小説を読む意味
久々に、長編小説を読みました。
わたしたちが生きる現実世界で実際に起きた事件をモチーフにしつつも、独自の展開で書き進める柚木さんの手腕たるや!
小説を読む意味
夏休み恒例、書店で展開される出版社の文庫本祭りに単純に乗っかって(笑)、ずっと気になっていたこの小説を手に取ったわけですが。
最近はもっぱら、自己啓発や実用書、ライフハック本を中心の読書になりつつある私。
小説って、「別の人生を生きられる」とか、「想像の翼を広げられる」とか、いろいろ言われますが――この本を手に取った瞬間も「そういうのは、いま特に求めていないなぁ」というのが正直なところでした。
で、実際どうだったか。
日常は、自分が主役のステージで生きるものだから、自分が地軸にいる。
けれど小説を読むと、その地軸を足元から崩されるんですよね。
もちろん、それは虚構ではあるのだけれど、パラレルワールドの存在に気づかされるような。
日常のシーンを全く別の角度で切り取っていたり、解釈が加わったり。そこに豊かな表現があったり。
今まで無関心なまま見過ごしていたもの、無意識で行ってきたことに意味が加わったり、まったく新しい目線を与えてくれたりもする。
それは、ライフハック本にあるような「AはBだからCですよ」と論理立てて説明されているようなものではないし、即効性があるような話ではないけれど――即効性がないからこそ、ふとした瞬間に生活と文章の描写がふと重なって、これまで自分の見方・やり方一辺倒だった人生にじんわりとしみ出してくる。何気ない数秒が、ふくよかになる。
これが人生の「豊かさ」「厚み」ってやつなのか……と、今更ながら自然に理解できた気がします。
人生を長い目で捉えてみる
ついつい、何につけても「自分の日々にいかにフィードバックさせるか」を考えてしまいがちな今日この頃。
限られた時間で、瞬間の質を高めていくためには、即効性があると安心だから、ついついそちらにひっぱられてしまう。
切り花を買ってくれば、その瞬間から花を楽しむことはできるけれど――枯れるのは早い。
その都度、新しい花を買ってきて生け続けない限り、花を楽しみ続けることはできないんですよね。
小説は、種蒔き。
自分の内側に種を蒔いておくと、忘れた頃にひょっこり顔を出した芽や花に気づく。
じんわり長く、自分の人生を彩ってくれるもの。
それは結局咲かないかもしれないけれど、それを育てた経験も自分の中に蓄積される。
1日10分でも、人生をいつもよりちょっと長い目で捉えながら、小説の世界にどっぷりつかってみる。
すると、数字では測れない人としての面白みがきっと増すのでしょうね。
――いや、そういうことでしか、人としての面白みを増すことができないのだ!という方が、正しいのか!