玉川徹氏は脱力キラキラ言論のアンチテーゼとして重宝しましょう!
テレ朝・玉川徹が電通発言を謝罪
庶民の溜飲を下げるという行為を最も実現しているであろうテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』のコメンテーター・玉川徹氏。
玉川氏は28日、安倍元首相国葬での菅前首相の弔事について「当然これ、電通が入ってますからね」と発言。ところが翌29日、
と謝罪、訂正しました。SNS上でももれなく炎上中です。
こういう投稿をすると自民&電通擁護と言われるから悩ましいのですが、あまりにマスコミ側が無自覚で呆れます。
玉川氏の電通批判の根底には左派へのリップサービスがあるでしょう。即ち自身の発言が「溜飲を下げること」を意識したと思われます。
ところが玉川氏は綿密な取材や独自情報とは無縁です。ただのお気持ち。「オレがガツンと言っちゃうぞ」の範囲です。
「ズバリ言うわよ!」そりゃ別の人だ。
マスコミ全盛期の辛口直言の系譜
玉川発言は非常に軽率でした。影響力が低下したとは言えTVの発言は発した時点で「既成事実化」します。根拠がなくても菅前首相の弔事は電通関与と信じる人が一定量います。
不思議なもので「謝罪・訂正」の裏には「圧力」があって逆に真実であると考える人がいるものです。
ならば無実の人がマスコミ報道で「有罪」のように報じられたらいかがでしょう。特に性犯罪、性暴行といった分野で誤報があった場合、周囲の嫌悪感、社会的地位の失墜を招きかねない。マスコミ関係者の振る舞いを見ているとそういう危険性に対して鈍感な気がしてなりません。
それには「政府批判ならば許される」という思想が垣間見えます。逆にこうした指摘は「表現の自由や報道を委縮させる」との反論が予想されます。誤報すら言論の自由を盾にするのは不誠実、不遜、傲慢。
こうした傲慢さをグツグツ煮込んでできたフォンドボーが玉川発言でした。
公の場であんな「断定口調」は人間なかなかできないですよ。
「辛口評論」「歯に衣着せぬ」がカッコ良かった時代
報道のワイドショー化。特に80年代から顕著になりました。同時にそれは「コメンテーター」という意味不明な職種を生み出します。
本職よりもコメンテーターとしての方が有名というパターンもあります。吉永みち子の顔は知っていても著作は知らない…やめとこ。
ところで昔からコメンテーターを紹介する時に「辛口評論」「歯に衣着せぬ語り口」こんなフレーズを耳にしたことはありませんか。いかにも社会の良識かのようです。
と言っても批判対象に直接、モノを申すわけではなく「スタジオ番長」にすぎません。マスコミの影響力が絶大だった頃は「辛口評論」「歯に衣着せぬ」が受けました。それにネットがない時代だから「誤解」「暴論」であっても黙認状態というわけです。
玉川氏は1989年にテレビ朝日に入局ですからまさにテレビ全盛期世代で、若い頃はTVには「辛口評論」だらけ。
そんな遺伝子を持つ玉川氏が「モノを言える立場」になった時に今度は「ネット」というチェック部隊が登場します。
すると辛口評論で留飲を下げる層は一定量存在しても、同等数のチェック部隊の目が光っています。TV発言はもう少し慎重になってはいかがでしょうか。
キラキラ言論時代の玉川節は骨董品
「テレビに出る人は無条件にエライ人」時代はもう旧石器時代。コメンテーターよりはるかに知識がある人が自由に情報発信できる今、国葬から県民割まで何でも口を出すオレ様萬朝報は無理があります。
それに当節のコメンテーターはガツン型よりも古市憲寿氏、安部敏樹氏、若新雄純氏といった若手の「どうでもよくないっすか」的なダルい社会を鼻で笑うボクらというスタイルの方が主流になっています。いわばキラキラ枠? ユル言論枠?
キラキラ若手コメンテーターたちも多かれ少なかれオレ様萬朝報な顔を持ちます。ただ彼らは「当然これ、電通が入って」こんな断定的な表現はしませんね。
何とでも言える話をニコニコしながら「なーにをムキになってるんすか(笑)」ぐらいのスタンスだから自己防衛しつつ、ちょいと社会に一刺しが可能です。
逆にキラキラ枠があるから、古典的辛口系コメンテーターの玉川氏が引き立つのでしょう。朝8時から肩を怒らせ全力投球で「辛口評論」「歯に衣着せぬ」を実行する玉川氏はやはりプロのTVマン。
「どうでもよくないっすか」
こうした脱力系ユル言論が主流になりつつある今、「辛口直言」という使命を負ったプロTVコメンテーター・玉川徹はキラキラ時代のアンチテーゼなのです。