モラハラが治る、治らない問題に終止符を打つ!夫が変わらないと嘆く美人さんへ
モラハラも改善したい、でも優しい関係も諦めたくない人へ
「今のまま、モラハラされる関係は辛いけど、離婚するのも違う気がする」
そうおっしゃる美人さんが多いです。
それは、そうですよね・・
夫がモラハラだと言っても、常に意地悪で自分勝手というわけでもない。素敵なところも知っているし、良い思い出もあるでしょう。
「優しい時もあるんです」
「話が盛り上がると、誰といるよりも楽しいんです」
「体の相性がとても良いんです」
「一生添い遂げる覚悟で結婚したので、離婚は絶対にない選択肢です」
このように、クライアントさんたちはそれぞれ、簡単に離婚に踏み切れない理由を打ち明けてくれます。
もし、あなたも同じように感じているのなら、この記事をぜひ読んでみてください。
モラハラの原因はひとつじゃないです
モラハラの原因や背景は、夫婦によってさまざまです。
もともと、モラルハラスメントという言葉は自己愛性パーソナリティ障害(NPD)による攻撃を指していました。
で、この自己愛性パーソナリティ障害というのは、心理的になかなかに根深いもの、だからこそ「治らない」と言われてきました。
しかし、今の日本では、自己愛性パーソナリティ障害の人からの攻撃以外でも、傷つけあう関係をモラルハラスメントの範疇にして語っています。
たとえば「自分さえ我慢すれば喧嘩にならない」「機嫌悪くさせて今が楽しくなくなるのはイヤだから」と自分を抑えて、その場をやりすごす妻。とくにこれと言った主張をもっていない、夫に決めてもらうのが楽、などで依存してしまう傾向がある妻。
こうであれば、必然的に夫が強くなってしまう。
そうやって関係のバランスが崩れた結果、その関係を挽回することができずにモラハラ状態となっているご夫婦も多いです。この場合は、夫ではなく妻が自分と向き合うことが解決に繋がります。
また、これは、夫でも妻でもそうですが、自分の考えはしっかりもっているけれど、それを伝えることに慣れていない場合。
日常の小さなストレスや喧嘩で、解決できないままに残った不満が積み重なることで、つい相手の言動に過敏に反応してしまい、冷戦や意地悪の応酬が続く関係になっている、それをモラハラと感じていることも多々あります。
でも、これなどは、適切な自己主張を学ぶことで解決します。
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)や発達障害は治らない、でも関係性は変えられます!
ですから、少なくとも専門家は、「モラハラは治らない」という言葉は使うべきではなく、「自己愛性パーソナリティ障害(NPD)は治らない」と表現すべき時期にきていると個人的に考えています。
さもなければ、関係修復の可能性がある人が「モラハラは治らない」という言葉に出会うことで、関係修復を諦めてしまう。もともと願っていもいなかった離婚に誘導されてしまう。
そんな展開も、おおいにありえて、そして、そんな状況は悲しすぎると私は思うんです。
*もう気持ちが冷めていたところに「モラハラ」という理由を添えて離婚、というなら問題ないです。ただ、この場合はモラハラ扱いされたお相手に同情しますけれど・・。
ちなみに、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)以外のモラハラ原因として発達障害があげられます。
これについては、NPD同様に「治らない」と捉えていいでしょう。これはNPDが心の深い傷による特性であり、発達障害が脳の機能の特性によるものだからです。
とはいえ、NPDにしても発達障害にしても、人により濃淡があります。
ご自分が、自分はそういう特性があると認識できるくらいの人であれば、自身をコントロールすることだって可能です。
たしかに、特性を完全にゼロにするのは難しいのかもしれませんが、カラダの持病と同じ。自分との付き合い方を学んでいける人だって少なくないのです。
じっさい、私が関わらせていただいてきたクライアント様。その旦那さんは、NPDにしろ発達障害にしろ、治らないにしても、モラハラを鎮めることはできています。
それは嘘だ、とても信じられない、と思う方もおられるかもしれませんが、「モラハラとは関係性の病気である」と捉えればどうでしょう?
モラハラを「関係性の病気」と捉えてサポートしています。
モラハラに限らず、人と人との関係とは、相手と自分の特性の掛け合わせでできあがるものです。
相手がどんなにハードであろうとも、必ず自分の在り方は相手に影響を及ぼすのです。
もちろん、相手があまりにハードすぎてムリと思えば、その相手とはゼロの関係性をゼロにする、つまり離れて、当然いいのです。
以下、クライアント様のお声です。
このクライアント様たちのように、NPDや発達障害を抱える人とのモラハラ関係を良くする時の条件は、「相手を変えようとしないこと」です。
いいも悪いもなく、そういう個性の人、しかたないのです
NPDも発達障害も、その特性は、大きな括りでいえば、「個性」なんですよね。
そこにいいも悪いもない。ただただ、そういう性質の人なんです。
それを腑に落とせるかどうかが肝心です。
そして、また被害者のほうにも、それなりに「特性」「個性」があります。
では、自分はいったいどんな性をもっているんだろうか?と考えてみる。
そして、人との関わり方の癖も探ってみるんです。
たとえば、自分の価値観や、感じ方に極端な部分はないかしら?自分と相手との距離感はどうだろう?コミュニケーションをの採り方は適切なのかな?など・・
解決までのプロセスは人それぞれです
こうしたことを丁寧に点検していくことで、とにかくまず自分が楽になります。そして幸福感があがります。言うべきことがあれば、適切に表現できるコミュ術を身につけます。
そして、相手は何も変わっていないはずなのに、気づけばモラハラという関係に苦しむシチュエーションが減っているんです。
でも、これらをすすめるにしても、人は人、AIじゃないんですよね。
嫌いだけど好きだけど、やっぱり嫌い。
許したいけど許せないっていうか許すべきじゃないとか。
そういういろんな葛藤がでてきます。
また、家系代々に伝わるトラウマ、世代を超えた傷なども絡んでいるものです。
だからこそ、一朝一夕に解決というわけにはいかないです。
そして、同じくモラハラという言葉を切り口にしているのに、アプローチやステップは、おひとりずつ違ったものが必要となります。
さらに、その時々で、前提を変える必要もある。たとえば、私はよく、被害者という立場を捨てないとモラハラは解決しない」と言いますが、でも、一時的には、自分を圧倒的な被害者としておくべきステージもあるんです。
離婚を考える前に、できることをすべて試してみればいい
モラハラといは洗脳と支配です。自尊心を打ち砕かれ、信じるものを奪われ、自分を嫌いにさせられ、生きるエネルギーを奪われる。そして操り人形のように振り回される・・
こんな辛い状況、耐え続けるべきではないと思います。
そして私個人的には、モラハラの解決とは、「自分の人生を自分で運転できるようになること」だと考えています。
離婚することでそれが可能になるのであれば、それはとうぜん祝福すべき事だと思います。
けれど、冒頭でも言いましたように、実際には、そう簡単に離婚に踏み切れない方がほとんどです。
答えなんて、出ないときはでないので先延ばしでいいんです
自分軸をもって決断しよう!
そんなふうに自分を奮い立たせようにも、愛憎離苦。お金の問題もある。子どもの問題もある。自分以外の家族も絡んでくる・・
だから、現実にはそんな簡単には決められないんですよね。
そうであれば、まずは、いったん離婚するかしないかの決断をするプレッシャーから外れてみる。
そして、相手がどうであれ自分で自分を幸せにする!
その発想をもって日々を過ごしてみることをおすすめします。
相手がどうであれ、自分ひとりで勝手に幸せになれると知った時、相手との関係性は必ず変わっています。
その時には、ムリに決断などしなくても、離婚するかどうかの答えがスルリと出ます。
子どもや家族やお金の問題も、その時になれば、また違う考え方となっているものです。
さらに言うと、もし離婚となったとしても、「関係修復のためにすべきことはすべて試した!」との後悔さえも少ないはずです。
こちら、数年前にサポートさせていただいた美人さんがくださったメッセージです。
Kさん、メッセージ、嬉しかったです。いろんな葛藤をしっかりと受け止めて、旦那さんを恨むこともなく。美しい心のままに、次のステージに行くことをお決めになった。女神さまのようにかっこいいです。
そんなKさんに何を言っても陳腐な言葉になってしまうけど、これからもずっと応援してますね!
またメッセージ、待ってます!
それではまた。
追記
じつはモラハラというのは、日本人の国民病のようにも感じています。だって、日本という国は諸外国からモラハラされまくっていますよね?もうだいぶ前に石原慎太郎さんが「NOと言える日本」と言っていましたね。いま続々と明るみになる、あの時実はこんなことがあった、を知ると、そうなった謎が解けてきますね。でも、だからしかたないと諦めるわけにはいかないですよね。個人レベルにしろ国政レベルにしろ、支配からの脱却の方法は同じなのでしょうね。