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課金は握手券なんだよ

今年の1月に、noteの魔神(?)猫山課長がメンバーシップを開始された。
それまでほとんど無料だった記事の99%が、課金しないと読めなくなり
開始とともに、迷わずメンバーシップに入った。

課金してでも絶対に猫山課長のnoteの記事が私に必要だったか、と言ったらそうではなかった。(すみません!)内容がどうというわけじゃなくて、私が普段、サブスク系の有料コンテンツで情報を取るという習慣がないからだ。

他の有名作家さんの有料記事がXに流れてきて「うわーー、気になる!!読みたい…」と思っても、課金することはほとんどない。

じゃあ、なぜ猫山課長のnoteに迷わず課金したか。

「課金することは握手券だ」

と思ったからだ。
常に100、時に1000を超えるスキ!がついて、4000人を超えるフォロワーがいる状態で、メンバーシップを始めることの意味は、クリエイターとしてマネタイズが可能なタイミングだ、ということは大前提だけど

「読み手を、関わる人を絞りますよ」

という宣言でもある。
メンバーシップ開始前から、ありがたいことにXでも絡ませていただいていたから、登録しなかったら関係がなくなるなんてことはない。
現に、課長はSNSで、メンバーシップに登録しているかどうかに関わらず
コミュニティの人たちと絡んでくださっていると思う。

だから、これは、自分の勝手な気持ちなのだけど。

「これからも関わりたいです」
「課長が"その先"を目指すなら、追いかけたいです」

という意思表示のつもりもあって、メンバーシップに入った。

そして、メンバーシップを始めた課長は本気だった。
コンテンツに明らかに「"その先"を目指す人」「自分についてくる人」に向けての内容が増え「握手券」を買った人たちに「ついてこいよ!!」という誠意を感じた。





私も、無料有料さまざまなコンテンツを持っている。
今は、無料体験講座の募集なんかもしていて、無料と課金についてよく考える。
サブスクの利用こそ少ないものの、学びやコミュニティに年間100万円くらいは投資している。


今日は「課金をすること」「その活かし方」について書いてみたい。

お金を払わないと関われないわけではない

「課金は握手券だ」なんて
ホスト狂いか、アイドルのCDを何枚も買ってしまうオタか、のような書き方をしてしまったけど

相手と関わるためにお金を払わないといけない
お世話になっている人の商品を買わないといけない

そんな決まりはない。
あなたのことを大切に思っていて、誠実な商売人こそ
「本当に必要な時にお役に立てればいい」
「気遣いで買ったりしないでほしい」

と思っているだろう。

そもそも

お金を払ったから関われるわけではない。
課金したから握手してもらえるわけじゃない。
握手、仕事やしな。

サービスや商品を買っている、それだけ。
「人に構ってもらうためにお金を使う」なんて、まぁ、、
それでしか人と関われない人もいるけど、、、
それで友達にでもなったような気持ちになるのもやめた方がいい。

だから「課金は握手券」はあくまで私の表現だ。
課金したんだから、構ってよ!優遇してよ!とか思ってしまうならやめとけ。絶対迷惑がられてるから。

無料の時だけ来る人たち

私は、ときどき無料のコンテンツや講座を企画する。
すると、一定数
「無料の時だけ来る勢」
がいる。
無料企画を打つ時、そういう人も一定数いるという前提でやっているので
好きにしていただいていいんだけど
やっぱり、主催からしたら、覚えてるよ
「この人、普段絡まないのに無料の時だけフラッと現れるな」って。

で、そういう人たちがどんな感じかというと
なんか、成長しない。
変わらない。
成長しなくていいと思って生きてる人もいるし
稼ぎたい!!上手くいきたい!って言いながら
前に進めずくすぶってる人もいる。
自分が人にお金払えないから
人からもちゃんと受け取れないしね。

正直。
無料のコンテンツだけを摂取して
どんどん成長できる人って、稀だ。
無料のコンテンツを活かせる人って
実は他でちゃんと自己投資してたりする。

無料コンテンツって(youtubeとか、別なところからの収入がない限り)
「試食」だから。

いくら最近、起業女子とかの間で
「このインスタライブは有料級です★」
とか言ってても
有料無料って、内容の濃さの話ではないから。

高額を払うことが「覚悟」とかいう界隈

起業女子界隈とか。
スピリチュアル界隈とか。

「この金額を払うことは、覚悟のあらわれなんですよ」
「バンジー飛ぼう
❣️
「借金してでもやった方がいいよ」

みたいな感じで
「払わないと取り残される」不安からお金を払わせる界隈もある。
もちろんその中には高額でもそれに見合う内容の商品もあるが

「お金を払うこと=覚悟」ではない。
「お金を払ったから上手く行くはずだ」なんてこともない。
そういう私も、スピリチュアルに100万円以上使ってきた時期があったのだけど←
そこには、本当に同じことを繰り返している人が本当に多かった。
数万〜数十万のセッションや講座、ブレスレット等を買って

「私には大きな力があるということがわかりました」
「眠っていた力を開いてもらいました」
「覚悟が決まりました」

と、その時は、むしろその時だけ元気になってブログを書いたりして
また何もしなくなって、、を、何年も何年も繰り返している人。
教えられている内容が悪いわけではないけれど、あの人たちは養分以外の何者でもないと思ってしまう。

スピはあからさまだけど、どんなにいい講座を受けたってそう。

課金して、真面目に学びました!
・・・・・・それ以上の自分からのアクションは起こさず
「やってる感」でずっとそこにいるだけ。
気づいたら、課金してもしても、真面目にやっても
周りに置いていかれてる。
その理由がわかってますか?

「お金を払いました!(行動しない)」
「お金を払いました!行動もしました!(本当に大切な一歩は踏み出さない)」


は、ほぼ変わらない。
誰かから見て「頑張ってます」のムーブをしてるだけじゃ
養分でしかないんよ。

お金を払おうが、払うまいが
そこから何を得て、どんな行動をするかは
自分次第だし
頑張りました!(声かけてもらい待ち)でもダメで
自分の進路は、自分で掴みにいかないといけない。

「お金を払うのは覚悟だ」というのはある意味そう

でも、皆さんも感じたことがあると思う。
無料で差し出されたコンテンツやモノに
あまり価値を感じられず、雑に扱ってしまったりするけど
自分でお金を払った途端、大事に、余すことなく摂取しようと思ったりすること。

お金は目に見える価値なので
やっぱり「ちゃんとお金を払って、学ぶ」ということには
自分を真剣にさせる力はある。
それが大きな金額であればあるほど

「ここまで払ったからには、ちゃんとモノにしよう」
「結果を出そう」「変わろう」

という覚悟が決まるってもんだ。

それも一理ある。
でも、それが本質なのか?
最近考えていた。

私は
「(比較的大きな)お金を払う」ということは
「ちゃんと関わる」という契約を双方に交わすことではないかと思う。
末長く付き合う、同じレベルの世界を生きるつもりで、大きな契約を交わす。

払う側は
「このお金を払って、このコミュニティに、講座に入ります。」
「この場にふさわしいくらい結果を出すことを誓います」
「皆さんの成功も喜び、自分も成功し、奪い合わずリスペクトし合います」
という気持ちで、飛び込む。
飛び込んだ以上、様子見の期間なんて終わりだ。
課金したところで、飛び込んだところで
「できたらやる」
「もらえそうならもらう」

みたいなスタンスでいたら、何も変わらない。

提供する側は
「あなたに成功して欲しいと思ったから、ここに入ることを受け入れます」
「いただいた対価に対して、提示した通りの価値をあなたに提供します」
「飛び込んだあなたのことを信じます」

という気持ちで、受け入れる。
お金を払って覚悟してきてくれた人相手だからこそ
厳しくなることもあるだろう。
サービスする、のではなく
「相手にとって本当にためになること」を考え抜いて
真剣に関わるべきだと思う。
高額の講座を作って思う。提供する側も、きてくれた人とずっと関わっていく、ずっと関わりたい人を選ぶ覚悟をするのだ。

グリーン車に乗るのも一大イベントな私には
まだ見えていない世界ではあるけど

「お金」というものの例えが
握手券よりしっくり来るのは
そのレベルの世界への入場券だ。

信用が形を変えたものだ。

払って消費して使うモノではない。
「このお金を払える者です」ということを見せて
その世界でしかわからない常識を持って
価値を生み出し、お金を循環させていく。

払い続けることが大切なのではない
「お金を払い続けられるような、その世界にふさわしい人間でいる」
そのために努力し続けることを怠らない。

覚悟って、そういうことだ。

課金の意味が、少し解けただろうか。
文明を持った私たちが、自分の生きる世界をデザインするための
「自分との約束」
なのかもしれない。



この流れで申し込みにくいかもですが
グラレコの無料体験会、歓迎しています。笑
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本講座もあります。
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