カルテ28:ぬいぐるみ

最近ぬいぐるみをそばに置きたい欲が出てきてます。
ポケモンセンターで「エルフーンのみがわりぬいぐるみ」なるものを見つけまして、これが正確にはポケモンでないながらもファンからもコアな人気があるみたいです。

なんでこんなこと話し始めたかというと9月頭に精神がバカみたいに落ち込んで、そういう時にそばにいる癒しみたいなのが欲しいなと少し思ったからです。

人って困ったときに他人に自分の心情を聞いてほしいという欲求とは別に「同調も同情すらなく、ただそばにいてほしい」というものがあるとおもいます。
この場合心ある人にその役割を担わせるとどうしても口を挟むとか、それがなくとも表情で内心どう思ってるかみたいなものが入り込むと思うんです。
結局対他者の限界みたいなのがあるという。

その点ぬいぐるみはただ物質として存在しながらも持ち主が「存在感」の意味付けはできるというのがその対他者の要素を除外できると私は思うんです。
そういう心理的な包容力みたいなのを持ち主が自由に見いだせる点で、ぬいぐるみというのには何かバカには出来ないポテンシャルがあるんではないでしょうか。

二階堂奥歯の八本脚の蝶でなにかしら熱を帯びた論を展開してたと思います。
確かぬいぐるみは世界と自我の繋ぎ手とかそんな話だったような。
詳しい文章は忘れましたが今再読したならば大分説得力を以て響く予感がします。

一点違うとすればそのぬいぐるみに感情移入したら人間として愛しさが芽吹き出すという意味合いが強いのですが、自分の観念的な心に照らすと「物自体でも愛すよ」というところに理想像あるのかなぁ。

そう言えば話冒頭のみがわりぬいぐるみのビリケンみたいな目付きの緑の怪獣は「みがわり」の字義通り相手ポケモンの技を肩代わりするまさしく物自体みたいな存在なんですよ。
故にぬいぐるみの中でも愛らしい見た目ながら無生物のような特性に惹かれているのかも。

ちなみにこれとはポケモンのグッズだと自分の好きなトリトドン(にしのうみ)のall star collection版ぬいぐるみが欲しいんですけど、あまりに手のひらサイズ過ぎてぬいぐるみとしての存在感はみがわりぬいぐるみに比べるとどうしてもないと言わざるを得なくて少し困ってるところです。
好きなポケモンなんですけどね。


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