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生きるのが 嫌になる

昨夜、夫と喧嘩しました。
稀に見る 大喧嘩でした。
でも 最近、そういうことが多い。
結婚して20年が経とうとしています。
以前は 喧嘩しても勝てないと分かっていたので 自分から吹っ掛ける事は
無かったのですが、
今は 勝てない喧嘩だと分かっていても 鼻であしらわれると分かっていても
自分の思いは伝えたくて 喧嘩になります。

息子が5年生になりました。
勉強が 急に難しくなりました。
まだ 新学期が始まって たった2日で何を言う と 夫は言ってましたが
この2日で エラく息子が荒れています。

支援級で受けるはずの 算数と国語が 原級で実施されているのです。
春休み中の懇談も無かったので 先生方の意図が解りかねます。
それを聞く術も無いのです。連絡帳に書いても「様子を見ています」しか
書かれていない。不安になります。

夫の育った時代は 本当に のんびりしていました。
毎日 3時になれば 学校が終わりました。6年生になっても、です。
帰れば 宿題よりも農作業を手伝わされました。
電気代が高いから、早く寝ろと言われて ろくに勉強もさせて貰えず、
親を恨んで大きくなりました。彼が恵まれていたのは 成績も去る事ながら
周囲に先生をしている叔父や叔母がいて、奨学金の事などを教えてくれたから
でした。国立大学を出て 企業に勤め 定年になった後も 運よく再雇用。
「なんとか、なるさ」が持論の人です。
彼は 教科書を読めば理解できるという ある種 出来る人らしいのです。
だから 勉強の分からない人の気持ちは 理解できません。
「なんでこれが 分からないのか?」と言うのです。
大学時代 医者を目指す子供の家庭教師を クビになるわけですな。

「なんとか、なるさ」を 否定は しません。
でも 時代は 常に変わっているのです。

夫と10歳近く離れている私が育った頃は 
田舎なのに文科省(当時は 文部省)の決めた 実験学年とかで
都会の教科書を使ったり 先生が作った問題集などを解かされたり
大変でした。(答えが間違ってるんだ、これが)
中学生の頃は 都会の私立中学の問題なんかが 街の書店で売り出され
「これから受験するなら こういう問題が解けないと大学へ行かれない」と
皆が話しているような時代でした。つまり 極度に競争社会でした。
常に誰かと比べられ、常に何かに追い立てられ、常に都会の子供たちの様子を
事あるごとに先生に言われ、ハッパをかけられ続けました。
本当に大学受験は大変でした。でも 本当の受難は 大学卒業の時で
超が付く就職氷河期でした。
私は高卒で就職したので 売り手市場だったのです。たった4年で時代が
大きく変化したのです。

息子が高校受験の時から 試験内容が変わる、と告げられています。
新型コロナでガタガタしてるけど 着々と進んでいるらしい話を
同級生のお母さん方から聞くことが多いです。

うちの子は 障害があるので 普通に受験は無理だと思うんです。

何度もそういう話をするのですが、「障害があると優遇されるんでしょう?
羨ましいわぁ」と言われてしまって とても嫌な気分になります。
田舎の県立高校を受験するのに、優遇なんてあり得ません。
少なくとも 私が調べた範囲では 優遇なんてされません。
でも 発達障害の子には「合理的配慮」というものが法律で義務化されて
配慮しなさいよという事が 学校側にも求められている。

でもね

そんなもの、田舎の小中学校で 誰が知ってるんさ?
合理的配慮ってものの中身を知ってる 親も教師も どれくらい居るんさ?
皆無に近いよ。

だから 
前例が無いことを嫌い、初めてのことを嫌い、特別扱いになる事を嫌い、
結局は 子供たち自身が我慢して我慢して 周囲に合わせるために
必死に努力して その結果が 不登校です。
田舎で不登校したら 本当に 苦しいと思います。
今は インターネットで 自分の努力次第で 大学の授業だって受けられます。
でも
インターネットを使い続けられる、Wi-Fiを設定して 料金を払い続けられる程の
収入を得ている田舎の人間は 少数です。
ここは それくらい 田舎です。
それくらい 格差があります。

ずっと 都会の人と同じ水準の学習を 維持するなんて辛いです。
ずっと 都会の人と同じ水準の教育費を掛けるなんて 辛いです。

諦める事の大切さと 身の丈にあった学力を身につけるしか無いんだという
現実と向き合う毎日で、体も心も ズタズタです。


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四葉と話すネコ
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