「拉致被害者に生存者はいない」 生方発言はなぜ起きたのか?
もうすでに多くの方がご存じでしょう。立憲民主党・生方幸夫衆議院議員が9月23日、松戸市内の講演会で拉致問題にふれて
「拉致問題は本当にあるのか、ないんじゃないか」「横田さんが生きているとは、誰も思っていない」
などと発言しました。もちろん家族会が抗議。さすがに同党・枝野代表も「党を代表して深くおわびを申し上げる」と述べました。
なぜ生方氏はこのような発言をしてしまったのでしょうか。一つに拉致問題に対する認識が甘いという考え方ができます。しかし実際のところ生方氏と同程度の認識という野党議員は少なくないでしょう。辻元清美さんが拉致問題なんて考えていると思います?
北朝鮮賛美のシンポジウムなどでも2児拉致事件(詳細は各自で確認してください)殺害された渡辺秀子さんの子供は「北朝鮮の父親のもとに帰っただけだ」という学者がいたぐらい。それぐらい左派にとって拉致問題とは許容できない事案なのです。なぜでしょう。
日本の左翼にとって「朝鮮問題」というのはマウントがとれる最大のアイテムでした。「朝鮮の人たちに日本人が何をしてきたと思うんだ!」。活動家にこんなこと言われた経験はありませんかね。私、結構あるんですよ。いわゆる日本人の自虐史観に訴えるものでした。
ところが「拉致問題」発覚によってこのマウントがとれなくなってしまったのです。銃から弾丸、弓から矢を奪われたようなものです。拉致発覚は日本の左翼に地殻変動を起こしたといってもいい。そこで左派はこっそり論調を変えました。
「自民党、安倍晋三は拉致問題を利用している」という具合にパラダイムシフトします。つまり安倍元首相も自民党も拉致を解決する気はない、という批判に変質させたのです。安倍元首相に対する異様な執着と憎悪は行きつくところ「拉致問題」の政治的シンボルだからでしょう。
残念なことに拉致関連における政府の取り組みが半ばセレモニー化している現状も否定しません。また有効な打開策がないことも事実でしょう。かといって生方発言は到底、容認できません。
支持者に対してリベラルアピールだったのでは?
旧民主党時代、同党の拉致対策をみると結構、エキセントリックなことが書かれていました。本気度は別として。曲がりなりにも民主党右派議員らによってファイティングポーズがとれたのです。
そして党名変更、分裂をへて立憲民主党が野党第一党。旧民主党左派が中心です。なにしろ今、政治、社会は先鋭化が進んでいます。朝日、毎日、NHK、TBSといったマスコミも同様に。
となると政治家もマスコミも支持者に向けて「左っぽいこと」を言い続けなければなりません。仮に生方さんが
「拉致問題は許せない。金正恩謝罪せよ」
こんなことを言ったらどうなりますか。支持者から凄まじい突き上げをくらい逆の炎上をしていたことでしょう。生方氏、というよりも維新を除く野党議員にとって拉致問題軽視で炎上よりも、強硬論で炎上することの方がよほどリスキーかもしれません。
立憲民主党の党勢も決して強くない。ベテランの生方さんであっても厳しい選挙戦を余儀なくされる。そこで
「私はリベラル左派だ」「自民党政治と対峙する」「東アジア諸国は友人」
ということを左派の岩盤支持層に印象付けるために
「拉致問題は本当にあるのか、ないんじゃないか」
などと発言したと推察します。もう少しいえば支持を確定するための「宣誓書」「宣言文」だったのではないでしょうか。リベラル議員であることのアピールの材料が「拉致否定」という極めて短絡的な考え方ではありますが。
それにしてもこれからの野党の左派議員は大変だと思いますよ。まあそれも特定の左派層を意識し扇動してきた結果でございますから。
野党議員の皆さん、いっそ「選挙に落ちた、拉致被害者死ね」ぐらいのことをいった方が潔いですよ。