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30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象3、オデッサ2、観光地へ
オデッサでの”観光”の目的は、次の2つ
「ポチョムキンの階段」と「オペラ・バレエ劇場」を見る事だった。
ポチョムキンの階段
オデッサの町は高台に位置している。
海岸からは、(表紙の写真の)長い階段に見て取れるほどの高さがある。
(写真はGoogleMapより)
エイゼンシュタインの映画で使われた、有名な階段シーン ↓
(見返したが、6分間、目が離せぬほどの名場面だ。)
「階段の場面」の解説 をされている ↓
映画「戦艦ポチョムキン」 とは ↓
その戦艦、ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)とは ↓
名の由来、グリゴリー・ポチョムキン って誰? ↓
18世紀に集落だけだった現オデッサの場所に、
港を作るよう命じたエカテリーナ二世の事実上の夫(愛人)。
おまけ:
ついでに~ wikiにこんな言葉もあった…「ポチョムキン村」??
リシリュー公爵像
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ポチョムキンの階段下から見上げると、上に像が見える。
これは、トーガをまとったフランス人の初代市長、
5代目リシリュー公爵(1805~1816年統治)
海に向かっての風景もい美しいので、上の地図を開いて
ストリートビューで周辺を観光してみて下さい。
5代目リシリュー
「1805年にリシュリューはオスマン帝国から獲得したばかりでノヴォロシアと呼ばれた大きな帯状の土地の総督になった。そこにはヘルソン県、エカテリノスラフ(現在のドニプロペトロウシク)及びクリミア半島が含まれていた。11年にわたるリシュリューの統治において、オデッサは規模、重要性において大いに発展し、同時に人口においても帝国第3位となった。
1828年に彼のために銅像がオデッサ市民によって建立され、これらはオデッサの階段として知られるようになり、頂点にリシュリュー像が飾られている。また、1806年から翌年まで露土戦争を指揮し、コーカサスの拡張にも関わった。」
デュマの小説「三銃士」に出てくるリシリューは初代。
Wikiによると有名なリシリュー宰相の
その兄弟の子孫が、オデッサへ行った5代目リシリュー
(宰相リシュリューの大甥の子、 ルイ・フランソワ・アルマンの孫。)
有名な初代リシリュー ↓ はこちら
(↑ このページの下に系図がある)
オデッサ創始者 エカテリーナII世の像
階段上のリシリュー公爵像の100mほど先にあるのがエカテリーナII世像
「情報についての注意
この場所に関する情報は最新でない可能性があります。」
↓ ↓ ↓
2022年12月29日、この像は撤去された。
https://www.ukrinform.jp/rubric-society/3642951-odesa-shinoekacherinashi-xiang-che-qu.html
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before ↑ ビフォア
after ↓ アフター
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像は撤去されても、ロシア帝国時代にエカテリーナII世の命令で
この町が出来たという歴史は変えられない。
エカテリーナII世はドイツ人だが・・・。
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オデッサ・オペラ・バレエ劇場
オデッサに美しく由緒ある劇場があると、ロシア人の先生から聞いていた。
その建築家はオデッサ以外では、ウィーンにも有名な劇場を残している。
そう聞いていたので、オデッサの目的の一つになっていた。
(勝手に「ウィーン国立歌劇場」の事だと思っていて、
今回調べて、違うと判明したのだが…。)
「オデッサ・オペラ・バレエ劇場(英語: Odessa National Academic Opera and Ballet Theater,ウクライナ語: Одеський національний академічний театр опери та балету) は、ウクライナで最も古い歌劇場である。建設当時、オデッサはもちろんウクライナで最高級の劇場であった。この劇場とポチョムキンの階段とともに、オデッサで最も有名な建物である[1]
概要
最初のオペラハウスは1810年に建設されたが、1873年に火事で焼失した。現在の建物は、1887年に建築家フェルディナント・フェルナーとヘルマン・ヘルマー(「フェルナー&ヘルマービューロー」)の指導の下、ウィーンの バロック様式で建てられた。劇場は、フランスのロココ後期様式による建築である。現在の建物は、フェルディナント・フェルナーとヘルマン・ヘルマー(英語版)によってネオバロック(ウィーンバロック)様式で建設された。豪華なオーディエンスホールの建築は、後期フランスのロココ様式を踏襲しています。馬蹄形に設計されたホールの独特の音響により、演奏者はステージからホールの任意の場所にささやくような低い声のトーンを届けることができる。劇場の最新の改修は2007年に完了した。」
Ferdinand Fellner der Jüngere(建築家)
↑ 日本語版はなく、英語版も数行だったので、
ロシア語版とドイツ語版を、ここ(上)に張り付けた。
この建築家Fellnerがウィーンに残した劇場は
(現ミュージカル劇場らしい)こちら ↓
オデッサ・オペラ・バレエ劇場は、
歴史的観光地域内にまとまってある。
昼間に周りを散歩し、
別の夜にはバレエを見に行き、
素晴らしい内装も見ることが出来た。
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オデッサの観光地
観光地をまとめて紹介されているので、ご参考に。