スヴォボダ党に関して2、日本のメディアでは沈黙の事実、補足・資料集め
前回ウクライナの政党、スヴォボダ党に関して投稿した。
情報が少なかったので、検索エンジン”duckduckgo”で、念のため検索し直すと、日本語でもさらに多くの情報が引っ掛かった。このページにそのリンク先を置くことにする。
但し、スヴォボダ党のそのものの説明というよりは、スヴォボダ党とアメリカやマイダン革命との関わりの記述が多い。特にアメリカとの深い関係が興味深い。
この話題は日本のメディアでは沈黙のため、外国語からの記事がほとんどである。
引用した記事にはその旨 記載しているが、部分的だと主旨が変わることがある為、出来れば引用元で筆者の意図を直接 読み取ってください。
日本語へ翻訳の外国記事
英語から翻訳されたもの
オバマとバイデンがウクライナにネオナチを設置した方法
2022年3月12日
「これは善と悪の物語ではありません。それは、腐敗した政府が利己心を競うために冷酷に戦っている一方で、一般市民がその結果に苦しんでいるという話です。」
全米民主主義基金(NED)、悪名高いCIAの最前線、ソーシャルメディアを利用するための訓練を受けた活動家ジャーナリスト、抗議を支援するテレビ局への資金提供、町外からの多数の抗議者のバス輸送などの米国の組織。 NEDは最近、ウクライナでの資金提供プロジェクトの記録を削除しましたが、アーカイブされたWebページはここにあります。
(マイダン革命の記述↓)
マイダンとして知られるキエフの独立広場での非暴力的で平和的な抗議として始まったものは、岩石、バット、金属棒、ブルドーザー、火炎瓶を使った警察や政府関係者に対する暴力的な攻撃へと急速にエスカレートしました。
西側のメディアは、これらの抗議は平和的で草の根のデモであると主張しましたが、武器を掴み、政府の建物を乗っ取り、暴力の激化でウクライナの街路を血まみれにしたネオナチの部隊については言及しませんでした。 このエスカレーションの一例は、オリバー・ストーンのドキュメンタリー「ウクライナ オン ファイア」で取り上げられています。2013年11月30日、米国国務省と緊密に連携しているウクライナのスタッフチーフは、毎年恒例のクリスマスツリーを建てるために抗議者を街頭から排除するよう命じました。警察が到着したとき、彼らはウクライナの右派セクターの非常に攻撃的でよく組織された一派に会いました。そして、それは警察に平和的な抗議者に対する暴力的な反応を引き起こしました。予想通り、これはより多くの不安と暴力をもたらし、それは米国上院議員ジョン・マケインの抗議への支持によってさらに煽られました。
(参考:次の部分はこのページ下の「noteの記事」の「ウクライナ危機 : 流出したヌーランドとパイアット通話の記録」 に記載されている。)
ビクトリア・ヌーランド国務次官補は、ウクライナの新政府を計画しているリークされた電話に巻き込まれ、「ヤッツ[アルセニー・ヤツェニュク]が男(適任)だと思う」と言って、「これを地位に付ける」方法について話し合っているのを聞くことができます。ヌーランドは、彼らが協力していたリーダーの1人として、スヴォボダのチャフニボクに言及しました。
電話での会話は、表面上はウクライナのオバマ政権を代表する最高位の米国当局者とウクライナ駐在米国大使が、外国の正式に選出された大統領に対して米国大使館内からクーデターを明確に計画していることを明らかにした。
音声が漏れてから1か月も経たないうちに、ヤツェニュクはウクライナの次期首相になりました。
(以下略) スヴォボダ党について中程で言及
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ウクライナのために戦うネオナチは本当にいるのか? まあ、そうなのだが、話せば長くなる
2022/03/15 機械翻訳?が少し読みにくいかも。
「プーチンはウクライナを「非ナチ化」するために戦争をしたわけではない – しかし、同国の影の極右民兵は大きな問題である。」
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ウクライナにおけるファシストの脅威。ネオナチ復興を否定する欧米マスコミ
2014年3月
アメリカが支援したウクライナ・クーデターにおけるファシストの関与を否定したり、彼らの役割を、取るに足りない枝葉末節であるかのように描き出したりする、政治的に悪質なマスコミのプロパガンダ攻勢が進行中だ。
例えば、ニューヨーク・タイムズは“ウクライナのロシア人に対する差し迫った脅威というプーチンの主張は根拠がない”と主張し、イギリスのガーディアンは、クリミアでの出来事は“革命派ファシストの一団による攻撃を防ぐための”取り組みだという主張は“空想”だとはねつけ、“世界中のマスコミは、そのような勢力など見たことも聞いたこともない”と付け加えた。
これは我慢ならない隠蔽だ。
現実は、公然と反ユダヤ主義、親ナチの政党が、アメリカとヨーロッパ帝国主義のご厚意により、ヨーロッパの首都で国家権力の主導権を、1945年以来初めて握ったのだ。選挙で選ばれたわけではないウクライナ政府は、アメリカが指名したアルセニー・ヤツェニュクを首班とし、ファシストのスヴォボダ党から少なくとも6人の大臣が入閣した。
一年もたたない昔に、世界ユダヤ人会議は、スヴォボダを禁止するよう呼びかけていた。ところが“マフィアウクライナを支配するルスキエ-イド(ロシア人・ユダヤ人)”を粉砕する決意を繰り返し語っている党創設者で党首のオレフ・チャフニボクは、先月のクーデターを準備している時期に、アメリカと欧州連合の幹部連中から称賛された。
2010年の、ナチ・ソビボル強制収容所における約30,000人殺害の共犯者として、ジョン・デミャニュクが有罪判決された後、チャフニボクは彼を英雄と呼んだ。チャフニボクの副官ユーリー・ミハルチシンは、ヨセフ・ゲッペルス政治研究センターという名のシンクタンク創設者だ。
(後略)
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藤原直哉さんのTwitterXより
2014年3月の、TwitterX
藤原直哉 @naoyafujiwaraさんのスレから
”スヴォボダ” に関する部分のみ抜き書き ↓
・・・極右のスヴォボダ党が、木曜日にウクライナ議会で承認されたアルセニー・ヤツェニュク政権の主要6閣僚を獲得し、現在ウクライナの軍隊、国家安全保障、経済、司法、教育省をコントロールしていることから、これらの難民の恐怖は正当化できると、この報告書のMOD専門家は述べている。
スヴォボダは、ネオナチ、極右、反ユダヤ、ロシア恐怖症の政党で、西ウクライナに支持基盤がある。党首のオレ・タイフニーボクは、最近のウクライナ危機の際、主要な反対派の一人で、
昨年12月に元大統領候補が激動の国を訪れた際に米共和党上院議員のジョン・マケインと面会している。 また、Tyahnybok氏をはじめとする党幹部は、数々の反ユダヤ主義的、人種差別的な発言で非難されてきた。2004年、タヒニボック氏はテレビ演説で、
「ウクライナを支配するモスクワ・ユダヤ・マフィア」と戦うよう党に求めた。 2012年には、党のイホル・ミロシュニチェンコ副党首が、ウクライナ生まれの米女優ミラ・クニスを「汚いユダヤ女」と呼び、即座に国際的な非難を浴びた。また、党幹部のユーリイ・ミハルチシンは、
ヨーゼフ・ゲッベルス政治研究センターというシンクタンクを設立した。これは、悪名高いナチス・ドイツの宣伝相に敬意を表して名付けられた。 スボボダの設立時の名称と元の名前も、ナチスに不気味なほど似ている。彼らはウクライナ社会国民党として設立され、
「狼と天使」のルーン文字を党のロゴとして採用した。これは第二次世界大戦でヴァッフェンSS師団が使ったシンボルでもあり、ネオナチの間で人気のあるアイコンでもある。 昨日、オバマ大統領と90分間会談した際、プーチン大統領はアメリカの指導者に、
現在ウクライナを支配しているこれらのナチス過激派について警告し、これらの超国家主義者が行っている挑発的な犯罪行為に注意を促したと、この報道は続けている。 プーチン大統領はさらに、ウクライナ領土にいるロシア市民と同胞の生命と健康を脅かす現実的な脅威の存在をオバマ大統領に強調し、
ウクライナ東部地域とクリミアで暴力がさらに拡大した場合、ロシアは自国の利益とそこに住む市民を守る権利を保有することを強調した。 1941年から1944年にかけて、数千万人のロシア国民がドイツのナチス軍に殺されたウクライナ帝国主義の記憶がまだ鮮明に残っているため、
プーチンは、自分たちと敵対するファシスト勢力からこれらの国民を守るために、下院の承認の下にウクライナに軍隊を派遣せざるを得なかった、とこの報告書は言っている。 ロシア軍がクリミアの「安全保障強化作戦」を続ける中、西ウクライナのネオナチの脅威にさらされた地域を確保するために、
さらなる軍部が集結していたと、この報告書は述べている。・・・
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ウクライナ新“準ファシスト”政権紳士録: アメリカとEUが支援している連中のご紹介
2014-03 ↑ 上の記事を ↓ 引用なので同じ
ヴィクトル・ヤヌコビッチと地域党が率いる、選挙で選ばれたウクライナ政権の打倒において、アメリカと欧州連合諸国が主要な役割を演じた。ワシントンの政治家連中の演説を聞いたり、商業マスコミを見たりしていれば、ウクライナ・クーデターが、ウクライナの国民にとって民主主義の新時代の到来を告げたと、てっきり信じたくもなる。
それはとんでもない嘘だ。キエフの自称新政権は、右翼と全くのファシスト勢力との連合で、しかもこの二者の差異は曖昧なことが多い。しかも、彼らが軍や、国家機構の他の中核部分を担当する要職を与えられたという事実でわかるように、優勢な立場にあるのは、ファシスト勢力、とりわけスヴォボダ党と右セクターだ。
“我々の復興は、わがマイダンから始まる”と語ったネオナチ・右セクターの司令官ドミトロ・ヤロシは、今や国防・安全保障委員会(軍、警察、裁判所と諜報機関を統括する)の副長官だ。
後に名称を、スヴォボダに変えた、ファシストの社会民族党の共同創設者、アンドリー・パルビー。彼は国防・安全保障委員会新長官だ。
有力な右翼銀行家の新首相アルセニー・ヤツェニュク[左]と、ネオコン、ジョン・マケインの会見。写真中央に写っているのがネオナチ・スヴォボダ党党首オレフ・チャフニボクで、現在、ウクライナで最も有力な人物の一人だ。
ネオナチ・スヴォボダ党党員イホール・テニューフが今や国防大臣だ。
ネオナチ・スヴォボダ党員、オレクサンドル・シチは、三人の副首相の一人だ。
今や検事総長(司法長官)となった、ネオナチ、スヴォボダ党員オレグ・マフニツキーは、即座に、キエフ新秩序の下で暮らすことを望んでいないクリミアの指導部の告訴に着手した。
何百万人ものウクライナ人や、ロシア人、ギリシャ人、ユダヤ人や他の人々が、その様な政府の下で暮らすのをひどく嫌がるのも決して驚くべきことではない。70年前に、ナチス・ドイツと同盟国が、ウクライナもその一部であったソビエト連邦に侵略した。
ソビエト連邦国内で、ナチ戦争機構の主力部隊が破壊されたのだが、それはとんでもない犠牲を払った上でのことだった。2700万人以上のソ連兵と一般市民が死亡し、国は荒廃した。(対照的に、416,800人のアメリカ軍人が、同じ戦争で死亡し、これも膨大な人数ではあるが、それとて、ソ連人死者のわずか約1.5パーセントだ。)極右翼的性格を強調して、厄介な連中追い出した残部ラーダ(議会)最初の行動は、少数派言語として、ロシア語とギリシャ語の公的な地位を終わらせ、クリミアの自治権を無効にし、ウクライナ共産党を非合法化することだった。アルセニー・ヤツェニュクを党首とする、全ウクライナ連合「祖国」党が新政権を率いている。
(後略)
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他言語から
オレグ・チャグニボクとヴィタリ・クリチコの経済的および政治的秘密
元はロシア語、2014年2月
☆ 突っ込んで詳しく書いてあり、人物の説明もある記事
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元はフランス語 2014年3月 (購読者限定記事)
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2014年3月
「NAVERまとめ」よりウクライナのデモと「極右」について、BBCなど私が見た範囲でどのように報道されてきたか(メモ)
キエフの自称新政権は、右翼と全くのファシスト勢力との連合で、しかもこの二者の差異は曖昧なことが多い。しかも、彼らが軍や、国家機構の他の中核部分を担当する要職を与えられたという事実でわかるように、優勢な立場にあるのは、ファシスト勢力、とりわけスヴォボダ党と右セクターだ。
など
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ブログ や note より
アメリカの動きとウクライナとの長い繋がり
ミミカムさんは、アメブロで、
アメリカの動きと、
ウクライナとの長い繋がりを語り、その中で
スヴォボダやチャニボクに言及している。
2024-03 (以下中間部引用)
「・・・ビクトリア・ヌーランド、ジョー・バイデン、ジョン・マケイン、ジョン・ケリー、およびオバマ政権のメンバーは、2014年のウクライナ・クーデター中に公然とスヴォボダ指導者オレ・チャニボクと協力した。
2004 年まで、スヴォボダは社会国民党と呼ばれていましたが、これはナチスの国家社会主義党を意図的に参照したものです。
2004年、チャニボク氏はウクライナ人に「モスクワ系ユダヤ人マフィア」と戦うよう呼びかけた演説を行ったとして、ヴィクトル・ユシェンコ政権から追放された。
2005年、同氏はウクライナに対し「組織化されたユダヤ人の犯罪活動」を阻止するためのさらなる措置を要求する公開書簡を書いた。
2013年、サイモン・ウィゼンタール・センターの反ユダヤ主義者トップ10のリストでチャニボク氏が5位に入ったため、国務省は訪米を禁止した。
2014年、チャニボク氏はマイダン広場での暴力を激化させる扇動者や挑発者を提供し、ヌーランド氏、バイデン氏、マケイン氏、ケリー氏と会談した。
ヌーランド氏は、ウクライナ新政府の計画を策定するための電話会談の漏洩の際に、彼らが協力していた指導者の一人としてチャニボク氏について言及した。
ヤツェニュクは、クーデターにおけるスヴォボダの役割に報い、3つの閣僚、副首相、ウクライナの25州のうち3つの州の知事、そして議会議長を務めた。
「ビクトリア・ヌーランド氏に、ウクライナ革命家の中にネオナチが含まれていることを最初から知っていたのか、また革命のイメージを損なわないために意図的にこの事実を隠していたのかどうかを尋ねられればと思う。」
「米国はキエフの政権転覆に徹底的に取り組んだ。極右民兵がなければそれは不可能だった。これらの過激派は危険だったが、これはメディアの誇大宣伝に埋もれてしまった。」
「ロシア対アメリカに対抗するチェスゲームにおいて、ウクライナは駒に過ぎないようだ」
「こちらのパンを配る女性がビクトリア・ヌーランドです。彼女はウクライナにおけるアメリカの影響力のデザイナーです。
ビクトリア・ヌーランドは1993年以来、ずっとアメリカ政府で働いていました(トランプ政権を除く)
ジョン・マケインとオレフ・チャニボクの隣に立って、マイダン広場で抗議行動参加者を結集させ、アメリカがウクライナ政府を打倒したことについて論じたクリス・マーフィー上院議員は、「経済制裁や経済制裁の脅しを含め、ヤヌコーヴィチを大統領の座から引きずり下ろすのは、我々の役割だったと思う。さて、問題は、この新政権を支えるために何ができるのかということです。
ウクライナに関しては、私たちは傍観者ではありません。私たちは深く関わってきました。上院議員はそこにいました。国務省のメンバーが広場にいた。
オバマ政権は経済制裁を可決した。上院は独自の制裁を可決する準備ができており、私が言ったように、米国の明確な立場が、部分的には、この政権交代につながったと本当に思います。
もし、究極的には、これがウクライナの新政府への平和的な移行であるならば、その移行を実現するのを助ける上で、ウクライナの街頭にいるアメリカ合州国が、素晴らしい友人と見なされるだろう。
ここには米国の利益がある。現在、欧州と新たな貿易協定の交渉を進めているところです。私の州にとって、それは非常に重要なことです。コネチカットとヨーロッパとの貿易の40%を私たちは行っています。
もしウクライナがEUの一部であり、それゆえにアメリカ合州国との新たな貿易協定の一部になれば、アメリカに何十億ドルもの新たな経済的機会をもたらす可能性がある。
ですから、ウクライナが欧州連合(EU)に加盟することに経済的利益があり、その利益を明確にすることを躊躇すべきではありません」
ビクトリア・ヌーランドの夫であるロバート・ケーガンは著名なネオコンで、1998年に「アメリカ新世紀プロジェクト」を共同設立し、同国が大量破壊兵器を保有しているという誤った主張に基づいて米国のイラク侵攻を主張した。
1998年、彼はニューヨーク・タイムズに「イラク爆撃だけでは十分ではない」というタイトルの論説を書いた。
「米国がイラク指導者が二度と大量破壊兵器を使用しないようにすることに全力を尽くすなら、その目標を達成する唯一の方法はフセイン氏とその政権を権力の座から排除することだ。」
2001年9月11日のテロ攻撃から9日後、ケイガンはジョージ・W・ブッシュに公開書簡を発表し、「証拠がイラクと攻撃を直接結びつけなくても」イラクに侵攻し、サダム・フセインを排除するよう訴えた。
彼のイラク戦争推進はアフガニスタン戦争中も続いた。
「サダム・フセインはオサマ・ビン・ラディンと同じようにあらゆる点で米国の敵であり、大量破壊兵器を所有しているため、最終的にはイラクと戦うことが不可欠だと思います...
したがって、この戦争はアフガニスタンを越えて広がることになるだろう。」
2022年1月27日、ビクトリア・ヌーランド国務次官は「ロシアが何らかの形でウクライナに侵攻すれば、ノルドストリーム2は前進しない」と述べた。
2022年2月7日、バイデン大統領は「ロシアが侵攻した場合...再び、ノルドストリーム2はもはや存在しないだろう。私たちはそれに終止符を打ちます」記者から「どうやったらできるのか」と聞かれると、「必ずやると約束します」と答えた。
2022年9月30日、パイプラインへのテロ攻撃の直後、アントニー・ブリンケン国務長官は、パイプラインの破壊は「途方もない機会でもある」と宣言しました。これは、ロシアのエネルギーへの依存をきっぱりと取り除き、ウラジーミル・プーチンから、彼の帝国主義的計画を前進させる手段としてのエネルギーの兵器化を奪う絶好の機会だ。
2023年1月28日、ヌーランド国務次官はテッド・クルーズ上院議員に対し、「ノルドストリーム2が、あなたが言うように、今や海底の金属の塊になっていることを知って、私は、そして政権も、非常に満足していると思う」と語った。」
ー ー ー
ー ウクライナだけではない。
世界各地がアメリカにかき混ぜられている。 ー
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note から 7記事
note記事の中にもduckduckgo検索でいくつかヒットした。こちらも翻訳物が多く、突っ込んだ内容も多い。
「受け継がれた血統 戦後を生きのびたナチスは如何にしてウクライナで復活を遂げたか①」
captain_nemoさんの note 2023年10月の必読記事、後半より以下↓引用
「
1991 年以降のスウォボダ等の台頭、そしてユシチェンコとの合流
1991年の独立後、ウクライナでは旧ソ連の他の地域と同様、国内で右翼過激組織が急増した。極右勢力は主に西側の帝国主義勢力とウクライナ国家によって支援されていた。
OUN と UPA の体系的な再建は、1990 年代にはすでに始まっていた。1997年、第2代ウクライナ大統領レオニード・クチマの下で、OUNとUPAに関する政府委員会が設立され、著名な歴史家が参加した。2000 年と 2005 年の委員会の 2 つの調査結果報告書は、どちらもファシスト、特に OUN (B) の役割を誇張して伝えていた。この委員会の目的は、赤軍と OUN/UPA の退役軍人に同等の地位を与える法律をイデオロギー的に準備することであった。これらの勢力の再建における画期的な進歩は、西側諸国が支援する「オレンジ革命」を通じて2004年に権力を掌握したヴィクトル・ユシチェンコ大統領による法整備である。彼の下でさまざまな法律が可決された。
2014年のマイダンでもその存在感を見せつけた極右政党スヴォボダ(自由)はその前の「オレンジ革命」でユシチェンコ氏を支援した。その指導者オレグ・チャグニボクはすでに2002年にヴィクトル・ユシチェンコ率いるナーシャ・ウクライナ(我がウクライナ)に無所属議員として参加しており、議会予算委員会のメンバーとなっていた。
チャグニボクは当時UPA/OUN-B退役軍人たちに次のように宣言していた。
「あなたがたはモスカリ(ロシア人に対する軽蔑的な表現)、ドイツ人、ジディ(ユダヤ人に対する差別的な表現)、その他のクズどもと戦った 英雄だ。」
このヘイト発言により世論の圧力が高まりユシチェンコ氏のチームはチャグニボク氏を守りきれず、同年彼を追放した。彼に対する扇動罪の刑事訴訟はしかし却下された。
そしてチャグニボク氏の党は、1991年にさまざまな右翼急進団体や学生団体の合併によってウクライナ社会民族党(SNPU)という名前で設立されていたのが、オレンジ革命の直前にスヴォボダ(自由)と改名し、新しい党のシンボルもナチスドイツが記章として用いていたヴォルフスアンゲルは引っ込められ、三本指の手の形に変更された。
このスヴォボーダのシンボルをみて何か気がつかないだろうか?
三本の指は、そうこれは多分ウクライナのシンボル、トライデント(三叉槍)がルーツだ。しかし、『手』は一体どこからきたのか?
WACL会議にはABNからステツコが代表として参加していたことを思い出していただきたい。
ABN、反ボルシェヴィキ国家ブロックは元はといえばナチスドイツの東方政策としてアルフレート・ローゼンベルクによって作られたものであった。
東部占領地域大臣も務めたローゼンベルクはニュールンベルク裁判で死刑判決を受け、処刑された。
そしてその遺志を継いだのは、バンデラの側近、ヤロスラフ・ステツコだった。
ここでもう一度タイトルの写真をよく見てほしい。
左上、久保木修己のすぐ後ろにABNの記章が見える。
如何だろうか?この類似性を、スヴォボーダがABNの継承者となったという推測の十分な根拠に出来るのではないのだろうか?
いや、間違いなく、ステツコがチュマチェンコに託した思いは、ユシチェンコによって確実に祖国に根付いていったのだ。
こうしてユシチェンコの保護のもと、スウォボダは2004年から2010年の間に会員数を3倍に増やすことができたという。ウクライナ西部の地方選挙では、彼らの得票率が突出して高かった。2010年の地方選挙では、ガリシア州東部で20~30パーセント、全国では5.2パーセントの得票率を獲得した。それ以来、スヴォボダの本拠地は、あのバンデラの右腕ステツコが1941年にわずか4日という短命のウクライナ独立を宣言した場所、リヴィウ市となった。
2012年10月の議会選挙では、約58パーセントという1991年の独立以来最低の投票率となったが、スヴォボダは4番目に強い勢力(10.45パーセント)として最高議会に加わった。ウクライナ西部が最大の得票率を獲得し、3つの行政区で30~40パーセントという結果となった。しかし、ウクライナ東部では同党の勝利率は1%弱にとどまった。リヴィウ市ではスヴォボダが50パーセント以上の支持を獲得し、キエフでは第2位の政党となった。
スウォボダ自身は、ファシストへの志向とナチスへの敬意に何の疑いも抱いていない。2011年1月29日、1918年のクルティの戦いを記念して、党は自治右派と協力してナチスの象徴をあしらった大規模なたいまつ行列を組織した。
2011 年 4 月 28 日、第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』結成 68 周年を祝う。パレードの沿道には「我が国の誇り」を称賛するポスターが貼られた。党思想家ミハルチシン率いる参加者は「一つの民族、一つの国家、一つの祖国!」と叫び、バンデラ、メルニク、シュヘヴィッチを「ウクライナの英雄」と称賛した。
2011年6月30日、スヴォボダはリヴィウでのドイツ侵攻とステツコの「ウクライナ国家再生」70周年を記念し、SSの制服を着た戦闘員が登場する民族祭を開催した。スウォボダは市内にいくつかのレストランもオープンした。そのうちの1つでは、バンデラの等身大の肖像画がダイニングルームに飾られ、トイレにポーランドとユダヤ人についての差別的なジョークが書かれた。提供される料理には、「ヘンデホーフ」(ドイツ語で『手を挙げろ』)や「カンプセレナーデ」(ドイツ語で『戦闘夜曲』)などがある。地元のサッカークラブの右翼ファンは、横断幕でリヴィウを「バンデラシュタット」(バンデラの街)と呼んだ。リヴィウの通りの名前は、スヴォボダ市議会議員によってナチスの協力者にちなんだものに付け直された。
ユシチェンコ政権とファシストの協力はスヴォボダに限定されなかった。公然と反ユダヤ主義を掲げるウクライナ民族主義者会議(KUN)は、ヤロスラフ・ステツコの未亡人ヤロスラヴァ・ステツコによりOUNの後継組織として1992年に設立され、2002年にはユシチェンコの「私たちのウクライナ」ブロックにも参加した。ウクライナ国家主義者会議(KUN)は2002年までラーダ(ウクライナ国会)での議員を務めた。
また、日本語ではあまり情報がないヴォルイーニの虐殺に関与したUPAのローマン・シュヘヴィッチ(ヴォルイーニの虐殺についてはここに詳しく紹介されている。またKiyoさんのブログ記事『ブラックブック バンデラの残虐行為 1941-1945』も是非参照されたい)は第二次世界大戦後もソ連軍と交戦を続け1950に戦死したが、彼の息子ユーリ・シュヘヴィッチが右翼政党「ウクライナ民族会議 ― ウクライナ人民の自己防衛」を立ち上げていたこともほとんど知られていない。
ユーリ・シュヘヴィッチが2022年11月に亡くなった際のリヴィウでの葬儀パレードはUPAの制服にて執り行われた。
ユシチェンコは就任直後からウクライナのファシストと彼らのナチスとの協力を更生させる広範なキャンペーンを開始した。2005年7月に彼は「国民記憶研究所」を設立し、ウクライナ秘密情報局SBU(旧KGB)のアーカイブをプロパガンダ活動に委託し、「旧ソ連占領博物館」の創設を支援した。同研究所の所長には、超国家主義活動家としてOUN-Bの後継者が運営する「解放運動研究センター」の所長でもあったヴォロディミル・ヴィャトロヴィチ氏を任命した。
OUNやUPAの戦闘員やシモン・ペトリュラのような国家主義者の指導者らに対しては、彼らの肖像をあしらった記念切手や記念コインを国から発行させ、正式に栄誉を与えた。
ユシチェンコはまたホロドモールをロシアによるジェノサイドであると国際社会に認めさせた。アメリカでは2006年、欧州議会での2008年の決定をロシアは、ホロドモールの被害はノヴォロシア一帯に及ぶもので民族対するジェノサイドではないと拒否している。
ユシチェンコは政権最後の年に、テレビ・カナル5などのマスメディアがスヴォボダに注目を集めるように仕向けた。チャグニボク氏と党のイデオロギー学者ミハルチシン氏は、ヴェリカ・ポリティカ(大きな政治)やシュスター・ライブなどの人気トーク番組に出演した。この党は、特に2009年のウクライナ西部でのスヴォボダの選挙での成功後、広くメディアで取り上げられた。
ユシチェンコ氏は、2010年大統領任期終了の数日前に戦犯ステパン・バンデラをウクライナの英雄に指名し、リヴィウとテルノーピリに記念碑を建てさせた。
(しかしこのリヴィウやヴォルイーニでの虐殺に関わったUPAメンバーの英雄視はポーランドと欧州連合からの抗議の的になり、政権交代後ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ新大統領はファシストのローマン・シュヘヴィッチの栄誉を取り消している。)
ウクライナ政府とメディアによるファシズムの賛美は、国民の大多数から嫌悪感と拒絶反応を受けている一方で、西側メディアは、ファシズムのイデオロギー的・政治的復興を推進したユシチェンコ政権を民主主義の模範として描いた。スウォボダと民兵組織ライトセクターは西側の諜報機関や政党から支援も受けている。
たとえばスヴォボダはドイツのネオナチ組織NPDと緊密な関係を維持しているが、その指導機関には憲法擁護局の秘密工作員が多数所属しているため、2003年に憲法判事らはNPDを「国家の組織」と評した。2013年5月、ザクセンNPDはスヴォボダからの代表団を受け入れ、ドレスデン州議会を友好訪問した。CDU=ドイツ・キリスト教民主同盟系のコンラート・アデナウアー財団もスウォボダにプラットフォームを提供している。2012年、彼等はスウォボダのメンバーを「2012年の選挙からの教訓」に関する会議やセミナーに招待した。
ヤヌコーヴィチ氏が再選されたのはこのような時期だった。しかしユシチェンコ政権下で坂道を転がる勢いで進んでしまっていた右傾化・過激化をもはや簡単に元に戻せる状況ではなくなっていたのである。」
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ウクライナ:民族主義者たちはいかにして主導権を握ったのか(2014年03月12日)
分かり易く用語集を加えてくれている
Kfirfasさんの note 2022年7月の記事より 以下↓部分引用
*
キエフの自律労働者連合(Autonomous Workers’ Union)のメンバーへのインタビューを紹介しよう。彼は、スヴォボダ(Svoboda「自由」)やプラヴィセクター(Pravy Sector「右派セクター」)などのグループが、どのように社会運動を利用する立場に至ったか説明し、さらに、この不利な状況でアナキストと反ファシストが取ったさまざまな戦略の有効性を語っている。
近々、私たちは、世界中のアナキストがウクライナの例から何を学ぶことができるかについての予備的仮説を、英語で入手可能な一次資料のリーディングリストとともに発表する予定である。
- 民族主義者はどのようにして、運動の中でこれほど目に見える形で地位を確立できたのでしょうか。彼らが最初にそこにいたからでしょうか? それとも、多くのリソースを持っていたからでしょうか。それとも、運動自体の問題や要求に関する何かだったのでしょうか?
いくつかの理由がありました。まず、デモ参加者の大多数が民族主義を否定しません。リベラルな考えを持つ人々でさえ、政党スヴォボダやその他の民族主義的組織に対して、あまり発言していません。彼らの多くは、民族主義者が自分たちのイデオロギーに従わないと思っていて、民族主義者の攻撃的な行動から目をそむけているのです。それは思い込みです。
第二に、スヴォボダ党の民族主義者たちは、ずいぶん前から、ほとんどすべての社会的抗議行動に潜入し始めました。他の政党がそうでないのに対して、彼らには多数の活動家がいるのです。これらの活動家は、抗議活動中に多くの組織化を成し遂げました。警察との衝突では、馬鹿者からの支援はさらに価値を増しました。これはプラヴィセクター(右派セクター)グループにも関係することです。その一方で、スヴォボダは、他の活動家のスペースに積極的に乱入し、他の抗議者と残酷な戦いをしたため、一部の支持を失いました。
第三に、他の野党は国会でスヴォボダの票を必要としているということです。スヴォボダを快く思っていない人はまだかなり多いのですが(民族主義者と公然と協力することを好まないヨーロッパの政治家も)、スヴォボダはそのリソースゆえに、抗議集会の合法なパートのひとつであると評価されていました。
ウクライナの占領された議会で白人至上主義者の旗を掲げる
・・・・・」
内容は ↑ と同じ ↓ 別記事
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ネオナチ議員と化した共産主義者:ウクライナの最新政治的殺人事件の被害者は、いかにして自国の憎悪を助長したか?
Spiderman886のnote 2024年7月25日の記事より 以下↓部分引用:
殺害されたスヴォボダに属する極右政治家でウクライナ言語学者がどんな出自で何をしていたかに関する記事。スヴォボダとの繋がり。
(スペイン語からの翻訳)
一部引用
2004年、リヴィウの政治家オレグ・タイフニーボクはヴェルホヴナ議会の議員となった。 (中略)
2006年、ファリオンはリヴィウ地方議会議員に当選し、スヴォボーダが選挙で最大の成功を収めた2012年、彼女はヴェルホヴナ・ラーダ(国会)の科学・教育委員会の副議長に就任した。 しかし、副議長としての彼女は、法律制定よりもスキャンダルへの関与で知られるようになった。
「言葉を知らない人は、政治的に偏っているか、精神的に遅れているかのどちらかだ。 あなたはどちらの座標系に属しているのですか?」と彼女は議会で、ロシア語を擁護する当時のウクライナ首相ニコライ・アザロフに尋ねた。
2010年2月、リヴィウ地方議会の副議長だったファリオンは幼稚園を訪れ、「ウクライナ人」の名前が不十分だと考えた子どもたちを侮辱した。 同副議長は、ミーシャという名前の男の子はミハイリークと呼ぶべきであり、リザという名前は「舐める」という言葉からきていると主張し、アリョーナという名前の女の子には「荷物をまとめてモスコビア(ロシア)に行きなさい」と言った。 しかし、世間を騒がせたにもかかわらず、この事件はファリオンの政治キャリアに影響を与えなかった。
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ウクライナ危機 : 流出したヌーランドとパイアット通話の記録 (BBC 2014年2月7日)とオリガルヒに支配されるウクライナ
Kfirfas のnote
2022年11月16日の記事より 以下↓部分引用
BBCの2014年の英語版翻訳のすっぱ抜き記事:
録音された裏工作の会話。スヴォボダ党首チャフニボークの名が出てくる。
「 -訳者より
米国国務長官補ヌーランドが、特務機関「米国国際開発庁」を使い、バチキフシナ党のアルセニー・ヤツェニュク、ウダル党のヴィタリ・クリチコ、スヴォボダ党のオレフ・チャニボクら、ウクライナの野党勢力の政治家をクーデター政権で閣僚にしようと画策。計画は実行され、野党勢力はそのままファシストクーデター政権の閣僚となった。後半に『オリガルヒに支配されるウクライナ』(2015年12月5日, ジェローム・デュバル)を併訳、新たに外国人の閣僚3名を迎えた政権がどのようなものかを伝える。
2014年当時のバラク・オバマ大統領は米政府がウクライナの野党を操っていることを否定した。このエピソードは恥ずべき米国の嘘を私達に突きつけている。
本文
ビクトリア・ヌーランドと駐ウクライナ米国大使ジェフリー・パイアットとの間の会話が木曜日にYouTubeに登場した。疑惑の会話がいつ行われたかは明らかではない。(訳者注:YouTube公開は2014年2月4日火曜日の日付となっている)
以下は、BBC の外交特派員ジョナサン・マーカスによる書き起こしです。
ヌーランドのものと思われる声 : どう思います?
パイアットのものと思われる声 : 我々の出番だと思います。クリチコ[ヴィタリー・クリチコ、野党3党の主要リーダーの1人]の部分がはっきり言って複雑です。特に、副首相就任の発表、それに今、結婚生活で困っていると私のメモでいくつか見ているでしょうが、彼がこの件でどうなっているのか、早いところ掴もうとしています。あなたは彼に意見してください、次の電話の段取りになると思いますが、あなたがヤッツ[アルセニー・ヤツェニュク、同じく野党指導者]にしたことと全く同じです。あなたがこのシナリオに適合する場所に彼を置いてくれて、嬉しいですよ。それに彼の返事もとても良かった。
ヌーランド: ええ。クリチコは政府に入るべきではないと思うんです。必要ないと思いますし、良いアイデアとも思えないの。
パイアット: そうですね、 彼が政府に入らないという点では、彼は外して、政治的な宿題などをさせてておくといいでしょう。進行中のプロセスでは、まあ、穏健派の民主党議員をまとめたいと考えているんです。問題はチャニボク[オレフ・チャニボク、もう一人の野党指導者]とその仲間たちになりますね、ヤヌコビッチがこの件に関して計算していることのひとつが……
ヌーランド:(畳みかけて)ヤッツは経済も統治も実績のある男ですよね。彼にはクリチコとチャニボクという選手が必要でしょう。週に4度は彼らと話す必要があるの。クリチコは入ってくると思うけど.…..ヤツェニュクのために働くようなレベルでは、うまくいかない。
パイアット: ええ、いや、その通りだと思いますよ。いいでしょう、次のステップとして、我々があなたに、彼との通話を設定しますか?
ヌーランド: あの電話、あなたに聞いたんですけど、私の理解は大物3人が自分たちで会議をやって、ヤッツがそこに入れてくれようとしていると。3プラス1の会話か、あなたを交えて3プラス2の会話。そういうことじゃないの? あなたはどう思ったんです?
パイアット: いや、そうじゃないです。私はクリチコがトップの犬だった場所の力関係がわかっているんで、あれはクリチコが提案したことです。彼は、どんな会議にもしばらく姿を見せないでしょう。この時点で彼は部下と話をつけていますから、あなたが直接彼に接触することで、3人のパーソナリティー・マネージメントに役立つと思いますし、3人より私たちを後押しする機会も彼が与えてくれると思います。全員が着席してから、彼がそれが気に入らない理由を説明します。
ヌーランド: OK、いい感じね。彼に連絡を取って、前か後に話したいかどうか聞いてみたらどうでしょう?
パイアット: OK、そうしよう。ありがとう。
ヌーランド: ジェフ、もう1つ重要なことが。[クリック音が聞こえる] これを私があなたに言ったか、それともワシントンにだけ言ったのか思い出せせないけど。今朝ジェフ・フェルトマン [国連政治問題担当事務次長] と話したとき、彼は国連のロバート・セリーっていう新しい名前を出しました。 今朝、私はあなたに書いたかしら?
パイアット: ええ、見ました。
ヌーランド: 彼は、セリーと[国連事務総長の]潘基文の両方に、セリーが月曜か火曜に来ることに同意してもらいました。これは、このことをくっつけるのに役に立つわね。国連がこれを、クソEU(F**k the EU)とくっつけるのにね。
パイアット: まさに。我々はそれがくっつくようにするために何かしなければなりません。これが軌道に乗り始めたら、ロシアは舞台裏で魚雷を撃ってきますよ。そこなんです。なんでヤヌコビッチがああなのか、私はまだ頭の中で考えています。こうしてる間にも地域の党派閥会議が進行中です。この時点で、グループ内で活発な議論が行われていると思います。とにかく、速く動けば、ゼリー面を上にして着陸できます。クリチコについては私に任せて、あなたには引き続き……我々は国際的に顔の効く誰かをここに呼んで、この件の仲介役を務めてもらいたいです。もう1つはヤヌコビッチへのアウトリーチですが......これについては明日、状況を見ながら再編成でしょう。
ヌーランド: ジェフ、その部分について、私がノートを書いたとき、サリバン[米国副大統領の国家安全保障担当補佐官]が戻ってきて、VFRがバイデンが必要だと言ってるって、それで私は、アタボーイ[※よくやってる子やペットを褒めるスラング] と詳細を固めるのはおそらく明日になると言ったんです。だからバイデンは喜んでいるの。
パイアット: 素晴らしい。ありがとう。
以下略 」
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米国はウクライナのネオナチを支援しているのか?/2014年2月25日「サロン」より
宮野宏樹(Hiroki Miyano)@View the world のnote
2022年12月27日の記事より 以下↓引用
英語からの翻訳、日本語部全文コピペ(アメリカとの繋がりや流れが非常に分かり易いので)
2014年2月25日
ジョン・マケイン氏ら国務省関係者は、超国家主義政党スヴォボダと厄介な関係を結んでいる
今週、ウクライナの首都キエフでユーロメイダン抗議デモが最高潮に達したとき、公然たるファシズムとネオナチの過激派があまりにも目に余るようになり、無視できなくなった。デモ隊がダウンタウンの広場を埋め尽くしてウクライナの機動隊と戦い、汚職にまみれた親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の退陣を要求して以来、そこは自国の民族的純度を守ることを誓った極右のストリートファイトの男たちでいっぱいになっている。
白人至上主義者の横断幕と南部連合旗がキエフの占拠された市庁舎内に掲げられ、デモ隊は倒されたレーニンの記念碑の上にナチ親衛隊とホワイトパワーのシンボルを掲げた。ヤヌコーヴィチがヘリコプターで彼の豪邸から逃げた後、ユーロマイダンの抗議者たちは、第二次世界大戦中にドイツの占領と戦って死んだウクライナ人の記念碑を破壊した。マイダン広場では、ジークハイル敬礼とナチスの狼煙のシンボルがますます一般的になり、ネオナチ勢力がキエフとその周辺に「自治区」を設立している。
反ファシスト連合ウクライナというアナキストグループは、ユーロマイダンのデモに参加しようとしたが、広場をうろつくネオナチの一団から暴力の脅威や罵声を浴びせられるのを避けるのは難しいことだとわかった。「彼らはアナキストをユダヤ人、黒人、共産主義者などと呼んだ」とメンバーの一人が言った。「共産主義者なんていなかったのに、あれはただの侮辱だ」。
「ナチスを含む多くのナショナリストがここにいる」と反ファシストは続けた。「彼らはウクライナ全土からやってきて、デモ参加者の30%くらいを占めています」。
デモの背後にある「ビッグ3」政党の1つが超国家主義者のスヴォボダで、そのリーダーであるオレハ・チャフニボクは「ムスコビト・ユダヤ・マフィア」からの祖国解放を呼びかけている。2010年、ソビボル収容所で3万人近くを死なせたナチスの死刑囚ジョン・デムヤンユクが有罪判決を受けた後、チャフニボクはドイツに駆けつけ、彼を「真実のために戦う」英雄であると宣言したのだ。スヴォボダが前例のない37議席を占めるウクライナ議会で、ティアフニボクの代理人ユーリイ・ミハルチシンはヨーゼフ・ゲッベルスの言葉を好んで引用し、もともと「ヨーゼフ・ゲッベルス政治研究センター」というシンクタンクまで設立していた。ヨーロッパのネオ・ファシズムの主要な学者であるペール・アンダース・ルドリングによれば、自称「社会主義的民族主義者」のミハルチシンは、スヴォボダの公式翼と右翼セクターのようなネオ・ナチ民兵の間の主要なリンクであるという。
右翼セクターは、スキンヘッド風の服装、禁欲的なライフスタイル、ストリート暴力に魅了された自称「自治的民族主義者」の陰のシンジケートである。暴動用の盾と棍棒で武装したこのグループの幹部は、今月、ユーロメイダンの戦いの最前線に陣取り、彼らの特徴的な聖歌で空気を満たした。「なによりもウクライナ!」 最近の右派の宣伝ビデオでは、同グループは「退廃と全体主義的自由主義に反対し、伝統的な国家道徳と家族の価値のために」戦うと約束した。スヴォボダは、ヨーロッパ民族運動連合を通じて国際的なネオ・ファシスト政党の星座にリンクしており、右派セクターは、無目的で幻滅した若者の軍隊を「偉大なヨーロッパ征服」に導くと約束している。
スヴォボダの公然たる親ナチ政治は、ジョン・マケイン上院議員がユーロマイダンの集会でチャフニボクと一緒に演説するのを妨げなかったし、ビクトリア・ヌーランド国務次官補が今年2月にスヴォボダの指導者と友好的に会合を楽しむのも妨げなかった。反ユダヤ主義の非難をかわそうと、スヴォボダ党首は最近、駐ウクライナ・イスラエル大使を接待している。「イスラエル人にも我々の愛国心を尊重してもらいたい」とチャフニボクは発言している。「イスラエルのクネセットの各政党は、おそらく民族主義者だ。神の助けにより、我々もそうであるように」。
ヌーランドは在ウクライナ米国大使ジェフリー・パイアットとの流出した電話会談で、チャフニボクには「外部」にとどまってほしいが、米国のヤヌコーヴィチの後任、アルセニー・ヤツェニュクには「週に4回」相談してほしいという希望を明らかにした。2013年12月5日の米ウクライナ財団会議で、ヌーランドは、米国がウクライナで「民主的な技能と制度を構築する」ために50億ドルを投資したと自慢したが、その詳細は明らかにしなかった。
「ユーロマイダン運動は、すべての自由な民主主義国家の基礎となる原則と価値を体現するようになった」とヌーランドは宣言している。
その2週間後、15,000人のスヴォボダ党員がリヴィウ市で、親ファシスト組織「ウクライナ民族主義者組織」(OUN-B)を率いた第二次世界大戦時代のナチス協力者ステパン・バンデラを称える聖火点灯式を行った。リヴィウはウクライナにおけるネオ・ファシスト活動の震源地となっており、選挙で選ばれたスヴォボダの幹部たちは空港の名前をバンデラにちなんで変更するキャンペーンを展開し、平和通りの名前をホロコーストに直接参加したOUN-Bの翼であるナハトガル大隊の名前に変更することに成功した。「平和とはソ連の固定観念の名残りだ」とスヴォボダの副官は説明する。
その2週間後、1万5千人のスヴォボダ党員がリヴィウ市で、親ファシストのウクライナ民族主義者組織(OUN-B)を率いた第二次世界大戦時代のナチスの協力者、ステパン・バンデラを称える聖火点灯式を行った。リヴィウはウクライナにおけるネオ・ファシスト活動の中心地となっており、選出されたスヴォボダ党員は空港をバンデラの名に改名するキャンペーンを行い、平和通りの名前をホロコーストに直接参加したOUN-Bの部隊であるナハティガル大隊の名前に変更することに成功した。「『平和』はソ連のステレオタイプの名残りだ」とスヴォボダ副大統領は説明する。
OUN-Bの生き残りのメンバーの多くは、西ヨーロッパやアメリカに逃げ、時にはCIAの助けを借りて、そこで右翼勢力と静かに政治的な同盟関係を築いた。「我々は地下組織であることを理解してほしい。と、あるメンバーはジャーナリストのラス・ベラント氏に語った。ベラント氏は、1988年に出版した著書『古いナチス、新しい右翼、そして共和党』で、このグループの米国での復活を記録している。
ワシントンでは、OUN-Bはウクライナ議会委員会(UCCA)の旗の下に再結成され、ベランによれば、「OUN-Bの完全な前線」からなる傘下組織となった。1980年代半ばには、レーガン政権はUCCAのメンバーで固められ、会長のレフ・ドブリアンスキーはバハマ大使を務め、その娘のポーラは国家安全保障会議のメンバーになっていた。レーガンは、1983年にリヴィウで7000人のユダヤ人を虐殺したバンデリストのリーダー、ステツコを自らホワイトハウスに迎え入れた。
レーガンは元ナチスの協力者に「あなたの闘いは私たちの闘いだ」と言った。「あなたの夢は私たちの夢です」
1985年、司法省がナチス戦犯の逮捕と起訴に乗り出すと、UCCAは行動を開始し、その動きを止めるために議会に陳情した。「UCCAは、1970年代後半にナチスの戦犯容疑者の連邦捜査が始まって以来、その捜査に反対する主導的な役割を担ってきた」とベランは書いている。「UCCAの会員の中には、1930年代から始まった、多くの心配をする理由がある。
UCCAは、現在もワシントンで活発なロビー活動を展開しており、バンデラ派の民族主義に対する尊敬の念を失ってはいないようである。2009年、バンデラ没後50周年に際し、同団体はバンデラを「彼の信奉者にとっての強さと正義の象徴」であり、「今日もウクライナ人を鼓舞し続けている」と宣言している。その1年後には、リヴィウとベラルーシでユダヤ人を虐殺したナハティガル大隊のOUN-B司令官、ローマン・シュケヴィチの60回忌を称え、「名誉と正義のために戦った英雄」と呼びました...。
2010年、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領(当時)はバンデラに「ウクライナの国家英雄」の称号を与え、OUN-Bのファシズムを神聖化した反ロシアの国家物語を作ろうとする彼の努力の頂点に立った。(ユシェンコの妻キャサリン・チュマチェンコはレーガン政権の元官僚で、右翼団体ヘリテージ財団の元スタッフである)。欧州議会がユシチェンコの宣言を「ヨーロッパの価値」への侮辱として非難すると、UCCAに加盟するウクライナ世界会議は、EUが「第二次世界大戦中のウクライナの歴史を書き直そうとしている」と非難し、怒りをあらわにした。UCCAはウェブサイトで、バンデラがナチスに協力したという歴史的記述を「ソ連のプロパガンダ」だと断じた。
今月、ヤヌコーヴィチが失脚した後、UCCAはユーロマイダンの抗議行動を支援するために、アメリカ国内の都市で集会を開催する手助けをしました。数百人のデモ隊がシカゴのダウンタウンを行進したとき、ある者はウクライナの旗を振り、ある者はUPAとOUN-Bの赤と黒の旗を誇らしげに掲げていた。「アメリカはウクライナを支持する!」と彼らは唱えた。
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ウクライナのネオナチ政府は国際社会の支援を受けている。アドルフ・ヒトラーはウクライナの「民主主義の聖火ランナー」です
bianchi_234 のnote
2024年6月23日の記事より 以下に↓部分引用
スヴォボダ党については論文の下の方で少し触れられているのみ。
上部の内容も重要なので部分的にコピペした。
ミシェル・チョスドフスキー教授による2024年4月21日の小論文の訳(機械翻訳)
パートI:ウクライナのネオナチ政党の役割とナチスドイツとのつながり
パートII:アドルフ・ヒトラーはウクライナの「民主主義の聖火ランナー」です
・ ・ ・
「 OUNバンドは、その国家反乱軍(UPA)がオデッサやキエフなどの主要都市でユダヤ人、ポーランド人、共産主義者、ロマの虐殺に積極的に関与していたことを十分に文書化しました。
バルバロッサ作戦(1941年6月22日)の開始時に、ナチスドイツの暗殺部隊(アインザッツグルッペン)と連携して、OUN-Bのメンバーはガリシア西部のリヴィウ市での殺害に貢献し、10万人以上のユダヤ人の虐殺と国外追放をもたらしました。
ステパン・バンデラは「ナチス・ドイツと協力する」と約束したナチス・ウクライナ国家の創設を発表したが、アドルフ・ヒトラーは宣言に反対した。バンデラの「自宅軟禁」にもかかわらず、OUN-Bのメンバーはドイツ国防軍の占領軍(1941-1944)と積極的に協力した。
1941年9月1日、ナチスが後援するウクライナの新聞Volhynは、「都市を征服しよう、すなわちリヴィウ」というタイトルの記事で次のように書いた。
・ ・ ・ 」
「 反ユダヤ主義を実践しているのは誰ですか?
(略)
私の質問は、反ユダヤ主義者は誰ですか?答えは明らかです。キエフのネオナチ政権に資金を提供している私たちの政府。
法的観点から、これは西側政府側の犯罪行為です。
さらに、米国議会(2024年4月)がウクライナ(600億ドル以上)とイスラエル(220億ドル以上)に割り当てた資金は、ジェノサイド条約の露骨な違反です。(下記参照)
ジェノサイド条約・・・
(略)」
・ ・ ・
「 アンドリー・パルビイって誰?なぜ西洋の政治家は彼を愛しているのですか?
Parubiyは1991年にウクライナ社会国民党(後にSvoboda[自由]と改名)を設立し、現在Svoboda党を率いるOleh Tyahnybokとともに。社会国民党という名前は、ヒトラーのナチス(国家社会主義)党の名前を再現するために選ばれました
Parubiyは、Dmytro Yarosh とOleh Tyanhnybokとともに、ボランティア反乱軍の「司令官」でした。
これらのネオナチの反乱軍は、2014年初頭に「ユーロマイダン」クーデターに関与し、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の転覆につながった。3人のネオナチ指導者はすべて、第二次世界大戦中にユダヤ人とポーランド人の大量殺人に協力したウクライナのナチス・ステパン・バンデラの信者です。
ビクトリア・ヌーランド国務次官補によって確認され、ネオナチ党スヴォボダを含むウクライナの主要組織は、ワシントンによって寛大に支援されました。「私たちは、ウクライナがこれらの目標やその他の目標を達成するのを助けるために50億ドル以上を投資しました。...私たちは、ウクライナにふさわしい未来に推進し続けます。」
欧米メディアは、政府連合の構成とイデオロギー的基盤を分析することをさりげなく避けてきた。「ネオナチ」という言葉はタブーです。主流メディアの解説の辞書から除外されています。ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、インディペンデントのページには表示されません。ジャーナリストは、スヴォボダと右セクターを指定するために「ネオナチ」という用語を使用しないように指示されています。(ミシェル・チョスドフスキー、2014年3月7日参照)
(↓ 動画6分半、英語。正確ではないが日本語字幕が使える。カーペンター氏が大工と訳されたりする)
・・・」
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【知ってはいけないウクライナのネオナチ】右派セクター①名称・歴史
幻想の近現代さんnoteの 2022年3月4日 の投稿
(流れに沿って細かくしっかり描かれているのでとても参考になる、が全文では長くなるので、元記事でお読みください)
この記事は右派セクター(党)について詳しく見ているので、スヴォボダ党については右派セクターの解説の中で、少し触れている程度だが、この右派セクターも同じくネオナチであり、もちろん両者は無関係ではない。
(右派セクターを含むウクライナの政党を、また調べてみる予定。)
ー ー 他 ー ー
2014年マイダン”革命”の虐殺
独立系メディア E-wave Tokyo
17 July 2023 の記事
裏で起きていた不自然な動き。スヴォボダ党も関与。
ー ー ー ー ー
【スヴォボーダ党・アゾフ大隊・ネオナチとバイデン #219 1.5倍速推奨】「親ロ」ウクライナ国民に銃口を向けるウクライナ連隊の内紛構造
2022年3月のYouTube。投稿者のおしゃべり映像のみだが、話す内容は論理的でほぼ正しいと思う。(ラジオを聞くように用事しながらでも聞ける)15分弱
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~ おまけ ~
チャフニボクと ”会談” した岡部氏のウクライナ・レポート
https://kobegakuin-economics.jp/wp-content/uploads/2021/09/20130611_01_okabe009.pdf
「知られざる大国ウクライナ」PDF
「スヴォボダ(自由)党首オレーフ・チャフニボク最高会議議
員と ”会談” した 」岡部 芳彦 氏のレポート
(引用なし)
・ ・ ・ ・ ・
↑で書かれた「ウクライナは親日国」について一言…。
海外滞在や旅をすると経験することがあると思うが、
時々「日本語勉強したことあるよ」という人に出会う。
多くの国では、中・高校で日本語学科は選択で学ばれていて、
日本の文化が教科書で取り上げられてもいる。
ロシアも例外ではない。(というかロシアの方が親日とさえ思う)
つまりウクライナだけではなく
ウクライナが特に
”驚くほどの親日国” という訳ではない。
特に民族主義者にとっては…(日本人なんて黄色いサル位のもの?)
それよりも、英語以外は要らないと、
英米文化と考え方のみを選択し
大学ですら英語以外の言語を捨ててきた
日本が異常なのだと思う。
ー ー ー ー ー
スヴォボダ党と
強いつながりを持ち、共に活動する
”右派セクター”や
ウクライナの政党についても
今後 見ていきたい。