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#2【誰からも信頼されないまま、自分の人生をただ消費している感じがする】
【#2 相談者さん】
・水谷さん(30代男性)
・一級建築士
・占いに苦手意識があったけど、友人にすすめられて申し込む
・向上心も実力もあるが、一歩を踏み出せず人生が停滞している気がする
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「こんにちは。占いってすごいですね。ジブン説明書(鑑定書)すごい当たっていました。」
それはよかったです。ありがとうございます。
「ちなみに僕の職業は占いでわかるんですか?」
それはわからないですけど、イメージはわいてきましたよ。例えば、水谷さんの場合、学生期間が長かったんじゃないかなとか。
「すごい!それはどんな?」
当たってますか?そうだな。大学院に行ったのかもしれないし、留年したのかもしれないし、大学進学や卒業がストレートではなかったかもしれないなとか。
「すごいですね。僕は高校卒業後に入った大学を1ヶ月でやめると決めて、大学に入り直して、大学6年生で卒業しました。その後は働きながら大学院にいきました。大学院っていっても、マスターですけど。」
へえー!入り直してさらに大学6年生ですか。星の通りに生きてらっしゃいますね。
「ちょっと嫌ですけど、面白いですね。」
でも、もしも水谷さんに『ぼくは学校にほとんど行きませんでした』と言われても、その通りな感じもするんですよ。
「面白いですね」
バックパッカー的なイメージというのかな。大学ってやりたいことが決まっている人にとっては大学って自由に没頭できる時間だけど、自分の興味が定まっていない人にとっては「さすらい」が許される期間でもあるじゃないですか。
「面白い。確かに大学進学にこだわらなくてよかったなら、もっと世界中を旅したかったですね。」
大学受験を何度かして大学に6年通って、その後に大学院となると学費が凄そうですね。思わず親の立場で心配してしまいました。
「はい、苦労をかけましたし、親は呆れていましたよ。」
一般的な価値観で言うと、『大学に進んだ方がいい』『大学院までいったなんて立派ね』というのがあるじゃないですか。でも星から見ると関係ないんですよ。偉い博士だろうが、自由なさすらいの人生だろうが、立派な資格をとっていようが、家で漫画読みながら寝ていようが、浪人していようが留年していようが『ここではないどこか遠くへ行きたい』という人生を生きているのなら、それは宇宙から見たら全部同じです。地球生活でどれくらいお金がかかったかなんて宇宙では関係ないって言ったら、怒られそうですけど。
「面白いな。確かに僕はずっと、『ここではないどこか遠くへ行きたい』と思って生きてますね。」
ちなみに、水谷さんは『すごい珍しい資格とか難しい資格を持っているけど、車の免許は持っていない』みたいなイメージもあります。
「僕は一級建築士なんですけど、運転免許ないです。上岡さん、占い師になってくれてありがとうございます。」
占いが苦手だったのに、好奇心をもってここに来てくれてありがとうございます。
「僕の人生を肯定してもらえて嬉しいです。」
肯定も何も、そのまんまですねって感じでこちらが勇気をもらいました。それで、今日は何について聞きたいですか。
「そうですね、僕はこのまま、ふらふら生きて死んでいくのかなって思っていて。」
地球上から見たらどうしても『遠回りしましたね』って見えちゃうことはあるんですけど、星から見ると順道だったりするですよね。遠回りでも迷い道でもなんでもなく、順道。いま、20歳くらいの時と似たような体験をしていませんか?
「まさに。20歳くらいの時も彷徨っていました。やりたいことが見つからなくて。周りが無難に単位をとってバイトして彼女つくって、というのをみていて、『自分は???』となることが多かったですね。今も『一級建築士を取ったら次は・・・』みたいなストーリーがあるわけですけど、なんとなく乗り気がしない。」
20代の時とはまた違う質感の悩みでしょうね。目的が定まらないような漠然とした不安を繰り返している一方で、目標にむかって没頭する充実感も既に体験して知っているから。
「そうなんです。『自分もやればできるんじゃん』って経験をしているからこそ、いま何もできていないことに、なんだろう・・・虚しくて。」
・・・人生を消費しているような焦燥感?
「そうかもしれないですね。あー、このまま終わってしまうのかな・・って。せめてまともな人間になりたくて、もう一度大学院にいって、今度はドクターをとろうかと思っています。」
なんでですか?
「まあ、このまま、ここにいても仕方ないかなって気持ちが強くて。」
さっき大学進学にこだわらなくていいなら、本当は海外に行きたかったって言っていたので。他にも、変化をうみたいなら独立するとか起業するとかあるじゃないですか。そういうのが得意そうな気がするし興味もあると思うんですけど、時期尚早な感じですか?
「時期尚早というより、このまま誰かが作った誰かと同じようなストーリーを歩いたところで、楽しくない感じがするのかな。」
起業って『道なき道を作る!』みたいな情熱だと思うんですけど、楽しそうには思えないですか?
「うーん、なんだろう。その選択は認めてもらえない感じがするのかな。」
誰に?
「奥さんに。」
なんて言われそう?
「またあなたは。」「早くまともになって。」
お母さんにも同じことを求められていた感じは、ないですか?
「あります。『普通でいいのよ。頭も良くて頑張ればできるんだから、みんなと同じように普通にやればいいの』って。」
でも結構愛されて育った感じですよね?
「そうですね。自分のことを否定することもないし、可愛がられていたと思う。だけど・・・」
だけど・・・?『愛されていたけど、自分のことを信頼していなかっただろうな?』とかですか?
「わー・・・そうですね。母親は僕を信用していなかったでしょうね。」
否定されることなく愛されていた感じもするけど、そこには信頼がないカンジなんですね。水谷さんの世界では『自分はどうせ他者から信頼されていない』っていう大前提があって、『じゃあどうしたら信頼されるかな?』と無意識に選んでいることはありませんか?
「その通りですね。母親や奥さんだけじゃなく僕は誰からも信用されていない感じがありますね。」
それはどうしてですかね?「どうせ僕は◯◯なので、もう信用しないでください」って言ってみてください。
「あー・・・・『どうせ僕はあなたの期待には応えられないので、もう僕を信用しないでください』ですね。」
ありがとうございます。でも本当は信頼されたいじゃないですか。信用と信頼は違う意味の言葉なんですけど、わかりやすくここでは『信頼』という言葉で考えてみましょう。水谷さんは本当は『信頼関係で人と繋がりたい』『当然、人と人は信頼関係で繋がっているはずだ』って思っていますよね。
「はい、思ってる気がしますね。」
それなのに、なぜか、『大事な人からも信頼されていない自分がいるぞ』ってカンジですね?
「・・・いますね。おかしいなって首を傾げてますね。」
だから自分なりに精一杯『他者の期待に応えよう』と思っている自分がいますね?
「います。」
そうですね。水谷さんは『精一杯、他者の期待に応えれば、自分は大事な人と繋がれるはずだ』という信念をもっていますね?
「持ってますね。」
ありがとうございます。水谷さんがもっと自分らしく自由になるために、ここをもっと詳しくみていきましょう。
私がどんなに『水谷さんにはこんな才能が、こんな可能性があります』ってお話をしたところで、『でも、それだと他者の期待に応えられないので、無理です。期待に応えられないと、自分は誰とも信頼関係でつながれないので!』って叫んで拒否するカンジになっちゃうんですよ。
これをやめて、人生を消費している感じから抜け出せたらいいなって、思いませんか?
(つづく)