30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象10 クリミア半島2 船からコクテベリ
以前のクリミアの地図 から。
赤い星の右から2番目が コクテベリ Коктебель ↓
コクテベリという町の紹介
Wikiによると
1945年まで コクテベリ
1992年まで プラーネルスコエ
つまり、元の名に戻ったが
訪問時30年前、’93年には、
プラーネルスコエと言っていた。
まだ浸透してなかったようだ。
↓ Wikipedia
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D0%BE%D0%BA%D1%82%D0%B5%D0%B1%D0%B5%D0%BB%D1%8C
Wikiでは英語版の方に有益な情報が出ていた。
「文学協会で最もよく知られています。 ロシアの詩人マクシミリアン・ヴォローシンはここを住居とし、マリーナ・ツベタエワ、オシップ・マンデルシュタム、アンドレイ・ベリー(そこで亡くなった)を含む多くの著名なゲストをもてなしました。 彼らはすべての注目に値する詩をコクテベルで書きました。 コクテベルに住んでいたもう一人の著名な文学者は、キエフの反ユダヤ主義暴動から逃れながら 1919 年頃にそこに住んでいたイリヤ・エーレンブルクです。」(Google翻訳)
「コックテベルは現在、通常 9 月中旬に開催されるジャズ フェスティバルでもよく知られています。」(Google翻訳)
「キョクトーベルという名前はチュルク語に由来し、クリミア・タタール語で「青い丘の地」を意味します(「空の青」を意味するkökと「丘」または「山」を意味するtöbeを組み合わせた接尾辞-elで構成)。」(Google翻訳)
Wikiで言及されているジャズフェスティバル
コマーシャル的な
ニュース
https://www.youtube.com/watch?v=fFmQGf9YH4E
こんな感じの例
https://www.youtube.com/watch?v=g2r9wP3_EKc
英語版 Wiki ”コクテベリ” 中に紹介されている映画
「コクテベリへの道」
https://en.wikipedia.org/wiki/Roads_to_Koktebel
映画の紹介(ロシア語)
https://web.archive.org/web/20150531113344/http://2011.russiancinema.ru/index.php?e_dept_id=2&e_movie_id=9380
映画の予告編
https://www.youtube.com/watch?v=dqpurk_vTQw
映画本編、字幕なし
https://www.youtube.com/watch?v=jrG_wEBvkcw
キエフでこの町の名を教えてくれた人は、
文学で知られている町と言っていたので、
今回はWiki英語版の方が役に立った。
町の紹介動画が見つからず、
話も長いが街も見れる旅行videoを念の為。
https://www.youtube.com/watch?v=REGRPd5BioI
コクテベリの別の顔
” クリミア旅行ポータルサイト ” ↑
…で見たら、”コニャックの国” ⁉ の写真 ↓
( そういえばコクテベリの名前は「カクテル」に似ている。
お酒つながりでw ) → 関係ありません><
下のサイトからブドウ畑とお酒の工場の写真が沢山見れる。
お酒の町だったのか… 知らなかった。
https://travelcrimea.com/longrid/20190929/486456.html
(ロシア語)
” 何かで有名 ” と聞いた時、聞き逃したので、
この町に寄ることにしたのだが、お酒だったとは…ww
(→ 違います! 作家や文学で有名。上の英語版Wiki参照)
その他。海水浴場にこんな場所が…
YouTubeで動画を探している時に見つけたのだが、
ヌーディストの為のビーチもあるようだ。
次の動画は女子大生(youtuber?)が、
様子をチラ見してしまったリアクション入り。
https://www.youtube.com/watch?v=G9NKUdzxXZ4
ヌーディストビーチ自体はあちこちにある模様。
オデッサ、キエフ、の関連動画が出てきたので参考に。
https://www.youtube.com/watch?v=Z1RewukeNvk
https://www.youtube.com/watch?v=Xyj-Z8WQ2lQ
旅の続き・・・↓ ↓ ↓
フェオドシアからコクテベリの船
フェオドシアからコクテベリまで
予定外に乗ってしまった船。
下のサイトから、
小ツアー旅行していた人の行程表では1時間とある。
https://acvazul-v2010.tourister.ru/photoalbum/33578
当時もそれくらい掛かったと思う。
地図で確認
上右がフェオドシア(紫色の丸)
左の長くなだらかな湾にコクテベリ(水色丸)
↓フェオドシア
地図の右上の黄色の☆の岬に灯台↑
左の ↑ 広い湾にコクテベリ
3つの黄色の☆は紹介する岬の位置
出航
その日は天気で、波も穏やかだった。
偶然に乗った船で約1時間の航行。
予期せず、海上からの雄大な光景を
目にすることになる。
事前に地形は確認していなかった。
絶景が待ち受けている事も知らず。
海上からの忘れえぬ絶景
ネットから集めた写真を
ルートに沿って順番に並べて、
小さなクルーズを再現してみる。
イリヤ岬 Мыс Ильи Mys Illi
キイク・アトラマ岬 Мыс Киик-Атлама Mys Kiik-Atlama
この大きな岬の外側を
小さな船でぐるっと回った。
水上でふと思った。
”もし海に落ちて死んでも
家族や友達も知らないままだろうな。”
(もちろん乗船名簿などない)
キイク・アトラマ岬を越えて
次の出っ張り。
次のカメレオン岬はクリミア半島でも有名らしい。
船は割と近くに寄せて見せてくれた(ように思えた)。
目の前に見た雄々しい岩肌が目に焼き付いている。
カメレオン岬
Мыс Хамелеон ミス・ハメレオン Mys Chameleon
崖の上から海まで続く
ごつごつの裸の岩肌…。
何故カメレオンなのか下の写真を見ると分かる。
形もだが色も変化する。
ほとんどが岩だからか
その性質(成分?)のせいか、
大きな植物も見えない。
建造物も灯台くらいだった。
写真の多くはこちらから↓
googleマップで、どなたかが作成した
”Все мысы Крыма” (クリミアの岬) 地図
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1aPLBCRxjiST67pZlMdNcTMGKunw&hl=en_US&ll=44.985226700442446%2C35.3373290519417&z=13
↑ ここから美しい風景が見れる
(Google mapでクリミア半島を表示し
”мыс” を入れるだけでも沢山写真が見れる)
動画で旅
船からの動画は適当な物が見つからず
家族のムービー的なこの方のを拝借。
自分とは逆向きの航行。
https://www.youtube.com/watch?v=0FuLDk4UTnA
フェオドシアからコクテベリ海岸線徒歩の旅
https://www.youtube.com/watch?v=DDEkO7CYtwU
https://www.youtube.com/watch?v=BZ1E9bPnZCE
美しい映像なのでお借りした。
(ただ、作者のチャンネルを見ると、少々ヤバそうだ)
残念なことにカメレオン岬は崩壊しつつあるらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=XF74EFmUhcE
自分はフェオドシアから西に進んでコクテベリまでだが
コクテベリからさらに西の方面にはこんな奇岩群も。
https://www.youtube.com/watch?v=JLEoXV9xInc
(伊豆半島の南西部の風景が少し思い浮かぶ)
クリミアの植物も生えない土地は、
小学校の授業で習ったカルスト台地に似ている。
(それ以来、秋吉台を訪ねることを50年夢見ている…)
コクテベリにて
コクテベリの船着き場へ到着したのは夕方頃。
船着き場から海岸通りへ。
日の傾いた海岸通りを歩きながら思う。
文学作品の中にいるようだ。
・ ・ ・
だが風景に酔いしれてはいられない。
暗くなる前に
何が何でも、まず宿泊場所を探さねば。
ホテル探し
そして時間が遅めなので、
取るものも取り敢えず
近くのホテルと名の付く場所へ。
(うろ覚えだが、
ソ連時代の立派な中層ホテルだった気がするので
他の町と混同しているかもしれない。
小さな町に大きなホテルはあり得ない気もするし。
で、地図上で探してみたが、
30年で変わっているし、記憶もあいまい。
この辺りとしか分からない。)
海岸から一番近いホテルに入り
フロントのおばさんに
「今日一泊できますか?」
と聞くと、予想通り一杯だった。
「近くの通りに民宿がいっぱいある所があるから
そこで聞いてごらん。」
と心配顔で教えてくれた。
「もし見つからなかったら、
ここのロビーで寝てもいいわよ。
女の子が外で寝るなんてかわいそうだから。
本当はダメなんだけど、
今日は私が当番だから許可するわ。」
何て親切なんだろう。
ありがとうを言って、
教えられた民宿のある通りへ。
民宿通り
民宿通り(仮名)は
人がすれ違えるほどの狭さで、
路面はコンクリートでなく土だった。
道沿いは「海の家」的な簡易な建物が
両側に並んでいた。
木製の低い柵が通りと建物を隔てていた。
各民宿へ通りから入ると
壁はあるが土間になっている。
土間で調理したり集まる場所があるらしく、
にぎやかな家族の声があちこちから聞こえた。
後で、その奥にちゃんとした家があり、
そこはもちろん土間でなく床だ、と分かった。
拾われる
その民宿通りへ入る。
少し先に4人のおばさん達が
立ち話をしているのが見えた。
道はかなり狭く、ほぼ幅いっぱい。
自分が近づくと
自動的にこちらを見たので、
「ちょっとお聞きします、
今日泊まれる所を探していますが…」
おばさん達は、困り顔で
「あら、うちはいっぱいよ。」
と口々に言う。
その中の一人が
「今日だけなの?ひとり?」
と聞いてくる。
「じゃあ、いいわ、
娘の部屋に簡易ベッドがあるから、
そこで寝なさい。」
(ああ良かった!助かった。)
「ありがとう!一泊いくらですか?」
「娘の部屋だからからタダよ。」とにっこり。
「・・・・・、ありがとう!」
(当時、自分は若くないけど学生だった。
本当にロシア語練習中の学生ではあったが
社会人もしばらく経験した後の学生だった。
東洋人は若く見える。おまけに童顔なので
お母さんは娘と同じくらいだと思ったのかもしれない。
騙したつもりはないが…。)
大学生のワーリャ
大学生の娘さんワーリャも気さくで、
喜んで相手してくれた。
外はすでに暗かったが
ワーリャに散歩に誘われた。
暗いながらも町を歩き回って
町のすべてを見せてくれた。
その後、友達のお店(バー)で
アイスをごちそうしてくれた。
青空ディスコ
近くの広場でディスコやってるから行こうよ、
とのこと。
網風の柵で囲まれたテニスコート程の広さの敷地で
奥がステージになっていて、
通りに面した反対側は解放されていた。
誰でも入れて、すでにたくさんの人が踊っていた。
屋外なのに、
爆音での音楽も、何色もの光も
ちゃんとディスコだった。
ロックのリズムに乗って楽しく体を動かすと
1日の疲れも吹っ飛んだ。
人生でその経験が10回もないディスコ。
新宿以外では、クリミアのコクテベリだけだ。
文学で有名な場所
帰り道、古風そうな鉄柵が続いている通りを歩いた。
そこは裏手に当たり、表へ回ると海岸通りで見た屋敷だ。
ある詩人の住んでいた住居で、現在は博物館になっている。
有名な作家、詩人、芸術家たちが集まったという場所。
これがコクテベリの名が知られる
”文学で有名な場所” だ。
(ここが、この町に来た理由でもあったが、
肝心な誰かを聞き逃したため直接来た。)
↓ ↓ ↓
今回のこの手記の最初に記したWiki英語版より、
再び引用の為、上と重複している。
「ロシアの詩人
マクシミリアン・ヴォローシンはここを住居とし、
マリーナ・ツベタエワ、
オシップ・マンデルシュタム、
アンドレイ・ベリー(そこで亡くなった)を含む
多くの著名なゲストをもてなしました。
彼らはすべての注目に値する詩をコクテベルで書きました。
コクテベルに住んでいたもう一人の著名な文学者は、
1919 年頃にそこに住んでいたイリヤ・エーレンブルクです。」
(以上、上からの引用)
でも自分の文学の知識が少ないため
マリーナ・ツベターエワしか知らなかった。
ワーリャは説明も沢山してくれた。
自分の町を紹介するのも嬉しかったんだろう。
https://yandex.ru/maps/-/CDQ5ZV~1
長い1日
長い1日だった。
朝、オデッサからの夜行列車で
シンフェローポリに到着し移動、
昼、フェオドシアで博物館を見て、
夕方、船に乗って感動の自然の風景を体感し、
薄暗くなってこの町に到着し、
人々の親切に助けられ、
ディスコにまで連れて行ってもらって
ワーリャの部屋で眠りにつこうとしている。
帰宅してから
部屋でも、
横になってからも
おしゃべりしていた。
が
疲れて爆睡したと思う。
※折りたたみソファベッドは
一人用ソファを伸ばして(広げて)使うタイプで
ソ連では一般的で各家庭にあったようだ。
キエフで最初に泊まった家も
オデッサで泊めてもらった家でも
それを使わせてもらっていた。
便利だし、寝心地も悪くない。
~ ~ ~ ~ ~
翌朝コクテベリを離れる
翌朝、博物館が開くより前の時間に
次の町スダック行きのバスに乗るため、家を出た。
ワーリャはバス停まで一緒に来て
見送ってくれた。
後悔
だが、何という事か、
何故かワーリャの住所を聞かなかった。
名字すら知らない。
だいたいの場所は
海岸と垂直(直交)している細い通りであり、
船着き場より東側だった事。
Пляжная улицаかな
Лазурная улицаかな
と現在の地図を見て思っている。
「今度モスクワに行く」と言っていたので
自分のその時住んでいた電話番号を教えたが、
次の5月までしかいなかったし、
家を空けている時も多かった。
ワーリャとお母さんは今頃どうしているんだろう。
探しようもない。
残念だし、申し訳ない。
ここに書くことで、忘れていないことを証明し
罪ほろぼしとしたい。
アイヴァゾフスキーの絵
コクテベルの海が
Twitterで紹介されているのを見つけた。
(ロシア大使館のツイート)
https://twitter.com/RusEmbassyJ/status/1106379289421709312?s=20
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