カルテ19:グレーゾーン
やっぱり世にいうグレーゾーンというのが苦手です。
前にも同じことを言ったと思いますが、正直「いずれ出すための答えの保留」という側面がすっぽり抜けて「理屈をとっかえひっかえする場合わけ的思考」あるいは「ジョージ・オーウェル的な二重思考の産物」とごちゃごちゃになってないかというのがあります。
曖昧で世が成り立っているならせめてこのグレーゾーン定義自体をごちゃごちゃにしないで欲しいなという思いがあります。
もう一点こちらも前に言ったと思いますが、世の中の中にその社会を回すベクターとなる構成員、それらにはあまりグレーゾーンというのは許されてないような感じがします。グレーゾーンの非対称性。
こういうの型通りな言い方でなんだかななんですが、規格通りか容易く判別出来るようにせよという事情ゆえでしょうか?
そもそもグレーゾーン的振る舞いを守れてる人間って周りに何人いるでしょう。
「私と仕事どっちが大事なの?!」と類似した白黒思考に基づいた問いを無意識下で接してる相手に問うてならグレーゾーンとして偽物で一番たちが悪い。
少し意味合いが違うけど奇しくも発達障害などでグレーゾーンと呼ばれる人たちと接して、自分の理解の範疇に収まる方向へとカテゴライズしてないかなど。
鬱病の人に対してたまたま元気を出して人前に顔を出せたことに対して「元気そうじゃん」というのも一応この部類に入りますかね。
よく「そんな物事を難しく考えなくても」という言葉をよく言われるのですが、自分からするとこのグレーゾーンとの向き合い方が遥かに難しいと言わざるを得ません。
そして今、話ながら思ったのですが、世の中の唱えるグレーゾーンがネットでよく聞く「都合の良い多様性」「マジョリティが認める範疇の多様性」のように、某かの視点にしか拠らない不完全さがあるように感じます。
真の多様性が「万人が不満を感じる世の中」でもあるように真のグレーゾーンって「あらゆる面で判断を下せない状況」であるべきだと思います。
そしてグレーゾーンの是非は誰が判断するのでしょうか。
誰かにとって都合が良いグレーゾーンの指標が罷り通ってないとなぜ言いきれるのか。
大人が中高生によくいう「もう子どもじゃないんだから」と「大人扱いされるのはまだ早い」のレベルなら精々口論で済みましょうが、
仕事上での「何で確認しない」と「そんなことをいちいち確認してくるな」が積み重なると病むというケースは枚挙に暇がないと思います。
これを言うと「それはグレーゾーンじゃなくてダブルバインドだろ」という声もあると思いますが、ならそのダブルバインドと混同されてるグレーゾーンが他にないのかとその人に問いたい。
しかし何より忸怩たる想いがあるのが「自分がなんだかんだグレーゾーンの恩恵を受けてる」という面。
自分は自閉症スペクトラムの人間ですが連続体(スペクトラム)の字の通りこれは白これは黒という明確で離散的な判断基準がないもの。
自分は三級の手帳を持ってるのですが正直三級の範疇に入るのかも微妙っぽいです。
もし白黒思考で判断されたら「普通のやつなんだがそれにしてはやけに愚鈍」な人間になってたことでしょう。
正直わかりやすい精神障害だったらそれはそれでそれなりにやりようがあったと思ったことか。
気分は人間と妖怪の狭間のねずみ男です。
ふと「波よ聞いてくれ」という作品の「人間をカテゴライズすること理解から程遠い作業はない」という言葉が浮かんだんですが、これも白黒思考の戒めとも繋げることは可能なのかと。
命題の裏的にグレーゾーンを重んじる人が理解に近いというわけではないとは思うのですが、自分は物事の理解を急ぐタイプなのでしょうか?
その割に物事の結論を出すのががものすごく遅いタイプなのですが…
ならば自分に足りないのはカテゴライズをしないままに物事をひとまず押し進めることなんでしょうか。
ここまで話しましたが、やはりグレーゾーンの向き合い方はやっぱりまだ掴めんなぁとなってます。
グレーゾーンという概念自体を少しずつ全体象を自分なりにやるしかないのかなぁ。
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