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【あれから】地下鉄サリン事件を思い返す【29年】

どーも。家刑ジゴロです。

今日、2024年3月20日は地下鉄サリン事件が過去に起きた日であります。
(注  実際に書いて投稿しましたが、何かのミスで途中から原稿消えたので書き足して再掲です)
実際に起きたのは1995年3月20日なので、今年で29年なんです。
もうそんなに経ってしまったんだ・・・。
そりゃ白髪も増えてめっきり老け込むわけだ。

こんな記事を出す以上、この際だからぶっちゃけ言うと、29年前のオイラは、つい数日前に中学を卒業し、高校入学直前のわけ―オナゴだったわけよ。

事件概要に関してはWikipediaのリンク貼っとくのでこれ見てくださいね。

29年前のこの日。
「ジゴロちゃんも卒業して高校決まったし、行った神社にお礼参りに行く!!あと、途中で銀行行って口座作らんと授業料の引き落としできないもんな!」という会社を休んだオヤジの鶴の一声で、神社回りしてから高校から指定された銀行の中で家から一番近い店に口座を作りに行ったんです。

車で出発し数分後。
つけっぱなしにしていたカーステのラジオから

臨時ニュースです。営団地下鉄築地駅から爆発物が爆発して白煙が都の通報があり、負傷者が・・・。

え???
車内にいたオヤジもオカンも俺もびっくりです。

地下鉄で爆発?どういうこっちゃ?!
と騒然としながらも、神社に行って「ありがとうございました、無事志望校に合格できました」とお参りを済ませ、また次の神社へ・・・と行程は進むわけだけど、ラジオの臨時ニュースは止まらないし、どんどん惨状が伝えられるしで。
 残るは銀行のみ!!となった11時ごろのニュースで、「電車内に残された不審物がサリンだ」と判明したと報じられたときに

コレ・・・絶対オウム(真理教)の仕業だぜ・・・。

とオヤジがポツリと一言つぶやいたんです。

いやあ、ぶったまげましたわ。

 確かにオウムがいろんな所でトラブル起こしてるって話は聞いてたんですが、当時その前に起きた目黒公証役場の事件、その遥か前は坂本弁護士失踪事件にオウムが絡んでるのでは?と小林よしのり先生がゴー宣で扱ってたので 知ってたけど、どちらも「どうもオウムがやったらしいぜ」ぐらいしか知らなかったし、そもそもこの頃は高校受験でテレビは朝のズームイン朝!ぐらいしか見ない生活が続き、進学先決まっても、進路決まった組同士でここぞとばかりにあ遊んでたので相変わらずテレビ見ないし……という生活だったから、その当時の俺は世間がどうなってるか知ったこっちゃねえ!というアホアホ全開でオヤジのそのボヤキは正直「嘘やろ?」って感じで。

 そのまんま銀行行って口座作ってから昼食いに行ったけど、衝撃デカすぎてぼーっとしてましたね。

 以後、高校入学までは、高校から早速言い渡された宿題をこなしながら、空き時間・・・特にテレビのニュースやらゴールデンタイムは当時ほとんど「オウム疑惑特集!!」
という名の報道特集しかやってなくて(新聞のテレビ欄もこの文字だけだったんですよ!!)もうそれしか見る番組しかないから見てたけど、高校進学してからは、学校の帰り道の途中にオウムのパフォーマンスがあって、その脇で信者が「ヴァジラヤーナ・サッチャ」とか書いてある雑誌配ってて。
「うわ、テレビで写ってた服着てる!本物じゃん!」とぶったまげながらもみんなで「声掛けたらアカン」「雑誌受け取ると拉致られるで」ってかんじの「阿吽の呼吸」で完全シカト。
でも、前の日にこの雑誌を受け取ってしまったやつが翌朝学校に持ってくるとその日1日クラスの人気者になるという謎法則が発生。

麻原逮捕の日に至っては、学校サボってテレビ見てたかったが「バカタレちゃんと学校行きなさい!」

と両親にどやしつけられて渋々登校。
幸い、自分のクラスと職員室が至近距離だったので、休み時間の度に職員室に押しかけ、テレビ見てる先生に状況を聞き、逮捕を聞いたのは2限目終わったあとの休み時間。
教室戻って「おーい捕まったぞー!」ってな感じでクラスメートに伝えると「ジゴロよく先生に聞き出してくれた!」「やったー!」「警察GJ!」「安心して登下校できるわー」など大喝采でしたね。
その辺りで、オウムから遠ざかった感じです。

年月が経ち、YouTubeやWikipediaで当時の記録など見れる時代になり、落ち着いて見られる歳にもなり、改めて、地下鉄サリンがどれだけ凄惨なものだったのか、遺された被害者の遺族の思い、そして初めて「私がサリンを撒いた」と口火を切った林郁夫氏の「慟哭の裁判」の再現ドラマ。

事件の主犯格はとうの昔に死刑が執行された。
それでもオウムは名を変えまだ残ってて、なんなら俺の住む自治体にも施設はあるし、オウムが、麻原という男がしてきた業の記憶は薄まり、今を生きるZ世代が再び狙われてるというり

オウム以外にも「これやべえだろ」っていう宗教法人はかなりある。

俺は不覚にも別の「小規模だが、クソやべぇ宗教法人」に入信してしまい、途中で抜けたけど、一度少しでもかけられたマインドコントロールが解けるのには時間は果てしなくかかる。

少しだけでも洗脳されてこれなので、完了したら、まず、何事も自分で考える力を失う。
判断は教祖や身近な幹部クラスの信者に決めてもらうのだ。
たとえ決めたとしても、自分の心が伴わない。
不都合が起きると、自分のせいでも他人に責任転嫁する。
そうやって、最終的に全てを失い、いわば「人型ロボット」と変貌するのがマインドコントロールの恐怖だ。
後に二度と戻れないほど強いダメージを本人に与えても、林郁夫氏のように目覚めるケースは極レアと言っていいかもしれない。

雑記になってしまったが、これが私のオウム事件の記憶と、その後の自分の話です。

二度と、こんな悲しいことは起きて欲しくない。
誰も得しないから。

最後に。
実は俺がお世話になった、近隣のじいちゃんが最近亡くなられた。
29年前の彼の誕生日に地下鉄サリンの日が起きた。
彼は最後まで「オウムの野郎、俺の誕生日を一生めちゃくちゃにしやがって、絶対に許さないからな」と言ってた。
こういう事も起きるんだ……と思いながら、怒りと悲しみに震える彼の顔は一生忘れないだろう。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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