
平成生まれの私が幸せに生きるヒントは、昭和のおばあちゃんにあった。
プロフィールに
平成生まれの私が幸せに生きるヒントは、昭和のおばあちゃんにあった。
と書いているのですが、なぜ「平成生まれの私が幸せに生きるヒントは、昭和のおばあちゃんにあった。」と書いたのか、この記事で書きたいと思います。
1.競争社会で必死に生きていたら限界が来た
私は、海外出張で飛び回ったりする働きマンなお父さんのもとで育ちました。私自身も、そんな父に憧れて、都内の国立大に入って、大手企業の総合職に入って、バリキャリになる道を追いかけていました。
ですが、今思えば、それらは全て自分の気持ちを置き去りにした選択で。
実は、小学生から自分の気持ちに蓋をする癖があり、「世間的には、これが正解なのかな?」という基準でいつも選んでいて。
いつもいつも苦しくて、自分の本当の気持ちを抑えるかの如く、20年以上過食症を患ってました。
(自分の意思で生きてないから、)私って生きてるんだか死んでるんだかわからない、生きる屍だな。小学生の時から、ずっとそう思っていました。
自分の心の声も、体の声も無視し続けているので、そんな生き方をしていたら、当然、どこかで心身共に限界がきます。
それが会社員の時でした。
もうこれ以上、自分に嘘をつき続けることができない。どうせ死ぬなら、生きてる間に自分の人生を生きてみたい、と思うようになりました。
2.自分の人生を歩み始めたけど…
そして、退職後の今は半分主婦、半分は個人事業主として細々と暮らしています。
でも、個人事業主になってからも、「会社員時代より稼げていない自分はダメなんじゃないか?」「もっと社会的に成功しないとダメなんじゃないか?」と、1ヶ月に何回かは強迫観念的に自分を責めていました。
その度に「いやいや違う。私はそうじゃない価値観を大事にしたいんだ。」って、対立する価値観がせめぎ合っていたんです。
先日、いろいろなきっかけがあって、ついにそのせめぎ合いが「「「ブワーッ!!!!」」」とやってきて、コップが溢れるごとく、涙が止まらなくなりました。笑
自分でもびっくり。
結論としては、私、お父さんみたいに海外出張で飛び回るようなかっこいいキャリアウーマンになりたいわけじゃないってこと。
その代わり、「おばあちゃんみたいになりたい」っていうのが出てきて。
3.私にとってのおばあちゃんの存在
自分でも驚きました。
「え、なんでここでおばあちゃん出てくるんだろ?」って。笑
でも、その原体験を思い出したら涙が止まらなくて。
私、おばあちゃんちにいくと、なんにも言われてないのに「ありのままのゆうこちゃん」を受け止めてくれている感覚があったんですよね。
私が戦っている学校や会社とは全然違う空気が流れてる。
スピードもゆるゆる〜。
大量生産・大量消費の社会なのに、おばあちゃんの家は古いものを大事に使っていて。
IT化・効率化の社会なのに、おばあちゃんの家はアナログで。
でも、私にはそれが「時代遅れ」に見えなかった。
むしろ「忙しそうな世間に合わせなくたっていいじゃない。」って言われているような気がして、いつもおばあちゃんの家はホッとした。
前の私は、ピラミッド社会で向上していくしか生きる術がない、といつも必死で頑張って、自分を守っていた。
その一方で、おばあちゃんは主婦(というか年金暮らし)。
おばあちゃんの家に行くと
「このボールペン、書きやすくて気に入ってるのよ〜」とか「最近、このスーパーのこれが美味しくてよく食べるのよ〜」とか教えてくれてたけど。
実は、当時の私は、「そんなこと!?」って思ってた。
「楽しみって、話題のお店行くとか、雑誌に載ってるようなものを買うとか、そういうことじゃないの?」って思っていた。笑
でも一方で、そんな些細なことで喜びを見つけるおばあちゃんがどこか羨ましかった。
「ゆうこちゃんは偉いねえ、私は社会に出て働いたことがないからねえ。」と祖母に言われたことがある。
当時の私は「別にすごくないよ。」ってぶっきらぼうに答えるだけだった。でも、今生きてたらこう伝えたかったな〜。
—
ううん、おばあちゃん、こうやって私をありのまま受け止めてくれてることに、どんなお金にも変えられない価値があるよ。私はそんなおばあちゃんが大好きだよ。心から尊敬しているよ。
おばあちゃんみたいに、世間的には地味でスポットライトが当たらない人生だったとしても、日常の些細なことに楽しみを見つけられる人が私は好きだよ。
私さ、私みたいに外の世界で疲れた人が来た時に、いつでも話を聞いてあげられるような時間の余白を持っていて、一緒にいるとその人がホッとするような、そんな人になりたいんだ。
—
私にとって、おばあちゃんがこんなに大切な存在だと気づいたのは、ここ数ヶ月の話。おばあちゃんが亡くなってから数年後。
私が、おばあちゃんの家にあった着物を着るようになったのも、古いものに心惹かれるのも、おばあちゃんの家がホッとする、そういう原体験があるからなんだと思います。
そんなわけで、おばあちゃんをお手本に、昭和な暮らしを半分取り入れつつ、試行錯誤している日々をnoteに綴っております。
ここまでお読みいただきありがとうございました。