30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象12 クリミア半島4 スダク2 ノーヴィ・スヴェート
表紙の写真の中央はゴリツィン洞窟
人影が小さく見える
ここまでは下の地図右から、左方向へ進んできた。
今回の行き先は太い赤丸の所。
前日、スダクのトーニャおばさんの民宿で
ウクライナ人の炭鉱夫ミコラと知り合った。
(前回の手記 "スダク1"参照)
今回の手記は、スダク2日目の
・朝の出来事
・ノーヴィ・スヴェートの町の紹介 (長い)
・ノーヴィ・スヴェート遠足の記憶
の順で並んでいる。
スダクの民宿のさわやかな朝
その日は2つの予定が入っていたので
夜が明けると早めに起き出した。
”みんなの広場” にいる早起きの人達と
おはようを言い合う。
当日の予定2つ
1:ミコラが早朝、海に貝を採りに行くのに付き合う。
2:ミコラが隣町の知らない場所へ連れて行ってくれる。
(隣町の名はノーヴィ・スヴェート、後述)
貝を採りに (予定1)
ビーチ へ
(約束したという)お土産用の貝殻を、
ミコラが海に採りに行く。
面白そうなので付いて行く。
財布も持たない手ぶらの朝の散歩。
ミコラが潜る
海岸まで約1.5㎞。
ビーチに着くと、
「危ないから来るな」と
ミコラは一人で海に入って行った。
砂浜に突っ立ったまま眺めていたが
ミコラはかなり遠くまで泳いでいく。
内陸育ちなのに泳ぎが上手いのに驚いた。
(もしかして選手だった?)
もう人影が点くらいにしか見えない。
と、イルカが潜る時、尾びれを高く上げる感じで、
足の先が一瞬ぴょんと飛び上がって見えた。
垂直に潜ったのだな、と思った。
人にはそれぞれ色んな能力がある。
ミコラはこういうこともできるんだ…
息はそんなに持つのかな、と
少々心配になりながら待っていると、
サザエのような大き目の巻貝を持って戻ってきた。
それを何度か繰り返して
5,6個の収穫を持って民宿へ帰る。
↓ の動画は、スダクのビーチから少し東の岩場の水中の様子。
↑ スダクの海に潜っている映像
(これと次↓の動画は同じYouTuber)
↑ こちらはノーヴィ・スヴェートの海中の映像
海藻がわさわさ揺れている。
貝はこんなところに隠れているのか…
貝を茹でる
民宿に持ち帰った貝を
ミコラがどうするのか見ていると
表面を磨いて鍋に入れた。
茹でるつもりのようだ。
ロシア語で何ていううんだっけ?
ミコラが何か探している…
「誰か、あれ持ってる?
…こうするやつ、ロシア語で何だっけ?」
と両手で大きくジェスチャーを交えて訊いている。
みんな集まってくる。
何探してるの?
あれかい?、これかい?と
あちこちから声が聞こえてくる。
「あれ、あれ、火が~ 燃えるやつ…」
「マッチね!」と誰か。
「あ、それ!マッチ!」
「あぁ、なるほど~。」
「持ってるよ。」と別の人。
解決して、みな元居た場所へ戻る。
(映画「男はつらいよ」の
寅さんの住む下町の雰囲気を
思い浮かべてしまうような光景)
無事ミコラはコンロに火を点けることが出来た。
(あちらのコンロはマッチがないと火が点けられない作り)
- - - - -
母語がウクライナ語のミコラは、
ロシア語を話していても
ウクライナ語に戻ってしまったり、
混ぜこぜになったりした。
東京で方言を話すのと近いと思う。
自分は”東北弁”を聞いているような気がしていた。
ウクライナでのロシア語は、しばしば
”Г"ゲー(喉の奥で鳴らす gh )が
濁った”Х"ハー(喉の奥の kh の音) 寄りの
音に聞こえた。
ちょうど「行く」が「行ぐ」に
聞こえるような感じ。
例:ウクライナ民族ダンスの гопак
ゴパック が ホパック
Gopak Hopak
ソロヴィヨーフ=セドーイ作曲の『タラース・ブーリバ』 より
岩田守弘さんが豪快に踊っている映像(不鮮明)
- - -
それに、
ミコラはトーニャおばさんが言う通り
ピュアな、”憎めない”タイプだ。
多少いじられてもいたが、
民宿でもみんなに気にかけられていたし、
もちろん無視されることもなかった。
(小学校のクラスにいた男の子のような…)
- - -
- - -
((ソ連の教育では、民族の友好を謳っていた))
((ましてロシア人とウクライナ人は根は一緒で、
ずっと共に暮らしてきた。
血でいけば純粋なロシア人も
純粋なウクライナ人もいない。
混ぜこぜの兄弟であり
別民族とさえほとんど感じていなかった。
なので、昔からいがみ合っていたという話は
特に東の方のウクライナでは正しくない。))
現在190以上の民族が暮らすロシアで
国家としてのナショナリズムはない。
(これはプロパガンダではなく、
その逆だと思わされている事こそが
プロパガンダであると思う。)
貝の中身をどうするか?
貝を1時間ぐらい茹でて
ミコラは貝の中身をかき出し始めた。
横で作業を見ながら聞く、
「中身どうするの?」
「捨てる。」
「食べられる?」
「え???」と
驚いて手を止め、真顔でこっちを見た。
(そんなに驚く?)
で、近くにいたトーニャおばさんにも聞いてみた。
この貝は食べられるの?毒はないですか?と。
「大丈夫よ、うちの猫も食べてるから。」
(サザエは子供の時1度だけ伊豆半島で
伯母に食べさせてもらったきりだ。
どの部位を食べたか覚えていない)
(日本では高価で食べられない。
絶対絶対 勿体ない!! )
お皿に載せて、傍のテーブルに置き、
見た目で危なそうな色の所は除けて
恐る恐る食べてみた。
採りたての天然の貝だ。
「お、美味しい!」
と、目の色を変えてほおばるっていると、
周りのみんながドン引きしていた。
(当時は内陸のロシア人は貝類や海藻など
気持ち悪がって食べなかった、
前回の”スダクの動画の紹介”で触れたが、
今ではカキなど食べているようだ)
(当時~30年前のモスクワで
極東産の海藻の缶詰は売っていて
激安なので買って食べていた。
あまり美味しいわけでもなかったが
栄養ありそうだし…。
授業の時に先生に調理法を聞くと、
そんなもの食べるの?と驚いていた。)
(だって店で売ってるじゃん!)
その後、
草ぶきの日よけ屋根の前で
ミコラは椅子の上にのると、
貝の中を乾かす為、屋根の上に並べていた。
(ここで朝の予定1は終了)
(早く次の予定の場所に出掛けたくて、作業が早く終わらないかと、自分はミコラにくっついて回って待っていた (自分も稚拙な性格)。貝を屋根に並べる作業を下から見上げていた時、草ぶきの隙間から目が合って、一度だけ、何故かドキッとして目を逸らした事を白状する。)
貝はここ ↓ に出てくるアカニシかもしれない。
https://jp.rbth.com/cuisine/85175-roshia-kokkai-engan-saikou-ni-osihii-mono-7
- - -
朝の貝殻づくりの作業を終えてから、
その日のメインの予定、
ノーヴィ・スヴェトの遠足へと出かけた。
下の大見出しの
「ミコラと歩いた風光明媚な隣町への過酷な遠足」
へ続く。
ー ー ー ー ー
ー ー ー ー ー
この日の2番目の予定は、ミコラと
ノーヴィ・スヴェートへ行くことだった。
ノーヴィ・スヴェートの
連れて行ってもらった場所の記憶は
30年で薄く消えかかってしまった。
覚えている事は次の5点
1, 洞窟、その中の遺跡に似た蜂の巣状の構造物
2, 1へ通じる海沿いのくねった石の歩道
3, 松のような木々とそれを通して見た風景
4, コウモリのいる暗い縦長のほら穴
5, 高い崖から波が岩に当たるのを見た
(記憶が薄い理由は
事前に地図で下調べすれば違っただろうが、
当時そんなもの(地図)はなかった。その上、
フィルムを切らし、写真は1枚も残らなかった。)
そこで、ネット上で地図・サイト・画像・映像
などをとことんサーチしてみた。
そしてその段階で戻った記憶もある。
調べたことを以下に書き連ねる。
ー ー ー ー ー
~ ノーヴィ・スヴェートについて調べて紹介 ~
ノーヴィ・スヴェトの情報
”Новый свет” ノーヴィ・スヴェト ”New World”
「新しい世」(新世界) 、「新しい光」という意味がある。
初めはパラダイスと名付けられ、後に
ノーヴィ・スヴェト に改称したそうだ。
”Новый свет”の位置を地図で確認
海沿いの、村サイズの小さな町。
西(左)の南がノーヴィ・スヴェート。 右がスダク。
Wikiでは
https://en.wikipedia.org/wiki/Novyi_Svit
「シャンパンの生産は、19 世紀後半に地元の地主、レフ・ ゴリツィン王子によってノーヴィ・スヴェトに導入されました。」
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9D%D0%BE%D0%B2%D1%8B%D0%B9_%D0%A1%D0%B2%D0%B5%D1%82_(%D0%9A%D1%80%D1%8B%D0%BC)
「レフ・セルゲイヴィッチ・ゴリツィン王子は、19 世紀末にここの敷地内にシャンパン ワイン工場を設立しました。」
ノーヴィ・スヴェト町の人口はずっと1000人前後。
ゴリツィン設立のワイナリーで有名
ワイン工場は現在も稼働中。
https://maps.app.goo.gl/5xetevZoWfFb1RHP6
ゴリツィン(Golitsyn)公の家博物館
https://maps.app.goo.gl/s96A6CKg1cufwFuN6
(前々回のコクテベリも同様だが
この近辺の気候が
ブドウの生産に適している。)
~ ~ ~
下の写真は、
左はゴリツィン公と100年前の遊歩道入り口画像、
右は現在の入り口 (山の東側に2つあるうちの内側の)
※ゴリツィン家とは、
16世紀からロシア史に名を残している貴族。
ここの説明が分かり易い ↓
https://fuguja.com/house_of_golitsyn
この家系から活躍した人は多く、露語版Wikiに (下のリンク先から) 主要人物一覧 ”Известные представители рода Голицыных” が見れる。100人近い名が連なっている。
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%93%D0%BE%D0%BB%D0%B8%D1%86%D1%8B%D0%BD%D1%8B#%D0%98%D0%B7%D0%B2%D0%B5%D1%81%D1%82%D0%BD%D1%8B%D0%B5_%D0%BF%D1%80%D0%B5%D0%B4%D1%81%D1%82%D0%B0%D0%B2%D0%B8%D1%82%D0%B5%D0%BB%D0%B8_%D1%80%D0%BE%D0%B4%D0%B0_%D0%93%D0%BE%D0%BB%D0%B8%D1%86%D1%8B%D0%BD%D1%8B%D1%85
ゴリツィン家出身で現在活躍中なのは、
イギリス生まれのイケメン俳優、
ニコラス・ガリツィン、だそうだ。
観光地としてのノーヴィ・スヴェト
ノーヴィ・スヴェトでの観光としては次の3点
・ゴリツィン・トレイル のハイキング
・ワイン工場(ゴリーツィン設立の)(上を参照)
・海水浴(公式には閉鎖中のビーチもあるとのこと)
当手記ではゴリツィン・トレイルのみ紹介
ノーヴィ・スヴェトの主な見どころは
ゴリツィン・トレイルの観光紹介
ゴリツィン・トレイル とは… ハイキングコース
ゴリツィン・トレイル の名称は
Тропа Голицына
Tropa Golitsyna (Googleマップの表記)
トロパ・ゴリツィナ (Googleマップの表記)
ゴリツィン自然遊歩道
(ここでの紹介は、
より分かり易いと思われる英訳での
ゴリツィン・トレイルに統一しました)
(有料の情報もあったが、
切符売り場が閉鎖中の動画もあり、
現在は分からない。)
ゴリツィン トレイルの始まり ~ 皇帝歓迎の為
ロシア皇帝の訪問の為に、
遊歩道は今から約110年前の1912 年に作られた。
Wiki ↓ (露語)
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A2%D1%80%D0%BE%D0%BF%D0%B0_%D0%93%D0%BE%D0%BB%D0%B8%D1%86%D1%8B%D0%BD%D0%B0
「ゴリツィン トレイル は、ノヴィ スヴェト村 (クリミア) の南西の海岸線に沿って位置するコバ カヤ山の斜面に刻まれた山道です。
1912 年に皇帝ニコライ 2 世の到着を記念して、レフ セルゲイヴィチ ゴリツィン王子の命令により建設されました。 現在では人気の周遊ルートとなっている。」(Google翻訳)
ゴリツィン・トレイルの建設当初は、
海沿いの道が長く繋がっていたのが、
古い写真で見て取れる ↓
1927年の地震で崩れたらしい。
ゴリツィン トレイル地図
崖や高低差が分かり易い 地形図 (山の標高の記載あり)
↑ 地図の左半分に ゴリツィン・トレイル、
赤い点線で示されている
OpenStreetMap (地形図)
( ↓ Googleの地図で ”ゴリツィン・トレイル”は全行程が表示されていない)
https://maps.app.goo.gl/FHRdnz8Kt46LdSdq8
Yandex地図 ↓
https://yandex.com/maps/-/CDaViX7v
ゴリツィン・トレイルとロイヤル・ビ-チ・トレイルのセット
全部歩くと 約5㎞半 の道のり (ユーザー作成図) ↓
(上のYandex地図等は下のページから借用)(露語)
ゴリツィン・トレイルの地図と写真、ニコライ2世や、ゴリツィン公の写真。Yandex地図はストリートビューあり。 ↓
https://krymania.ru/tropa-golitsyna/
ゴリツィン トレイル紹介サイト・動画
以下のサイトで機械翻訳のような日本語で読める。
https://ja.trendexmexico.com/puteshestviya/94088-golicynskaya-tropa-v-krymu.html
https://ja.trendexmexico.com/puteshestviya/95052-novyy-svet-krym-otzyvy-turistov.html
全行程 5470メートル (↑)
https://stroysystems.ru/ja/other-devices/grot-golicyna-tropa-golicyna-zakaznik-novyi-svet-karaul-oba.html
↑ 美女のゴリツィン・トレイル紹介
次は、YouTube動画 (約43分、露語)
訪れた皇帝の写真や、映画のシーンを織り交ぜて、
昔と今を比べながらの紹介。
ノーヴィ・スヴェートの見どころ全体を通行。
スダク方面からの道路から始まる。(ここを通ったのを覚えている。)
写真で辿るゴリツィン・トレイル
この下の地図の、右上の入り口付近から海沿いを
左の岬(ミニ半島)まで繋がる歩道に沿って
写真(と360度ビュー)を並べた。
町の方からの、東の入り口を入ると…
東のゲート (写真にゴリツィン公が写っていたゲート)
ゴリツィン洞窟(シャリャーピン洞窟)
上↑と下↓は同じ場所からの360度ビュー
上↑と下↓は同じ場所からの360度ビュー
ゴリツィン洞窟からカプチク岬寄りに、
遊歩道を下って石の浜を歩く部分を含む。(歩きにくい)
落石注意!
ゴリツィン・トレイル必見5か所の詳細
I, コバ・カヤ山
II, ゴリツィンの洞窟
III, ジュニパー・グローブ
IV, 吹き抜け洞窟 (貫通洞窟)
V, カプチク岬
I, コバ・カヤ山
露語Wiki ↓
Гора Коба-Кая
Mount Koba-Kaya
別名:鷲山 Орёл
標高165mの岩山
↑ yandexマップ
https://maps.app.goo.gl/kLj6puUpUMFE5R1m7
上の写真は南から見たコバ・カヤ山。
下の写真は東から見たコバ・カヤ山。
コバ・カヤ山の下の方の海沿いを
”ゴリツィン・トレイル”の細道が
ぐるりと作られているのが見える。
コバ・カヤ山の頂上
ノーヴィ・スヴェートの大パノラマが見れる。
コバ・カヤ山の山頂からの映像 ↓
https://youtu.be/oRLTE43cTio?si=M3VOhfGIc4oilPp0&t=4955
絶景なので、リンク先のYouTubeの大画面でぜひご覧あれ。
↓ 360度ビュー
II, ゴリツィン洞窟
コバ・カヤ山のある半島の先端付近の洞窟
ゴリツィン洞窟
Грот Голицына グロト・ゴリツィナ
Golitsyn Grotto
別名: シャリャーピン洞窟
Грот Шаляпина グロト・シャリャーピナ
Chaliapin Grotto
「洞窟の高さは約 25 ~ 30 メートル、
幅は最大 17 メートルで、
中世にはキリスト教の洞窟修道院がありました。」
(↑ ゴリツィン・トレイルで紹介したWiki ” Тропа Голицына ”より)
「ゴリツィンの洞窟は、長さ約20メートル、高さ5〜8メートルの洞窟です。」(下の露語サイトから)
ニコライ2世も、シャリャーピン ( オペラ歌手、日本ではシャリャーピンステーキで有名) も、ここを訪れた。
” ゴリツィン洞窟 ” の360度ビュー ↓ きれいに見れる
ー ー ー ー ー
左奥の天井が低くなっている部分:
「シャンパンの保管施設である石造りのアーチは今日まで生き残っています。」(上同様、Wikiより)
写っている井戸からは淡水が汲めた。
(下のゴリツィン・トレイルの動画では井戸の中を覗いている)
↑ は天井が低い部分の360度ビュー。
(下の写真でオーケストラのいる辺り)
現在でもコンサートが開かれるとの事。
ー ー ー ー ー
ゴリツィンの洞窟への行き方
この洞窟へは山の北の東側と西側から歩いて行ける。(ボート以外では)
ー ー ー ー ー
下はゴリツィン・トレイルの東 ( 街側 )の入り口からの動画。
洞窟内部をくまなく見せてくれている ( が洞窟までで終了)。
下の動画でも、同じく山の北東側から入り、洞窟を見た後、7分半過ぎにコバ・カヤ山の西側へ進み、10分27秒の辺りでカプチク岬の半島入り口を横目で見て素通りし、ジュニパ-林の遊歩道の別の出口方向へ行って終わる。
III, ジュニパー・グローブ(ヒノキ科ビャクシン属の群生地)
それほど高くない、松のような、
特徴的な木々が点在する群生地。
ヒノキ科ビャクシン属
露語 Можжевельникモッジェヴェリニク
英語 Juniper ジュニパー
ビャクシン林、ジュニパー・グローヴ
露語 Можжевеловая роща
英語で Juniper Grove
(露語Wikiの Можжевельник のページでは
日本の寺らしい所の、木の写真が貼られている!
ページ下部には盆栽の写真が! (盆栽のイメージ?))
☆ (実は、ロシアで盆栽は結構ポピュラー)
(同じ年1993年、モスクワの公園で、
盆栽が沢山売られているのを何度も見ていた。
何だか大柄な盆栽で、
素人目にも ” ちょっと違う!”(笑)が、
ちゃんと「ボンサイ」と書かれていた。
ソ連崩壊直後のインフレで、
お金や食料が足りなかったり、
国も荒れ始めていたが、
盆栽を楽しむ心の余裕があった。)
(写真のツァーリの浜は、ロイヤルビーチとも訳される)
ー ー ー ー ー
360度ビューでコバ・カヤ山の裏手からの眺め、ジュニパーの木々が点在している ↓
国立植物保護区になっている。
↑ のビューから、
↓ コバ・カヤ山、カプチク岬の陸側からのスクショ
IV, 吹き抜け洞窟 (貫通洞窟)
スクヴォズノイ・グロト
Сквозной грот
through grotto
吹き抜け洞窟 、貫通洞窟
は カプチク岬の東西を突き抜けている洞窟。
全長 77 メートル。
高さは最大 17 メートル。
コウモリが生息。
「カプチク岬 - 狭い地峡を持つ狭くて長い岬。 起源 - 古代のサンゴ礁。 この岬はブルー湾とゴルバヤ湾を分けています。 岬の中央部には78メートルの貫通洞窟があり、2021年まで一般公開が禁止されていた」
(前出のWiki ” ゴリツィン・トレイル ” より)
Wiki ↓ ("Сквозной грот" 露語 Google翻訳)
「2008 年、いくつかの事故の後、この洞窟は危険であると宣言され、一般公開が禁止されました。」 → 後に閉鎖は解除済み
↓ (露語サイト)(google翻訳)
「貫通洞窟への門 :貫通洞窟の長さは77メートル、高さは最大17メートル。
この洞窟は、カプチク岬の地殻変動と石灰岩の移動の結果として形成されました。
スルー洞窟にはコウモリのコロニーが常に生息しています。
落石で観光客が致命傷を負う事故もあった。 落石の危険が依然として存在するため、スルー洞窟への通路は閉鎖されています。」 → 後に閉鎖は解除済み
↓ (露語サイト)写真等
地図 ↓
写真
上ると岬の上の道。
下っていくと吹き抜け洞窟に繋がる。
カプチク岬の西側。 写真右が岬の先端。
↓ の写真で 中腹の遊歩道を左側に向かうと、”吹き抜け洞窟”入り口。
上の写真の 遊歩道の続き。吹き抜け洞窟止まり。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
上の写真を拡大してみた ら
小さな洞窟がいくつも見える
洞窟を西から東へ通り抜ける写真
カプチク岬から海沿いの歩道を下り、上の写真から左に進んでゆく。
その先が岩の裂け目 ↓ まで繋がる。奥に洞窟の入口。
↓ 游歩道からの入り口(西側)360度ビュー
入口。上の写真の隙間の奥に
石のゲートが造り付けられている。
閉鎖時には鉄格子が付けられていた。360度ビュー
洞窟の中の様子
海側の出口は2つある 360度ビュー
遊歩道入り口と逆側の
東側の出入り口は、直接海…(ボートか泳ぎで…)
海からの入り口(東側)↓ 360度ビュー
ここ↑を海から見ると・・・
↓ ↓ ↓
カプチク岬の東側 (海から見た吹き抜け洞窟の出入り口) ↓
洞窟を西から東へ通り抜ける動画
吹き抜け洞窟内に入って出る動画
ショート ↓
YouTube ↓
コウモリの巣 ↓
V, カプチク岬
Мыс Капчик
ムィス・カプチク
カプチク岬
Cape Kapchik
先端が曲がっているミニ半島型の岬。
高さは 65m (上に挙げた、緑色の地形図による) 。
付け根から先端まで500m前後。
「起源 - 古代のサンゴ礁 」 ( 前出のWiki”ゴリツィン・トレイル”より )
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D0%B0%D0%BF%D1%87%D0%B8%D0%BA ( 露語wiki)
↑「カプチク輪郭は巨大なトカゲの化石に似ています。」
ー ー ー
地上から googleマップの360度ビュー
ー ー
今は岬の先端付近は ”立ち入り禁止” らしい。↓
”立ち入り禁止”と書いてあるが、
違反金の数字を誰か消してしまったようだ。
”000” と0が3つ並んでいるので
「えーっと、タダだね」と言って
立ち入る人続出のもよう。
その為、この先の動画が沢山見つかる。
女性や子供も映っているので
落ちなければそれほど危なくないのかも。
ー ー
360度ビューで見る
カプチク岬の先端近くへ
カプチク岬の先端に近い頂上付近はちょっと危険 ↓ 360度ビュー
ー ー
ー ー
カプチク岬の最先端に近い所に廃灯台の土台がある。↓
https://maps.app.goo.gl/Bi9cqEuRseULdhF97
ー ー
最先端
ー ー ー
美しいパノラマ集 ~ カプチク岬
幻想的! カプチク岬だけ霧の中 ↓
こちら側からの光景は 湾の対岸の山や高台から見られる。
ー ー ー ー ー
カプチク岬の動画集(興味があれば、ご覧下さい)
ジュニパ-林の方から来て、7分付近で岬が見える。
先端付近まで行く。高い岩近くを夫婦で散策している動画。
サンダルで来ちゃったけどww…と、
少し危険な一番高い岩に登ったyoutuber
(何度かご紹介のこの方、ここの動画も複数ある)
上と下は同じyoutuber。岩や植物もアップで見せている。
最先端の危なっかしい場所は冒険心がくすぐられるかも。
(自分で行かずとも代わりに行って見せてくれる)
ー ー ー ー ー
これより西側の自然遊歩道も絶景ポイントがあり、
今回の手記でこちらの観光には触れないが、
ゴリツィン・トレイルから続けて山道を歩くルートも魅力的。
動画サイトには多数 投稿されている。
ゴリツィン・トレイルの
~ 観光情報はここまで ~
ー ー ー ー ー
ミコラと歩いた風光明媚な隣町への過酷な遠足 (当日の予定2)
スダクから少し離れた景勝地に行った。
詳細地図などなく、ミコラに全部お任せだった。
トーニャおばさんの民宿からの道のり
確実な場所ゴリツィンの洞窟、
ここを目的地として赤いピンで示した。
https://maps.app.goo.gl/L1bganucihDi1GWWA
遠くて死にそうな距離だった、
と思ったら何と片道 約10 ㎞だった。
しかも、この地図左のグラフによると
高低差は海抜7mから78mだったようだ。
山がちな起伏の激しい道路である。
ヒッチハイク
民宿から歩いて出発した。
ミコラのペースで
1時間も歩くと息も絶え絶えになり、
歩くスピードが落ちてきた。
すると、
ちょうど通りかかった車をミコラは止めた。
運転手と言葉を交わし、車に乗り込んだ。
”やった、やるじゃん、ミコラ!”と思った。
車に乗っても、それから15分程度は掛かったかも。
「結構遠いな」と感じた。
本当に歩くつもりだったの?と思いつつ。
到着後ミコラはお金を渡していた。
その場所の風景は覚えていない。
車を降りると「帰りは歩きだから!」と宣言。
海の方向へ下りていく。
植物が点在している、地肌丸出しの山道。
そこが ” ゴリツィン・トレイル ” だった。
記憶の場所
点々としか残っていないこの日の記憶を辿ってみる。
記憶の断片5個
1,ゴリツィンの洞窟
2,1へ通じる海沿いの歩道
→ゴリツィン・トレイルの部分
3、松のような木の道
→ジュニパー群生地
4,縦長で暗いこうもりの洞窟
→吹き抜け洞窟 (スクヴォズノイ・グロト)
5,高い崖の上で休憩
→カプチク岬
上記の記憶を頼りに場所を特定。
5地点の全てがゴリツィン・トレイル内だと分かった。
現在のゴリツィン・トレイルの
全部の道は通っていないが、
重要ポイントは押さえていた。
30年前はソ連崩壊後で国の経済状態も悪く
観光地まで手が回らなかったはずだから、
ゲートや料金所もなくどこからでも入れたはず。
1,ゴリツィンの洞窟
→(ゴリツィン洞窟の詳細は上で紹介)
…この日の記憶では一番強い
ゴリツィン洞窟の奥に天井が低い所があり、
そこは暗く、ワインセラーとして作った
ハチの巣状の石の棚が並んでいた。
これを見た時は、暗くて、多少じめっとして、
ちょっと気持ち悪い所だけど何だろう?
古代人の墓か?と思い、ミコラに聞いた。
「ワインをどうたら…」といろいろ説明していた。
予備知識もなく、ワインなどの生産地とすら
知らなかったので、何言ってんの?と思ったが、
ミコラが言っていた事は実は正しかった。
この手記の為に今回調べて分かった。
写真右のアーチの台にももちろん上った。↓
中をゆっくり散策し軽く休憩。
ー ー ー
次の記憶は洞窟を出た後すぐの場所。
2,1へ(から)通じる道
記憶では…
~削られた崖を左手、右手に海を見ながら歩いた~
歩道が海面にすごく近く、
海側の手すりは ぶ厚い石塀 。
→それは ”ゴリツィン・トレイル” の一部
→今写真を見ると 高さは水面から10 m位はあるようだ。
場所によって低い所もあるが。
左にコバ・カヤ山の巨大な壁。
視線を斜め右下に向けながら歩くと、
青緑の輝く海面に吸い込まれそうだった。
上の写真の海に少し突き出て、
歩道のくねくねした所が印象深い。
「さっき通った所だ」と2度目の復路で思った。
この辺から少し先の記憶がはっきりしている ↓
幅が30-40 cmもある石の手すりが印象に残っている。
時々それに手を触れながら行く。
石塀の高さはこれくらい ↓
多分西側からゴリツィン洞窟へ行き、
くねくね石歩道を通り、同じ道を戻った。
どこかで引き返したはずだ。
海に岩場の展望休憩所のような場所まで行ったのかな。
可能性はある…、から
見たかも、この岩に登ったかも、という気もする。
はっきりした記憶はなく確信できないが。
もし、ここまで来て戻ったとすれば
距離もかなりある。
ゴリツィン洞窟と石の歩道は海面近くなので
戻る時に 一旦また上り坂を少し登る。
その後、下って浜を経由して、上まで行く道に戻る。
高低差が激しく、体力が奪われる。
3、松のような木の多い道
記憶では…
”松のような木が点在している道、
海沿いの高台の中腹から、
木々を通して湾や半島を眺めた。
水面はキラキラ反射していた。”
記憶の絵面は下の写真に近い。
海に面した中腹の道を歩いた。
沢山見た松のような木々。
この風景の左側に小さい湾を囲む陸地(山)が見えた。
自分はこの写真の右から左へ向かって進んでいた。
記憶の場所は特定できないが…
ロイヤルビーチ (ツァーリの浜)の上の高台から見た風景に似ている。
上の「観光地の紹介」のコーナーの通り、
ジュニパーの木々は、
鬱蒼としていず、点々と生えていて
人よりは高いが、それほど高木でもない。
記憶の中の短い映像では
自分は崖の横の道を東側に向かって歩いていた。
ジュニパーの木々の枝の間から、向こうの海や
狭い湾を挟んだ対岸の半島の山影が
左側に見え隠れしていた。
時々スピードを緩めたり、足を止めて見入った。
(足場が悪く、上り坂ではスピードが落ちる)
そんな風景を見た所が、帰り道で、
スダク寄りの中ほどだったような気がしていた。
が、違いそうだ。
帰り道の途中だったような気がするのは、
思ったより西の方へも足を延ばしたからなようだ。
そして連れられて行ったり来たりしているうち、
正確な方向や時間がバグった為らしい。
覚えていないのは、脳が節約したんだろう。
疲れても歩かなければならなかったから。
その時、体力的に相当キツく、口で息をしていたことも
これの記憶とセットになっている。
4,こうもりの縦長の洞窟
→スクヴォズノイ・グロト Сквозной грот
吹き抜け洞窟(貫通洞窟)
記憶では…
”ゴリツィンの洞窟から繋がる道で
高い所で岩同士がくっつきあった
隙間のような狭いまっ暗な道。
パタパタ羽音をたてて
飛んでいるコウモリ達が怖くて
何度も首を引っ込めていた。”
「このコウモリ血を吸う?」って
ミコラに聞いたら
知らないという答えだった。
上の紹介欄に挙げたどの動画よりも、
実際はもっと暗かったように感じた。
この↓ 動画を参考に。(それ程でもないか…)
↑「カプチクの下の洞穴」という名の動画だが、
「吹き抜け洞窟」とは別物だ。(岬に小さい洞穴がいくつもある。)
吹き抜け洞窟は今では人気で
動画や写真も沢山上がっているが、
訪れたその時は、他に人はいないし
まさか前人未踏くらいに知られてない場所で
とてつもない探検をしているのかもと思った。
(全くそんなことはなかった)
(遊歩道だって繋がっているし)
吹き抜け洞窟から出たら外はものすごく明るかった。
先へ進んで岬の上へ出て、
長さ500m程の細長いカプチク岬を歩いたはずだ。
そこから絶景を見ただろう。
↓ ↓ ( 5 へ続く)
5,切り立った崖の上
記憶では…
” 高い切り立った断崖絶壁という感じの崖の上。
岩の上から遥か眼下の波しぶきを見おろした。
平らな岩の上で暫く座っていた” という記憶。
記憶上の時系列では、
ジュニパ-の間から海を見たのと同様、
ここは帰り道の途中である気がしていた。
途中の道をストリートビューなどで辿ってみて
ただの思い違いと分かった。
でも、なぜそう思ったのか、
そして、どこだったんだろうと
ネットの中で行ったり来たりした。
→記憶がおぼろげだったが、
写真を見て あっと思った。ここで間違いない。
カプチク岬の先端だった。
すぐ近くまで行って、ここを外すわけがない。
(垂直な切り立った断崖絶壁ではないが)
先端に着き、身を乗り出して
下をのぞき込んで波を見ていた。
こんな所に行ったら、誰だって
端まで行って風を浴びながら
海を見るに決まっている。
ミコラに「危ねーよ」と怒られた。
顔を上げて視線をまっすぐ正面を向くと
視界のすべて、180度以上に海が見え、
大海原の真ん中にいるようだ。
雄大過ぎて
このまま死んでも気づかないくらい
感覚が生死を越えていた。
頭が空っぽになり
言葉を失って、
黙って眺めていた。
全ての意識を越えていた。
自分が自然か空気の一部になっている気がした。
岩の上で暫くじっと座り込んで休憩した。
上の赤い矢印付近が少し平たく見える。
この辺だったかもしれない。
崖の下を覗くと垂直に近い ↓
忘れた記憶が少し戻った。
この手記の為、すでに1か月
この日の事を思い返していた。
徐々にその時の感動と共に呼び起こされ、
強い感情が蘇った。
このきっかけがなければ
一生考えることもなく
忘れたままだったかもしれない。
これを書くと決めた状況に
感謝の念さえ覚える。
記憶があいまいだったのは何故か?
そこ数日、 大パノラマを見ていたので麻痺していたのか。
毎日歩き回っていた疲労のせいか…(多分これが第1原因)
ー ー ー ー ー
この日のコース
記憶の場所の検証はでき、
訪れたのは間違いなくここノーヴィ・スヴェート、と確信できた。
思い出した事柄と場所とで
この日のコースも特定してみた。
1, 地図 左から右
コバ・カヤ山の裏手の入り口付近から入ったと仮定。
左の地点から、ゴリツィン洞窟を経由し、右の岩場まで1,8㎞
2, 地図 右から左
右の岩場から、ゴリツィン・トレイルを通り、
カプチク岬の吹き抜け洞窟へ 1.7㎞
3. 地図 右上から下
吹き抜け洞窟からカプチク岬の先端へ 0.5km
4, 地図 下から上
カプチク岬の先端からツァーリの浜(ロイヤルビーチ)まで 1km
5, 地図 下から上
ツァーリの浜(ロイヤルビーチ)から
ゴリツィン・トレイル起点へ そのまま戻れば 1km
記憶があやふやだが、もう少しぐるりと遠回りした可能性もあり。
その場合もっと増える。
(ジュニパ-の枝の間から見た景色が帰り道の途中だと錯覚していたので)
6、帰宅 左から右
ゴリツィン・トレイル起点から
スダクのトーニャおばさんの民宿へ 8.5km
1~5 のゴリツィン・トレイルだけで 6㎞
(6の)行き帰りの往復で 8.5km×2 → 17㎞
ヒッチハイクで 約 -5㎞
合計で 18km。
寄り道していればそれ以上かも。
高低差を考えると、2,3割増し。
ついでに
(朝も海まで往復3km前後は歩いている)
ところで、この日、
ノーヴィ・スヴェートのどこかで何かを食べた記憶もない。
宿を出たのは午前中で、この距離を歩くには、
食べなければ持たないので、何か携えていたのだろう。
ゴリツィン・トレイルにもちろん店はない。
(そういえば水道もトイレもなかった気がする)
美しい場所を見せたかった?
30年後の今、ゴリツィン遊歩道を調べてみて、
記憶の場所が、全ての見せ場を網羅していたと知った。
観光客はもちろんいたが、
動画や写真で見れる今よりは、ずっと少なかった。
という事は、前述の当時の
経済状態の悪さも関係しているだろうが、
情報も少なく、ここを知っている人も
少なかったという事だろう。
あの時は気づかなかったが、
多分、ミコラはここが初めてではなく、
とても美しい穴場なので、
見せに連れて来ててくれたのだろうと思う。
ミコラは実は、そんな親切な人だったんだ。
呆れたような、ふて腐れているような
表情をしばしば見せていたのは、
” ツンデレ ” なタイプだっただけのようだ。
「ツンデレ」の使い方あっているかな…?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC
せっかく連れて来てくれたのに
多くを忘れてしまい残念だし、申し訳ない。
ありがとう、ミコラ。
ノーヴィ・スヴェートを後に
帰り道。スダクへ向かう。
帰りはミコラが言った通りずっと歩きだった。
ノーヴィ・スヴェート付近の
この道はよく覚えている。
道路の端の途切れ途切れの転落防止ブロックは
サイズが大きくて、景色と共に脳裏に焼き付いている。
ブロック側を歩いていた。
時々振り返りコバ・カヤ山と緑湾に別れを告げながら。
↓ 2010年のストリートビュー
道路が海に近いのはこの辺までで、
その後の半分以上は山側になる。
海を見ながら歩くのはまだましだったが、
見えなくなると気が紛れず、体もきつくい。
しゃべる余裕はなく、
機械的に黙々と歩いた。
地獄の帰り道
高低差の大きい林道のような道路。
酸素が足りない、特に上り坂になると
マラソンで走った後のように肩で息をして
何も考えずひたすら足を動かし続けた。
上り坂は歩幅が小さくなる。
スピードも出ず、進まない。
崖登りとは違い、当然だが
ミコラは手を貸してくれるわけでもない。
もちろん押してくれるわけもない。
本人も疲れてただろうけど、
自分より体力もありそうだし、
息も特に苦しそうではない。
ちょっと休みたいと言っても
ほんのちょっと立ち止まると先に行ってしまう。
街灯もなさそうな山道で
暗くなったら危険なことは確かだけど。
ちょっと恨めしかった。
これは修行か!!
たまに車も道路を通るが、
帰りはヒッチハイクしないで全部歩く、という。
(「帰りは全部歩くからな」と
行きの道で言っていたけどさ。)
頭は空っぽで歩を進めるだけ。
ただ機械的に足を前後に動かしているだけ。
帰り道に景色を見る余裕はなかった。
力をここまで使い果たすほどの経験は
それまでもそれ以降もないと思う。
1日でこんなに長距離を歩いたのも、
人生で1,2を争うほどだ。
それはそれでいい経験かもしれないが…、
でも、
やっぱりミコラは乱暴!!
この地獄の徒歩のせいで
素晴らしい場所の記憶が薄らいだ可能性は高い!
スダクの町でスイカを買う
やっとのことでスダクの町まで辿り着き、ちょっと安心した。
くたくたになっていたが、
スダクの最後の夜の為に大きなスイカを買った。
前日に宿のみんなとテーブルを囲んだ時、
何かしら頂いたので、
お礼も兼ねて一緒に食べようと思ったのだ。
自分も食べたかったけど、
スイカはスイカだから水分たっぷりでとにかく重い。
ギブアップ寸前の体力で持つ。
宿までまだ 1 ㎞ 以上はあるだろう。
絶対ミコラの方が余力があると思い
「持つの手伝ってくれる?」と聞くと、
「こういう言い回しがあるんだ、
” お前が買って、お前が持つ ”ってね。」
ムッとして睨みつけた。
途中で、また頼んでみた。
「ちょっと持ってよ!」「やだ!」
「あんただって食べるでしょ!」
というと渋々持ってくれたが、
自分の取り分くらい持つと、返してきた。
また睨んだら、そっぽを向いた。
その時、考えるでもなく頭に浮かんでいた。
”ミコラはне настоящий мужчина(真の男じゃない)!”
それは、あるロシア語の授業で、
テキストに出てきた親切な男性について、
先生(ロシア人の女性)が
「彼はнастоящий мужчина(真の男性)ですね。
ではどんな人を”真の男性”というでしょう」と
ロシア語で表現させていた。
自分は「重い荷物を持ってくれる人」と答えた。
(以下ガールズトーク続く)
それが頭の引き出しから勝手に出てきた。
やっとのことで民宿に辿り着きホッとする。
「ただいま」
「どうだった?」
待ってましたと宿のみんなに話しかけられる。
明るく返事はしていたけど、ドッと疲れが出る。
「みんなと食べようと思ってスイカ買ってきたよ」
スイカを冷やしたくて水に浸しておこうとしたが
大きなバケツが見当たらない
ミコラに言ったら、
そんなのしたことない…と言われて
まだ少し不機嫌だったので放置した。
ジャガイモ
だんだん薄暗くなってきたところで、
もう夕飯を終えていた人もいた。
ミコラはジャガイモを出してきて
「これ剥いて」と5,6個かもっとか渡してきた。
そうだ、今から夕飯の支度じゃん…
水道端でしゃがんでジャガイモを洗い、
しゃがんだまま、ナイフを取り剥き始める。
(ピーラーがないので)
ジャガイモを剝いていると、
疲れで瞼は落ちてくる。
しゃべる余力も残っていず、黙々と作業する。
遠慮してだれも話しかけてこない。
やたら時間が掛かる。
ぐったりしていた。
剥いたジャガイモをどうしたろう。
ミコラがジャガイモを焼いてくれた気もする。
どう食べたのも覚えていない。
が、食べたら少し元気が戻った。
スイカは皆と分けて食べたが
生ぬるくて美味しくなかった。
やっぱり水に浸ければよかった。
悔しがっていると、
「おめーの言うとおりだったわー」
食べた後でミコラは言った。
もう一度睨んでおいた。
ー ー ー
トーニャおばさんの民宿は楽しくて、
本当はもう少しここにいたいと思ったし、
もう1日いたらと皆からも言われたが
「明日はヤルタに行く」
と、皆に宣言した。
時間を無駄にするわけにはいかなかった。
その日の記憶はそれだけ。
ミコラの提案
あの日のどの場面か、
その前日からか記憶がおぼろげだが、
こんなことを言っていた。
兄弟がシンフェローポリにいて、
数日後にそこへ行くけど
寄って行かないか?
みたいな事。
モスクワ行きの列車は
シンフェローポリから出るから
そこへは必ず行くし、楽しそうだし、
またミコラとも会えるなら嬉しい。
町へ行ったら電話すると約束し、番号を貰っておいた。
荘厳な大自然の中の記憶
今回、ここにこの手記を載せる為、ノーヴィ・スヴェートの地図や写真、サイトや沢山の動画を見たが、やはり言葉も出ないほど雄大で、本当に美しい場所だった。
”地上の楽園”といわれるのも頷ける。
今回地図を見て繰り返しネットの中の世界で同じ場所を繰り返し歩き回って、実際にもう一度訪れた気がした。
何故、自分の記憶からこの風景の多くが飛んでしまったか全く理解できない。悔しい。だが今回調べている時に、戻った記憶もある。この時の事や感情が懐かしく浮かび上がり、胸がキュンとし、何故か少し物悲しくなる。
前回の手記から、
前日に撮ったミコラの写真を再掲するが、
彼の後ろ、ずっと遠くの、
写真左にカプチク岬の先端と、
尖ったコバ・カヤ山が見えている。