人間として豊かにいきたい
昨日は寒かったけど、今日はなんだか少しポカポカしている。
今日は、なんとなく大学のキャンパスに行った。
作業をするためではあるが、この上なくお腹が空いてしまった。せっかくなら誰かキャンパスにいる人と油そばを食べに行こうと思い、一人だけ連絡をしてみた。
彼は高校から一緒で大学も同じ。高校時代には、自分の団体を立ち上げる際に手伝ってくれたり、一緒に模擬国連の大会に出場したりした、頼りになるやつだ。
前回キャンパスに来たときに電話したら予定が合わなかったから、どこかでまた話したいねとお互い言っていた。すると、いる!と連絡が来た。
やった!と内心歓喜して、久しぶりに会えることにわくわくしていた。
待ち合わせ場所から彼が見えて、少し驚いた。なぜなら、就活生のような格好をしていたから。当たり前だけど、大学3年生の冬の時期は授業(ゼミ)と就活の両立で忙しいらしい。そんな様子が服装から伺えて、なんか儚いような感覚。
コンビニで油そばのかわりに焼きそばを購入して、学部棟にあるラウンジに移動。
そこから互いの近況を話した。
彼は今、就活の一環としてインターンや面接をこなしながら授業に出ている生活をしているらしい。
そんな中でこれからどうしたいとか就活で何をしているのかを聞いてみた。
そこで出てきた言葉がものすんごく一般的でものすごい不快感で体が震えた。具体的にはつまらなすぎて覚えていないけれど、ざっくりとこんな感じ。
こんなにもつまらないやつだっただろうか。
僕の中で彼の認識(少なくとも自分と活動していたとき)は、常にワクワクする方向へ嗅覚鋭く行動しているけど、現実的に考えることもできるバランスの取れたやつであった。というか今でも本質はそうだと思う。(と願っている)
でも社会に自分をどうにかして取り込んでもらいたいという欲を大きくする練習をしすぎている気がした。僕が聞きたかったのはその後の話だったり、なぜそう感じているのかであった。
質問が悪いのもあるだろう。
もっと今感じていることを意識させるような聞き方や、何となく話してほしいことを自分から話すとか、より良い方法はあったかも知れない。
自分の実力不足は反省しつつ、でも、話の前提に自分のありたい姿というか目指してる世界観的な抽象度の高いものを話せる人だと思っていたから尚更驚いた。
衝撃すぎて、その感覚をなるべく言語化して彼に伝えてみた。キャッチボールを数回往復すると、彼は「相手にどうしたら頷いてもらえるかに思考がやりすぎている気がする」と。
そして、じゃあ今やこれからどんなことがしたいのかと問うと、こんなことを話してくれた。
また話を広げてしまうけれど、これはこれでなんだか違和感が残る言葉たち。
そこで、心が死なないってなんだろうと気になって、自分が心豊かに生きられるときを思い出してみた。
友達や家族とご飯食べたり、話したり、バカをしているとき
大切な人やものに一生懸命向き合うとき
自然の中を散歩してるとき
美味しいご飯を食べているとき
きっと思ってるほどお金なんてかからない気がしている。(安直かもしれない。現実突きつけられるの待ってます。それまではたくさん人に頼りながら生活していこうと😛)
すると彼は、今まで「就職して会社員をする中での幸せや豊かさ」は話すことがあったけれど、その制限を外して考えたことがなかったと。
僕自身の思考もだいぶ極端である上に、良し悪しで単純に考える問題ではないのだが、
まずは自分から、
周りの人たちとも一緒に、
自然とも一緒に。
人間として豊かに生きていきたい。
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