたけど、たぶん同じ名前の別の星だね。そしてキララちゃんの変わらない生活へのうんざりっぷりが可愛い。やってらんねぇ~という気持ちがありありと伝わってくるけれど、潤んだ瞳を見ていると複雑な感情があるのだろうなと思えて憎み切れない。心のこもっていない「ありがとう」を言うのが苦痛の彼女は、決められた毎日が嫌だ、自分はこの星しか知らない、遠くへ行ってみたいとこぼす。その気持ちを汲み取ったように空からドキンちゃんがやってくる。入れ替わって外へ飛び出したキララちゃんは出て行った先でアンパンマンと出会うんだけど、ここでアンパンマンがちょっと顔を赤らめているのが可愛いね。それだけキララちゃんが可愛いってことかな。
焼き立てだから顔が温かいアンパンマン!素肌で触って驚くキララちゃん!ここは宇宙!そして始まるガールミーツボーイ…。ボーイかなこのパン。
他の作品では省略されていることも多いけど、アンパンマンの顔には勇気の花のジュースが入っている。えっ、そうなんだ…初めて知った…。俺は雰囲気でアンパンマンを見ている。顔を入れ替えて復活するアンパンマンを前にしてドン引きするキララちゃんの気持ちはわからなくもない。もはや当たり前に受け入れてるけどやっぱ怖いってこの設定。
一方鉄の星ではバイキンマンが…。この時の彼の外見がどう見ても暗黒卿。ここでこのおふざけをしっかり怒られなかったからゴミラで逆シャアやったんすか?スタッフはSF大好きだな。しかし、バイキンマンたちを見ていると今回の騒動、アンパンマンも原因のひとりですね。やっぱ宇宙に飛ばすんじゃなくて洗剤の中に封印したほうがいいですよこの菌ズ。どうせ反省しないし。ドキンちゃんはちゃっかりスタースティック奪ってるし。
宇宙のあちこちで騒動が起きていることなんて知らず、キララちゃんは子どもたちと遊ぶけれど、どことなくなじめないキララちゃんは苛立ちを募らせていく。雨の中ひとりぼっちになって心細くなったところにアンパンマンが寄り添い、二人は雨宿りをする。キララちゃんはアンパンマンに「私のことが好き?」と問い、アンパンマンはうなずく。キララちゃんもアンパンマンが好き。二人は両想いだと笑顔になるキララちゃんだが、アンパンマンの口にした「好き」がキララちゃんのそれと同じとは限らない。直後に子どもたちに「アンパンマンはみんなが好きなんだよ」、アンパンマンからも「僕はみんなが好き」とキッパリ言われ傷つくキララちゃん。彼女は飛び出したまま、パン工場で勇気の花のジュースが詰められた瓶を割ってしまう……。
気持ちを裏切られた!と思ってすぐ報復に出る行動力はすさまじいけれど、それだけ彼女の中のアンパンマンへの気持ちは大きかったんだろうな。まあ受け止める側にも都合があって、この場合アンパンマンは恋愛感情というものを持ち合わせているか心底怪しいんだけど、出会いのシーンを見る限りまったくの脈なしってわけじゃなかったと思うんだ…。そういえばやなせたかし氏はドキンちゃんの恋の行方についてはハッキリ「結ばれることはない」って言っちゃってるんだよな。今なら聞きたい、キララちゃんとのフラグはあったのでしょうか…。
そんな中バイキンマンが鉄の星で作ったメカとともに襲来、いっきに大ピンチ。勇気の花を取りに行った先で襲われたメロンパンナちゃんが泣いて呼べばやってきてくれるロールパンナちゃん、そう君こそこの作品におけるフェニックス一輝だ。
残念ながら勇気の花のないアンパンマンは元気はあれど未完成の勇気3倍で力が出ない。これじゃあロールパンナちゃんが加勢してくれたところでバイキンマンを止められるはずもなく、被害はますます広がってしまい、とうとうパン工場まで燃やされてしまう。えっ、燃やすんですか…!?さらにはアンパンマンを庇ったキララちゃんを人質に取られ、助けたいなら火の中に飛び込めと言われてしまうアンパンマン。自分の間違いを告白するキララちゃんだが、バイキンマンの手によって燃えるパン工場の中に投げられた彼女を追いかけて、アンパンマンも燃えるパン工場へ。大ピンチの中で「勇気の花がひらくとき」が静かに歌われ、光が差し込むシーンから音楽とともに始まる展開にはカタルシスを感じる。
キララちゃんの手元に降りてきたスタースティックが彼女を認めて奇跡が起き、アンパンマンも復活する。それまで決められた通りに生き、アンパンマンたちの星にやってきてからも自分の思うままにしか動かなかった彼女が、誰かを助けたいと行動したことで奇跡が起きたのだ。いやホント、ドキンちゃんがスティック落としてくれてよかったね。元気百倍のアンパンマンは宇宙に飛び出し、再度大気圏突入。ICBMじゃないんだぞ…。もうこの頃からゴミラの星への布石があったんだな…。

ハピーの大冒険(2005年公開)

アンパンマンの強さと、子供が求める強さの方向性の違いについて揉める映画観るわよ!テーマ曲のタイトルは「つよさとは何?」なのでもうこれ以上説明することないな。
アンパンマンの活躍はもうこの世界で知らないやつはいないのではレベルに知れ渡っている…。
一言で言えば、アンパンマンのファンボーイであり、強さにあこがれるハピー少年がアンパンマンの泥臭い人助けを見て悶々とする話。
アンパンマンを求めて旅に出て、偶然に彼と出会ったハピー。この出会いのシーンもよく動く動く。これは子供心にすごいインパクトを残すし、大好きになっちゃうよね。抱き着くハピーとそれを受け止めながらも困惑したアンパンマンを見て、「アレッもしかしてアンパンマンって少年ってよりは青年として描かれてる…?」と初めてこっちも動揺した。いや…だって子供向けの絵本のキャラクターってだいたい精神年齢が低いから、外見もそういうふうに見えちゃうじゃん…。でも違うんだ、アンパンマンは大人側の立場だ…そういえばずっと劇場版はそんな感じで描かれてた気がする!特にこの近年の作品はそのように描いてるじゃん!?えっ、じゃあこれもしかしておにショタコンビの話になる!?やだ…大好物です…ってしばらく放心してた。気持ち悪いな~~~このシリーズをそういう目で見ないでほしい。オタク心は複雑。
アンパンマンと一緒に過ごしながら「悪い敵をやっつけるんだ!」と意気揚々としているハピーとは裏腹に、アンパンマンのパトロールは困っている存在を見つけ、それを助けることを目的としているだけで、必ずしも戦いに遭遇するとは限らない。ちょっともやもやしだすハピー。
そもそもアンパンマンは強いキャラクターというよりは、とにかく人を助けずにはいられない、根っからのお人よしなんである。この時点でハピーの思う理想のアンパンマンとはズレている。アンパンマンは決して「悪を倒してスッキリ爽快!」な話ではないのだから。人助けの最たるものが、己の顔をアッサリ与えてしまうことだろう。そんな彼を目の当たりにして、ハピーは「もっと格好いいのがいい」とアンパンマンに言うが、アンパンマンはそんなハピーを見て微笑むだけ。顔を与えて弱ったアンパンマンを助けたことを得意気に語る彼を、ジャムおじさんたちと一緒にアンパンマンは温かく見守っている。
年取ると子供を見守れる大人の気持ちになっちゃうけど、それでもジャムおじさんたちの優しさってのは本当に底なしで、温かくて優しくて、救いを感じられる。このクソ生意気なガキをどうしてやろうかって感情がミリでも湧いてくる時点で俺ァこんな大人にはなれねぇ。
ハピーにアンパンマンはかっこよくないと言われたときに、アンパンマンは否定しない。直後に落ちる雷。堰を切ったようにハピーは声を荒げる。アンパンマンは強い。強いのに、どうして僕を強くしてくれないの?
このハピーの気持ち、わからなくもない。彼はアンパンマンのことが本当に好きなんだろう。だけど、彼が好きになったアンパンマンはアンパンマンの一面であって、すべてじゃあない。だから自分の知らなかった彼の姿を見て、幻滅したり、あるいは期待を裏切られたような気持ちになる。そもそもハピーがアンパンマンにあこがれたのも、彼が強さにあこがれる少年だから。拒絶を口にされても、アンパンマンはハピーを助ける。けれどハピーの心が離れたままなのは、アンパンマンから差し出されたパンが落ちた絵を見れば明らか。
アンパンマンはマントがなければ空を飛べない。だからアンパンマンのマントはボロボロだけど、それはアンパンマンが「がんばった印」。ハピーのマントには傷一つない。それはハピーが「人助けをがんばらなかった印」だと示唆されている…。ねえちょっと手加減ってものをご存じない???子どもに痛々しい現実突きつけるのやめよ??
メロンパンナちゃんは気分転換にハピーを連れ出して遠足へ。気遣いの天使か?もうきみがお姉ちゃんの殿堂入りしたほうがいい。ロールパンナちゃんも出番がないときはマジでないから…。何気にBGMと化しているけど、しょくぱんまんとカレーパンマンのやり取り、大好きだな。ところでしょくぱんまんっていつからこんなキザなキャラクターになったんだろうなぁ。つみき城のひみつではこんなに気にならなかったのに…。
現れたバイキンマンを倒さずに、SLマンたちを助けることを優先したアンパンマンと決別し、バイキンマンについていってしまったハピー。何気に力尽きたカレーパンマンを片手で抱え、SLマンを支えるアンパンマンのことを弱虫とは呼べないが!?
悩んで悶々としているところに、悪い敵であるはずのバイキンマンにそそのかされて彼を故郷に案内してしまう。案の定故郷のドデカツリーはめちゃくちゃにされてしまって、バイキンマンが連れてきたグリンガに食い荒らされてしまう。
バイキンマンとハピーを追いかけてやってきたアンパンマンたち。どうして助けるのかとハピーに問われて、アンパンマンは「ハピーが無事でよかった、自分も何度も騙されたり失敗した」と答える。最初から彼はハピーを許しているのだ。愛が深い。
成長したグリンガをバイキンマンは制御できない。今までのお約束ですね。これは尻尾の長いモスラかな…。モスラの方がかわいいな…。なおこの後更なるパワーアップではがねタイプになる。ハッサムとはどえらい違いだな…。
そんなさなか、アンパンマンのマントが破れてしまう。ここで差し込まれる回想。自分が汚れても、傷ついても、アンパンマンは困っている誰かを助けに行く。アンパンマンの強さとは何?全力を尽くして誰かを助けようって思うことだよ。その中に戦うことが含まれているだけで、本質は「誰かへの愛」なんだ…。だからハピーもアンパンマンを助ける。アンパンマンにあこがれた少年が、アンパンマンを助け、ともに戦う。もう何も文句はない、王道の大正解である。
みんなの頑張りでドデカツリーは元に戻ってめでたしめでたしになったけど、バイキンマンはオチ担当。そりゃあ今回はいじめが過ぎたってことじゃないかなぁ~。

いいなと思ったら応援しよう!