「恐れ」に囚われてきた私が、「愛」を掴むには
昨日、こんな言葉を目にした。
ドキっとした。
そうだ。私は、常に「恐れ」を選んできた。
なぜ、「恐れ」を選ぶのか
小学生の時に周りの大人に言われたこんな言葉をよく覚えている。
「この問題、解けるよね?え?こんなことも分からないの?」
「97点か!あと3点はケアレスミス?もったいないね〜」
いつからか「絶対に正解しないといけない」「100点じゃないと失望される」といった無意識の恐れが行動原理になっていったのだと、今、振り返るとそう思う。
・本気にならなかった部活
・志望校を下げた高校受験
・A判定しか受けない大学受験
・いつまでも受け身な恋愛
・受かりそうな求人を探してしまう転職活動
年齢を重ねるにつれて、失敗への恐怖も魔物のようにどんどん成長していき、上手くいきそうなことしか挑戦できなくなった。
満足感を得られない「恐れ」
当時は、嫌な思いをしないための合理的な判断なんだと信じ(そして、言い聞かせ)、選んだ道を正解にする努力もしていた。実際に、受験には無事に合格したり転職先でも昇進したりと、ある程度成果も上げていた。
ただ、とにかく動機が後ろ向きだった。
そのせいか、目標をクリアしたとしても、
・もっとより良い実績を作らないといけない
・もっとスキルを身につけて成長しないといけない
新たな恐れや不安が次々と泉のように湧き出てては、安全そうな船に乗り換え、どんどん乗れる船が小さくなっている。
何を隠そう、それが今の私だ。
唯一私が掴んだ、「愛」の選択
そんな恐れに取り憑かれた"スーパーリスクヘッジ人間”の私でも、振り返ってみると、愛から選んだ行動もちゃんとあったようだ。
新卒1年目の23歳。持病の体調が悪化した結果、看護師を辞めなくてはならず、職を失って途方に暮れていた頃。
上手くできない自分がとにかく悔しかった。続けられない自分が恥ずかしかった。努力して成長している同期を勝手に羨んでは妬んで、見て見ぬふりをしていた。
たくさん泣き喚いてどん底の気分に落ちた後、ようやく「苦手分野」で働こうとしていたんだ、と素直に認めることができた。
・頭でっかちで手先が不器用
・たくさんのタスクを漏れなく暗記するのが難しい
・時間制限やプレッシャーのかかることに弱い
・方向音痴で、人の顔と名前がなかなか一致しない
一つ一つは小さなことだが、積み重ねると看護師にとっては致命的。なんで学生時代に気づかなかったのか苦笑いだ。
実はもっと得意なことがあったのかな。古い記憶を辿ってみると、個人HPのデザイン、パワーポイントでの資料作り、動画制作、ペイントソフトでお絵かきに熱中、、、
あれ?私、とにかくデジタルが大好きなんじゃない?
そして、IT企業に転職するんだ!と一大決心。次の日には、ITスキルを学べる職業訓練校に申し込んだ。得意分野を活かすことで自分を大切にしてあげられるし、社会の役に立つことでもっと幸せになれるに違いないと確信していた。
自分を愛するために勇気を出したのは、素直に「よくやったぞ」と褒めてあげたい。グッジョブ!
再び、「愛」を選べるようになりたい
29歳にしてようやく、自分の弱さを認められた。そして、愛を選んだ過去の自分にも勇気をもらえた。今後はもっと愛から行動できるようになるんじゃないか。そんな期待で少しずつ膨らんでいる。
ただ困ったことに、どんなことを「好き」で「楽しい」のか、またよく分からなくなってきた。ここしばらく自分の声に耳を傾けていなかったからかな(ごめんね、私)。
こうなっては仕方ない!根気よく総当たり戦で行こう!
ただし、行動原理は必ず「ワクワクする」「楽しそう」「面白そう」「やってみたい」という愛の気持ちで。
少しでも気になったことがあれば、小さなことから始めてみる
意味や目的などは深く考えず、とにかく続ける
しばらくして、楽しくなってきたらそのまま継続
もしワクワクしないのなら、執着をせずスパッと辞める
まずは、ライティングから挑戦だ。
「今より上手くならないと、仕事が無くなるかもしれない」という強迫観念から勉強していたが、noteを書いてみるとやっぱりちょっと楽しい気もする。
今日から100日間、毎日日記を書いてみよう。たまにサボるかもしれない。たまに1行の時もあるかもしれない。
それでもきっと清々しい気持ちと出会えることを信じて!
同じように「恐れ」を抱えている方に、少しでも力になれますように💐
#ちゃまり毎日日記 -DAY1