ここは自分のメモのページ!自分用~補足・追加分:30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象、14編の手記の為


ここは自分のメモのページです。この場所に置きたい為、”公開” になってしまいますがご了承ください。



ここは自分のメモのページです。
この場所に置きたい為、”公開” になってしまいますがご了承ください。

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NOTEを書き始めたきっかけから、目的はかなりズレてしまった。
初心に帰り、これの次から、戻る予定

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「30年前のウクライナ訪問・思い出・経験」を14編書いたが、後で思い出したり、訂正用したり、思い出したことがあれば手記に追加する自分用のページをここに用意しておく。

手記の為、この9カ月間、1993年のウクライナの旅の事を考え、殊にオデッサとクリミア半島は人との係わりが強かったので懐かしく、時に切なく思い出していた。

簡単にまとめようとしたが、キエフとリボフについて書いた後で、1項に時間をかけ過ぎ、オデッサだけで3か月、クリミアに半年掛かった。が、この旅は自分にとってのウクライナの印象の基礎部分なので、大事だった。
ついでにオデッサとクリミアは”旅”自体の記録ともした。

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このページには、思い出した事を、その度に追加する予定である。







自分用
30年前のウクライナ紀行の補足・追加・訂正・資料の為のページ



自分のカメラで撮った写真を追加

今後、どこかに写真を公開する事もないと思うので今手元にあるほとんどをここに置いておく。

(日付は日本時間で設定したままなのでズレている。)

キエフ

生まれたての赤ちゃんウーリャ、パパ・アンドレイ、ママ・オーリャ (最初に泊めてもらった、ご両親やおばさんも同居の家)
可愛い母娘
ユーリャと家族 (キエフで2番目にお世話になった)



オデッサ

滞在先 家主の サーシャ
このアパートで、隣か上に住む男子高生 ヂーマ
「ここにパウストフスキー(作家) が住みました」
見えないけど… 遠景に黒海が見える家の前の空き地
家の前の空き地から黒海が見える
後左からオーリャ、マーシャ、サーシャ、セリョージャ(学生)
前列 女子大生のオーリャ、ヂーマ
中庭にて、2歳の可愛いマーシャ


ヂーマ、キリル、2歳のヂームカ (キリルとヂームカは兄弟、モスクワから遊びに来ていた)
台所
おじいちゃんの部屋は通り道、右はキリル


オデッサ、そばにある幼稚園でお別れ会(夜)

(サーシャは園の管理人)

昼間に建物の写真を撮った
ワローヂャとヂーマ?
幼稚園のピアノを触ってみる
ワローヂャ、ナターシャ、サーシャ、ヂーマ
(幼稚園にはお昼寝用の寝室がある)
ワローヂャ、ヂーマ、サーシャ、ナターシャ(サーシャの女子高生の従兄妹)
サーシャたちの家に連れて来てくれたワローヂャはサーシャと友達
ヂ-マ、サーシャ、マーシャ(前)、セリョージャ、ヂーマ、オーリャ、オーリャ
ベランダでバーベキューをした後で
オーリャ、オーリャ、ヂーマ、ナターシャ、私、サーシャ
夜は肌寒いので上着を借りた


オデッサ、お別れ会翌日の駅のホームで

乗る予定だった列車と
(この後、出戻る)

サーシャ、オーリャ、マーシャ、私、ナターシャ、ヂーマ
ヂーマ、オーリャ、マーシャ、私、ナターシャ、、キリル

オデッサの町で

オデッサの階段(エイゼンシュテインの映画で有名)
ロープウェイで上る (記憶ないけど)
ロープウェイで上る (記憶ないけど)
街で変わったデザインの建物(宗教と関係あると思う)
プーシキン通りにて
オデッサのビーチ

男子高生ヂーマがカメラをいじっていた時、間違ってフィルムのフタを開けてしまって心配していた、とオーリャが言っていた。撮った写真の2,3枚は見れなくなったはずだけど、何を撮ったか分からないから…。



クリミアのコクテベリ

コクテベリのワーリャ(スヴェータだったかもしれない)
コクテベリのビーチ
コクテベリ発のバスから、キャンプ地
コクテベリからスダクのバスの中から、絵のような山



スダク

同行のミコラにカメラを渡すと、カメラマンのようにあちこちで「そこに立って!」と指定しながら撮ってくれた。ミコラは知り合ったウクライナ人の中でたった1人のウクライナ語話者。

向かって右側の崩れた城壁跡で。
現在は高い城壁が”再建”されていて通り抜けできなくなっている。
今この景色を見ることは出来ない。
向かって右側の崩れた城壁跡で。
現在は高い城壁が”再建”されていて通れなくなっている。
今この景色を見ることは出来ない。
向かって右側の崩れた城壁跡で。
現在は高い城壁が”再建”されていて通れなくなっている。
今この景色を見ることは出来ない。
頂上の大岩
頂上の廃墟で
「シャッター押してください」って頼んできた人が撮ってくれた唯一のツーショット
高くて自分が登れなさそうだったので
ミコラに登らせて撮った。



ヤルタ、ヴォロンツォフ宮殿

この時カメラのフィルムが空回りしていたと思っていたが、ここの写真がいくつか撮れていた。どのタイミングか、時間の思い違いか、今となってはよく分からない。ただ、スライド用フィルムを買ってしまった為、色が悪い。

入り口はイスラム文化風
ここはイギリス風 (”ジェーン・エア”の話に出てくる城を思い出す)



ヤルタ、リヴァヂヤ

”熊山” の絵 とメモしてあった…どこ?

半分以上、写真は失敗して悔やまれる。


ヤルタ、絵葉書 

”つばめの巣”小宮殿
”つばめの巣”小宮殿
”つばめの巣”小宮殿


ヤルタの街にあると思う

ネクラーソフ(作家)公園 と ユーノスチ(青少年) 噴水


その他

アカシアの花 (ヤルタにて)



追加(ネットからの情報)



○ 30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象11と12  スダクとノーヴィ・スヴェート に関して、森翔吾さんの動画もあったのでここに追加したい。

追加、スダクの動画




ウクライナ旅行記集

2009年

2009年

2010年

2012年




ロシアへの併合で活気づく「係争地」クリミアは クレジットカードもATMも使えなかった
[橘玲の世界投資見聞録]
2018年08月16日(木)21:00




新しく出来たらしいロシア縦断長距離列車

ムルマンスク から シンフェローポリの直通鉄道?



資料


(後で読むつもりで保存、ここにのせた段階で未読)
北大の論文


Title 帝政ロシアにおけるノヴォロシア・ベッサラビアの成立 : 併合から総督府の設置まで
http://hdl.handle.net/2115/38984
北大、論文から PDF
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/38984/1/49-009.pdf





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