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少年期 3
西目屋村は現在白神山地として世界遺産に登録され、ブナの森の広がる美しい山あいの小さな村であった。この村には小さな炭坑があった。
西目屋村の国民学校は、一年生から三年生まで全員同じ教室でたった一人の先生が担任で授業も掛け持ちしていた。
授業の始まりと終わりの知らせは、六年生の級長が「ドドーン・ドン・ドン・ドーン」と太鼓を叩いて知らせをするので面白かった。弘前の学校では小使いさんがサイレンを鳴らして知らせていたのに比べると村の方が楽しかった。村の学校も一週間も通わないうちに夏休みに入った。
叔父さんの家に世話になっているので用事を頼まれて仕事をするようになっていた。
なかでも僕の毎日の役目として頼まれたのが飼育しているウサギの餌採りが僕の役目になった。この餌採りはただ事ではなかった。雪の多いこの地方では夏の間にひと冬分の餌を集め採取してこなければならないのだ。毎日毎日自分自身がすっぽり入る程に大きいずだ袋を担いで葉っぱを取るのだが大変な作業になった。ある日餌になる葉っぱが見つからず、軽く葉っぱを一杯にして持ち帰ったら叔父さんに思いっきり叱られて「もう一度採って来い」といわれてしまった。
お陰で夕方迄掛かってぎゅうぎゅうに袋一杯押し込んだ葉っぱが採れてようやく帰れた。
仕事の合間にはブナの森へ村の子供達に案内されてよく行っていた。ブナの森は柔らかな光と落ち葉が重なりふかふかして気持のよい土だった。帆布で出来た袋をお尻の下に敷き尾根から谷へ滑り落ちるのだがこれはとても気持良く楽しかった。谷川の水は冷たく泳ぐには寒すぎて誰も泳く子は居なかったが水遊びに興じていた。それでも山での遊びはとても新鮮で楽しかった。
兎の餌採りは大変だったが毎日が楽しく村の子供達と仲良く遊んでいた。
村の大人達から明日は大切なことがあるから家から出ないように注意されていた。
次の日、家中の人達がひとつの部屋に集まり真ん中にラジオを置いて皆は正座をし、話しをする者は誰も居なかった。お昼の時間をラジオが伝えると天皇陛下の声が聞こえて来た。玉音放送であったが子供には難しく何となく戦争が終わったように理解出来た。玉音放送が終わると降伏したことを知り皆は泣いていた。僕は何故かいたたまれず静かに外へ出ると遠くの山を眺めていた。日が傾きかけた頃、姉の声が聞こえて来た「明日、弘前へ帰るから用意して」姉から明日自宅へ帰ると言われても何故か淋しい気持だった。
次の日、叔父さんに挨拶して叔父さんの家を後にした。母と姉と直ぐ上の兄と四人だった。
バス停まで四十分の道のりを縦一列になり暑い日差しを浴びながら歩いていた。
川の見える場所迄来た時、谷の下の方に国語で習った「いなばのしろうさぎ」に出てくる蒲の穂を見つけた。「かあちゃん、谷の下に蒲の穂を見つけたの採って来ていい」と尋ねたら母は、谷底を覗き込んで「お前なんか、死んでしまえ」と重い口調で言っていた。僕はだまってうなだれながら皆の後ろにくっついて歩いていた。
やっぱり弘前の家はいいなと思い二階の窓から眺める岩木山は右側から朝の太陽を放って神々しく輝いていた。そんな思いに浸っていた時、突然大きな爆音が聞こえて来た。空を見上げてびっくりした。アメリカ軍の爆撃機B29が低空で旋回していた。今迄見たことの無いあまりの大きさで青空を覆い隠すかのようにグルグル旋回をして飛び去って行った。
その後には戦闘機のグラマンが飛び去って行った。あらためて日本が戦争に負けたことを知らされた。
明日からどんな時代になるのだろう。