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024 私にできる事とは…

唐突ですが、ベネズエラという国に対してどのようなイメージを持っていますか?

私はコスタリカに来るまでベネズエラに対して、野球大国というイメージだけを持っていました。
実際、コスタリカにはベネズエラ人だけでなく隣国のニカラグア、キューバなどから来た方も多くいます。
仕事のために来た人だけではありません。
生きるための選択として母国を離れるという選択をした人が多くいる事をここでは皆さんに知って欲しく綴っています。

最近ではベネズエラからアメリカを目指して歩く人が通過点となるコスタリカに増加し、問題視もされています。
そもそもなぜ増えたのか…
これまでのコロンビアの前大統領はベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロの政策に反対していたため国境を閉鎖していました。しかし、コロンビア初の左派大統領グスタボ氏によって、2021年10月から歩行者限定でコロンビアとベネズエラ間の国境が開放された事もひとつの理由だとされています。

半年ほど前から私のチームに新しく加わった7歳のわんぱく男の子は、ベネズエラからコスタリカまで家族と共に歩いて来た1人です。
両親は子どもを祖父母に預け、3年ほど前に先にコスタリカへ飛行機で入国。毎月仕送りをする生活を送っていたそうです。
・飛行機代は高額
・子ども達は友人との大切な時期
様々な葛藤がある中での選択だったそうです。

2023年12月、父親のみコスタリカからコロンビアへ飛行機移動、その後バスでベネズエラへ。
そして、15歳、11歳、6歳の息子と父親4人で、バス3回と徒歩でコスタリカまで移動をしてきたそうです。
その距離は、青森県から山口県の距離(日本本州分)にもなります。

自由の国アメリカを目指す人が多くいる中で、なぜコスタリカという選択をしたのか…

アメリカが決して自由ではないと分かっていたから

これが父親からの答えです。
実際にアメリカまで行くのに体力、金銭、語学、入国後の仕事探し、奴隷のような体力仕事というのがあるのが現状だそう。
それなら経済が安定して物価が高いが、収入が他国よりも良い、尚且つ教育に力を入れているコスタリカに住もうという選択になったそうです。

パナマとコロンビアの国境であるダリエン地峡が1番の山場と言われています。97kmにも及ぶ死のジャングルで彼らもそこが1番しんどかったと話していました。
マルちゃんのラーメンやビスケットを食べて空腹を凌いできたものの、他にも同じように移動する人は経済的には彼らよりも厳しい中での移動をしていたそうです。コスタリカに着きさえすれば生活をする場所がある彼らは、他の人たちに食べ物を与えるということもしてきたそうです。
この話を聞いていた時は、コスタリカ人の方が主催していたBBQの会場でした。彼らは初めてコスタリカ人に招待してもらえて本当に嬉しいと本音を漏らしたような感覚でした。決して激しくやったー!と喜ぶ感覚ではありません。きっと今まで色々な差別もあったのだろうと悟りました。
BBQの最中も自分からガツガツと食べる様子はなく、ものすごく謙虚。
好き嫌いをして残す人が多い海外、お腹いっぱいでもそうでなくてもお皿の上には残飯がたくさんの海外。しかし、彼らはもらったものを全て綺麗に食べていました。
生きてきた環境、経験がその人の生き様になっているのだなと強く感じる瞬間でした。

さて、題名の私にできることとは…
今ある環境に感謝をして全力で生きること
そして、野球というツールで彼らに貢献し、生活を豊かにすること

今の私の立場上できることは限られていて、ちっぽけな事なんです。
今回、この内容を書くべきなのかものすごく悩みました。受け取り方次第では侮辱するような事になってしまうと思ったからです。
ただ、身近にそういった経験をした方がいて、私には皆さんにベネズエラの現実、世界の難民の現実を1人でも多くの人に伝える義務があるのではないのかなと思い綴る事を決意しました。
彼らは一応パスポートを持っていますが、このルートで歩いて移動する人の中にはドラッグの運び屋がいるのも現状です。
それらの問題についても詳しく取材をしている日本人男性もいるので、YouTubeで見る事をお勧めします。
少し長くなりましたが、読んでくださりありがとうございます。

追記:
7歳の野球少年のD君は、メジャーリーガーになるんだ!といつも言ってくれます。
お父さんは私と一緒にコーチとして活動するようになり、今は二人三脚で野球指導に奮闘しています。10年後、彼がメジャーリーガーになり世界の選手と共にプレーする未来が楽しみです😊

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