【江戸時代か?】岸田翔太郎氏、総理秘書官を辞任
みなさんこんにちは。時代革新の桑原です。
岸田首相、長男の翔太郎秘書官を事実上更迭
岸田首相は5月29日、長男で総理秘書官であった岸田翔太郎氏を事実上更迭しました。翔太郎氏は週刊誌で、首相公邸内で忘年会を開いたとして公私混同と批判を浴びていました。
G7広島サミットで内閣支持率が上昇していた岸田首相にとって、翔太郎氏の一件は、せっかく上がった支持率を低下させる大きな要素となり得るものでした。そしてそれは、東京の選挙区候補者でぎくしゃくしている公明党との関係とともに、岸田首相の衆議院解散の時期を縛るものとなる可能性がありました。本当のところは首相本人の心のうちにしか分かりませんが、こういったことを考慮し更迭させた可能性は十分にあると思われます。
明治維新から続く、日本の政治指導者層
実は、時の総理大臣が息子を総理秘書官に任命するのは珍しいことではありません。今までも福田康夫首相が息子の福田達夫氏を秘書官にするというケースもありました。首相としては、将来の世襲の準備のために、間近で帝王学を学ばせることができるという利点があるのでしょう。
とここまで書いてみて、やはりそれは間違っていると確信しました。
なぜか?
日本は戦後、民主主義国家の一員として歩んできました。21世紀に入ってから急速に台頭し、アメリカと対峙するようになってきた権威主義国の中国と隣接していることもあり、西側諸国にとって日本の地政学的な重要性は過去になく高まっています。
しかし、報道の自由度ランキングでG7最下位であったり、戦後一貫してほぼ自民党政権が続いていることであったりと、民主主義の完成の度合いとしてまだ不完全であると考えられます。
戦前まで日本は、天皇を中心とする国家であり、また華族制度や財閥が強い影響力を持つ社会でした。そして敗戦によってある程度その構図は変わりましたが、戦前に力を持っていた人々はやはり根強く、日本社会の指導層に立ち続けました。
これは以前ご紹介したBBCの記事にも、下記のように紹介されています。
アメリカで初めて日系人として上院議員となったダニエル・イノウエが初来日した際、当時の岸信介首相に以下のように言われたことも同様の事例です。
おそらく、自民党の指導者層は今もこういう認識を持っているのでしょう。そうでなければ、選挙で自分のおじいちゃんから続く家系図をホームページに載せようとは思わないはずだからです。
新陳代謝のない社会は、必ず停滞を招き没落します。それは会社でも政治でも、同じことです。今日本は、世襲貴族議員たちが政治の指導的立場を占め、文字通り失われた30年と言われるほど停滞しきっています。もはや停滞ではない、腐りかけているかもしれません。
しかし私たちは、北朝鮮や中国に住んているわけではありません。議会制民主主義の国家に住んでいるからこそ、選挙で自分たちの民意を示すことができます。今こそ、新しい日本の夜明けのために、日本に真の革新をもたらすために、「世襲貴族議員」たちを投票で追い出す、「投票による革命」が、必要なのではないでしょうか?そしてそう感じる人は、私だけではないと信じています。
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