サウンドオブフリーダムを見て、モラハラ被害者のもつポテンシャルについて考えました

早山さくらです。

先日、「サウンド・オブ・フリーダム」を観てきました。この映画で描かれていることが、ほんとはすべてフィクションならどんなにいいだろうなと、思います。

世の中には、有名な人や偉い人、正義に見える人たちがたくさんいますが、実はそういった人たちこそが悪であるとして・・

そんな証拠を次々と見せられたとしても、その現実に耐えられず、目を背ける人も多いと思います。でもだからこそ、悪がどんどんのさばっていく。

でも、自己愛性パーソナリティ障害(NPD) の人からモラハラを受けた経験がある人なら、権力者たちは一般ピーポーの幸せのために政治をしているわけじゃない。正義のヒーローに見える人が実は悪の親玉である、なんてこともスンナリと理解できるのではないでしょうか。

パーソナリティ障害者からの攻撃など、経験していない人には本当に理解しにくいものです。執拗に繰り返される攻撃や、話していても全く噛み合わない不気味さ、自己中心的な理屈に基づく理不尽な行動の数々。

実際にその被害を受けた人は、「世の中にはありえない人がいる」「真実は小説より奇なり」という現実を知っています。人身売買やコロナの問題についても、「それは陰謀論だ」と片付ける人が多い中で、モラハラを経験した人であれば、直感的に「これは陰謀論ではなくてマジで陰謀だ」と感じ取ることができるのではないかと思います。

そう考えると、パーソナリティ障害の人から受けたモラハラの経験は、じつはとても貴重なのではないかと思うのです。

「自分が体験した苦しみを、自分一人の心にしまっておくのではなく、世界平和のために役立てていこう!」

もしも被害者たちがそんなふうに考え始めて、1人1人が、ほんの一歩だけでも動き出したとしたら?

きっとそれはすごいパワーになると思うんです。

ほんとは、お花畑に住みたかったね。でも、そこに住めない私たちだからこそ、ほんとのお花畑を創れるのかもしれないですね。

だから、わたしたち、繋がっていきませんか?
そして、ちゃんと選挙に行きませんか?

愛が循環する優しい世界を一緒に創っていきたいです。


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