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母の存在は生きる活力、心の拠り所

命を託されていることに有り難さを感じた1/17という日に命のバトンリレー、親孝行と子供孝行ができました。

息子の授業公開デーに母親を連れて行く事ができました。

子供の授業参観で小学校を訪れるという体験は40年ぶりくらいで懐かしいかなと思い、誘ってみました😄

二世代授業参観、めっちゃ良かったです🤩✨

 参観をきっかけに、普段あまりすることのない子供時代の思い出話をすることができました!!

娘3人分の授業参観を体験しているはずの母親の記憶が蘇ってくるかなと思いきや、授業参観の記憶は出てこなかったようです〜😅

これが母の尊敬するところでもありますが、『今を生きる』母は、過去の出来事を覚えていないことが結構よくあります。

そんな母を物覚えの悪い人と思ってしまってましたが、そうではなく、アップデート力がすごく、新しいことをどんどん取り入れる人だったんですよね🤩

母のパワフルさを今は尊敬しています😊✨️

授業参観の記憶は蘇ってきませんでしたが、それでも母の中で強く残っているものもあり、私の子供時代の話だけでなく、母の子供時代の話も聞くことができました。

ふと、私から出てきた母への質問。

『お母さんにとって、
人生で一番辛かったことって何?』

私の予想では離婚かな?
って思ったんです。

子供ながらにとても
辛そうで大変そうに見えたから。

「う〜ん。やっぱりお母ちゃんが亡くなったことかなぁ。(傷が癒えるまで)5年かかった。」

『え?そんなに?おばあちゃんのこと大好きやったんやね。めちゃくちゃおっきな存在やったんやね!』

「うん。そう!大好き♥
そうね。おっきな存在やったね。」

母が祖母の話をしていたという記憶が、私にはあまりなかったので、意外でした。

「子供の頃はお母ちゃん子で、いっつも金魚の糞のようにお母ちゃんの後ろにくっついて隠れてるような子やった。(私も)子供ができて、くっついてきてくれるかなと思ったら、子供同士3人で遊んで、誰もくっついてきてくれんかったわ~。お母さんひとりっ子やったからなぁ。」

あ!記憶の認識エラー起こってるわぁ。

私の記憶だと、幼稚園児の時、私は他の子たちとは遊ばず、子供の頃の母と同じように母にくっついて隠れていたということを記憶しています。

そんなある日、
いつものように母にぴったりくっついていると、

「コレ!外でベッタリしなさんな!
お友達と遊びなさい!!」

と言われ、引き離されたことで、

私は〘母に拒否された〙と思い込み、その記憶をず〜っとリピート再生しながら覚えていました。

(と言いつつセリフは覚えてなくて、こんなことを言ってた気がする。記憶ってほんと曖昧だなぁ。)

母も私もほんと、自分の都合いいように、自分の中で記憶をリピート再生してるだけなんだなぁって思いました😅

【母の話から学ばせて頂いたこと】

子供にとってお母さんの存在ってやっぱりすごい大きな存在なんだなぁと改めて思いました。

お母さんの存在を失う。
なくなると考えると、大人でも立ち直るまでに5年かかるくらい精神的ショックを受ける。
(私の母の場合)

そのくらい母親の存在というのは、心の拠り所として、生きる活力となっているんですね。

何をキャッチしたのか、最近息子が

『もしもお母ちゃんがいなくなったら』

ということを想像して急に泣き出したということがありました。

息子を抱きしめながら、頭をさすりながら

「今は心も体も別々やけど、母ちゃんの体がなくなったら、心は鉄児とひとつになるんやで。母ちゃんの心は鉄児の中で生き続けるからな。だから、大丈夫なんやで。」

と伝えました。

本当のことはわからないけど、未熟な私が今息子に話すことのできる精一杯の話をさせて頂きました。

これからも真理を求めて学び体験させて頂きます


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のんまる
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