趣味がない人は「好き」を迎えにいこう
かの有名なキャッチコピー「カワイイはつくれる」と同様に、「好きはつくれる」はず。そして、好きであり続けるための努力と必要なんだと思う。
熱中できる「好き」がない
受験勉強が忙しくなって以降、だんだんと趣味に費やす時間が減っていき、大人になった今ではすっかり無趣味な私。
Instagramのストーリーで趣味やオタ活を楽しむ友人を眺めるたびに、羨ましい気持ちが湧いてくる。
何度も原因を考えたが、結局は以下の結論にたどり着く。
好きなことを楽しむ心の薪が無い
種火が生まれたとしても、好きという気持ちを起こし続ける努力が足りない
ある日突然、熱中できるものが目の前に現れてくれることを願っていたけど、待っていたって仕方がないのかもしれない。
「好き」が向こうから私を目がけてトコトコやって来てくれるのではなく、こちらから迎えにいく必要があるんじゃないか?
夢中になれる趣味を見つけ人たちは、きっとこの努力をしているんだろう(無意識かもしれないが)。
子どもの頃の「好き」をヒント
かつては、とにかく本に夢中な子どもだった。図書館に毎週のように通い、いろんな国の冒険を体験しては空想に耽っていた。
ということで、今週からNetflixでハリーポッターシリーズを一から見返している。
何の変哲もない感想だが、とにかく面白い!面白すぎる!
偉大なダンブルドア校長の人間臭いずるい部分も理解できるようになったし、スネイプ先生の愛と憎しみの混じり合った複雑な感情にも共感できる。
原作を買って読んでみようかな…
スタジオツアーにもう一回行ってみようか…
来月ユニバに行く時にハリポタエリアで何をしようか…
途端にワクワクで胸がいっぱいになってきた。
今後も色んな好きを自分から迎えにいって、火を絶やさぬ努力を続けてみよう。
おまけ
こんな本があるようだ。趣味がなくて悩んでいる私のような人間には、ぴったりかもしれない。