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感情や思考とうまく付き合う方法(ACT紹介②)


この記事は、
下のACT紹介①の続きです。
まだお読みでない方は、
そちらを先にご覧ください♪

前回の記事では、

ACTとは何かという概要、

ACT中心となる
心理的柔軟性モデル

苦痛と苦悩との区別
についてご紹介しました!

この記事では、
心理的柔軟性モデルに沿った、
ACTの6つのプロセス
について紹介いたします。

引き続き、

「感情をコントロールできないなんて、
 自分はダメな人間だ

「過去の失敗をつい思い出してしまって、
 目の前のことに集中できない」

「仕事にやりがいを感じなくて、
 この先の将来が不安で仕方ない」

日々の生活の中で、
このような悩みを抱えている方へ
お読みいただきたい内容となっています。

繰り返しになりますが、
今やメンタルの調整は
体調管理と合わせて
重要なライフスキル
です。

そのライフスキルを養うトレーニングとして
私がとても有効であると考えている
ACTをご紹介します

聞いたことがある方は少ないかもしれませんが、
うつ病や慢性疼痛等の軽減に
その効果が実証されており、
WHOにより紹介されたこともある
信頼度の高いセラピー
です。


6つの病理と6つのプロセス

それでは、
ACTの具体的な内容にうつりましょう。

ACTは心理的柔軟性
(そして、心理的柔軟性)を
六角形のモデルで表現します。

それぞれの頂点に、

心理的柔軟性であれば、
柔軟性に必要なプロセスが、

心理的非柔軟性であれば、
精神病理(苦悩の原因)が、

位置付けられています。

下にあるのは、
心理的柔軟性を六角形のモデルで
示したものです。

では、
それぞれの病理と
プロセスを見ていきます。

が、
1つ注意です。

ACTが想定している病理は、
程度がひどい場合に問題となる
というものです。

日常生活がうまくいっているなら、
そういう傾向が多少あっても問題はない
のです。

ただし、もしあなたが、
こうした病理によって苦しんでいるなら
この視点から解決ができるかもしれませんよ

というものです。

この後のタイトルは、
精神病理 → プロセス
と表示します。

[認知的]フュージョン→脱フュージョン

まず最初の病理は、
思考との[認知的]フュージョンです。

フュージョンとは、
自分の思考に囚われている状態
思考と融合している状態
のことです。

たとえば、
「私はダメな人間だ」
「変わるなんて無理だ」
「なんで私ばかり我慢しなくちゃいけないんだ」

そうした思考が心を支配して、
「私=ダメな人間」
「変わる=無理」
「我慢=私だけ」
という現実があるように
思い込んでしまうのです。

他の人から見たら、
「絶対そんなことないでしょ」
という状態でも、
フュージョンの状態だと、
そうとしか思えなくなるのです。

これに対して
ACTが導入するプロセスは、
脱フュージョン
です。

これは、
思考から自分を切り離したり、
思考から距離を置いたりするプロセス
です。

例えば、あなたが
「私はダメな人間だ」
という思考にとらわれているとします。

この時、
「私は、〜〜という考えを持っている」
という言葉に当てはめて
頭の中で唱えてみましょう。

「私は
 『私はダメな人間だ』
 という考えを持っている」

なにか違って聞こえませんか?
違和感を意識しながらもう一度

「私は
 『私はダメな人間だ』
 という考えを持っている」

「私はダメな人間だ」という「思考」と
「私はダメな人間だ」と「考えているあなた」

この二つは
イコールじゃないように思えてきませんか?

「私はダメな人間だ」と考えているのは、
少なくとも、今この場では
あなただけです。

さらに、
「ダメな人間だ」と考えている「あなた」は、
そういう考えを持っているだけの人です。
良いも悪いもありません。

なんだか
思い込みが外れたような気がしませんか?

そんな感覚があるなら、
脱フュージョンできています。

考えて考えて解決するのではなく、
あえて思考を手放すことで、
フュージョンから脱するのです。


体験の回避→[体験的]アクセプタンス


続いての病理は、体験の回避です。

これは、
嫌な思考・感情・記憶を感じさせるような体験を
避けてしまうこと
です。

例えば、


あまり社交の場に出ないある人が
友人に誘われて飲み会に行きました。

そこで、うまく話せず、
とある人から
「君つまんないね」
と心ない言葉をかけられました。

それにとても傷つき、
その人は飲み会はもちろんのこと
どんな集まりもすべて断るようになりました。

そうしているうちに、
人と話すこと自体が怖くなり、
誰とも話さず、
家に引きこもるようになったのです。

しかし、
この人は元々人と話すことが好きで、
誰かと話すことでの連帯感を
今も強く求めています。


この方の気持ちもわかります。
集まりに出ないこと、
そして人と話さないことで、
安心するのです。

今は、
この短期的な安心感を得るために、
人と話すことを避けるという
「体験の回避」に陥っている状態です。

これに対応するプロセスが、
アクセプタンスです。

これは、
否定したり、排除したりするのではなく、
自分の思考や感情を、
あるがままの状態にしておくこと
、です。

アクセプタンスには
無数のやり方があるのですが、

基本となるのは
落ち着いて、
その感情を観察してみることです。

先ほどの方が、
友人とのご飯に行ってみたい
と思いました。

しかし、想像しただけで、
「また、つまらないと思われるのでは・・・」と
嫌な気持ちになりました。

この時、
まず落ち着ける体勢で、
ゆっくりと呼吸に意識を向けます。

そしたら、
今自分に起こっている感情を
あるがままに観察してみる
のです。

感情をなくそうとか、
ポジティブになろうとか、
そうしたことはせず、

ただ「ああ、不安が今心にあるな」と
観察してみます。

そうして、
不安が少し小さくなったり、
通り過ぎて行ったりするような感覚があれば、

改めて、
友人との食事に行きたいかどうか、
行くことで自分は幸せになれるかどうか、
選択してみるのです。

概念としての過去や未来による支配/少ない自己知識→「今、この瞬間」との接触


続いての病理は、
概念としての過去や未来による支配/
少ない自己知識
です。

ややこしそうですね。

でも、
これは、要は
マインドフルネスな状態の反対なのです。

マインドフルネスは、
シンプルに言えば
「今、この瞬間」に集中できていること

反対に、
「明日のプレゼンどうしよう、不安だな」
「なんであんなこと言っちゃったんだろう」
と、
意識が過去や未来にあり続ける状態が、
概念としての過去や未来による支配です。

少ない自己知識は、
自分につながっていない状態です。
自己認識、
という言葉の方がわかりやすいかもしれません。

集中できている時は、
どこかで自分のこともモニタリングしていて、
集中が切れたときには、意識を引き戻せます。

でも、例えば
スマホで何時間もYoutubeを見てしまうとき、
意識が完全に娯楽に行っていて、

自分のことをチェックする自分が
いなくなっていますね。

後から、
「なんであんなことに時間を使ったんだろう」
と後悔するような行動をとっているなら、

集中しているようでも、
マインドフルネスな状態ではないのです。

これに対するプロセスが、
「今、この瞬間」との接続
つまり、マインドフルネスです。

今、ここで起きていることに集中する
というシンプル、
かつ、なかなか難しいことです。

これも瞑想を中心として
いろんな手法があります。

ACTでも瞑想的な手法を採用していますが、
瞑想や悟りが目的ではありません。

ACTにおけるマインドフルネスの捉え方は、
広く日常のすべての行動に当てはまります。

マインドフルネスのエクササイズとして
手軽でおすすめなのは、
食べるマインドフルネス」です。
(名称は勝手に私がつけました)

よくレーズンが例として書かれているのですが、
日本だと家にレーズンがある人は
少ないですよね。

なので、
あなたの普段の食事の中で、
一品選びます。

その食べ物、そして食べている自分を
じっくり観察しながら食べてみる
のです。

見た目、匂い、温度、
歯触り、舌触り、素材ごとの食感、
甘味、塩味、苦味、酸味、旨味、辛味
喉を通った感覚、胃に入った感覚・・・

という具合です。

あまりやりすぎると
他のご飯が冷めてしまいますので、
時間が許すときにやってみてください!

「概念としての自己」に対するとらわれ→文脈としての自己


続いては、
「概念としての自己」に対するとらわれです。

この考え方は、
つかめる人はすぐつかめるのですが、
苦手な人もけっこういる印象です。

まず、
「概念としての自己」とは、
シンプルに言えば
セルフイメージです。

明るい(私)、優しい(私)、
ネガティブな(私)・・・
あなたが自分で思う自分のことです。

それにとらわれるとは
どういうことでしょうか?


例えば、
ある人が、
「自分は明るい」と考えています。

その人に、
悲しい出来事がありました。
周りは気をつかってくれます。

しかし、
その人は「明るい自分」でなくなるのが怖くて、
辛く感じている自分を受け入れられません。

毎日、明るくしていますが、
周りからすると、
どうみても「無理している」状態です。

ついには、
心の調子を壊してしまい、
家に居続けるようになりました。


この方は、「明るい自分」という、
自分が思うイメージとしての自分にとらわれ、
そうではない自分に気づくことが
できませんでした。

気づこうとしなかった、
と言ってもよいかもしれません。

では、
「概念としての自己」へのとらわれ
から抜け出すにはどうしたらよいでしょう。

それが、
文脈としての自己、
あるいは観察する自己
に気づくことです。

また、
ややこしい言葉が出てきましたね。

でも実は、
わたしたちはすでにこの記事で
少し出会っているのです。

フュージョンの節でやったことを
思い出してみましょう。

「私はダメな人間だ」

「私は『私はダメな人間だ』
 という考えを持っている」
に変えてみましたね。

この時、
「私はダメな人間だ」という「思考」と、
「私はダメな人間だ」と「思っている私」は、
イコールじゃないと気づきました。

そう、この
「思っている私」の方が、
文脈としての自己(観察する自己)なのです。

わかるような、わからないような
という感じの方もまだいらっしゃるでしょう。

少し、メタファー(たとえ)を使います。
それは、チェスの例えです。

チェス盤を思い浮かべてください。
チェスの白い駒は、
あなたの前向きな思考や感情を表し、
黒い駒は、
悲観的な思考や感情を表しています。

私たちは、毎日
白い駒を推し進めて、
どうにかして黒い駒をなくそうとします。

このチェスが通常と違うのは、
白い駒も黒い駒も無限にある点です。

白い駒が動けば、黒い駒が動いてきます。
「私ってできるじゃん」と白い駒が動くと、
「他の人の方ができるよ」と黒い駒が動く。
そんなことが繰り返されています。

この勝ち目のない闘いに
時間とエネルギーを割くのも一つですが、
チェス盤のように生きることもできます。

チェス盤は、すべての駒(思考や感情)に
くっついていますが、
この戦いには参加していません。
なので、
時間もエネルギーも無駄にしていません。

このチェス盤のような部分が、
人間にもあるのです。
それが文脈としての自己(観察する自己)です。

あなたの心の中に、
「私はダメだ」という思考や
「不安でしょうがない」という感情があります。

でも、意識してみればいつも、
「「私はダメだ」と思っているなぁ」
「今「不安でしょうがない」気持ちだなぁ」
どこか冷静に観察している自分がいるのです。

その自分を意識することで、
「概念としての自己」にとらわれることも
思考や感情に振り回されることも減るのです。

価値の明確さの欠如、価値との接触の欠如→価値


5つ目の病理は、
価値の明確さの欠如、価値との接触の欠如
です。

シンプルに言えば、
「人生で何が大切なのかわからない」
「大切なことを意識して生きられていない」
状態です。

私が問題意識を持っている、
人生迷子」の中核には、
これがあります。

たとえば、

「毎日がんばって仕事も家事もしているけど、
 同じ繰り返しで、やりがいがない」

「一度挫折をしてしまい、何が正しいのか
 分からなくなって、何も手がつかない」

というのは、
この価値(私はテツガクと呼びます)
が不明確だったり、
意識できていなかったりするのです。

さて、価値という、
よく聞くけれど、
意味がつかみづらい言葉が出てきました。

しかし、
私はこの価値という考え方が、
ACTの要だと思っています。

一般的な意味合いとは少し違うので、
ACTにおける意味を
つかんでおきましょう。

価値とは、
シンプルに言えば、
「人生で大切にしたいこと」です。

もう少し詳しい言い方だと、

自分は人生でこれをやりたい、これを大切にしたい、いつもこんなふうに行動したい、ということを「言葉にしたもの(ステイトメント)」

『よくわかるACT』

例えば、

ある人にとっては、
「自由に働く」ということが
仕事において大切にしたいことかもしれません。

また、ある人にとっては、
「誰かの幸せに貢献する」ことが、
仕事において大切にしたいことかもしれません。

このように、
人生を通して大切にしたい、
追い求めたいような
大きな方向性が価値です。

価値の説明は、
それだけで分厚い本があるくらいなので、
いくつか
ポイントを示すだけにしておきます。

価値は目標ではない

目標は達成したら終了です。
価値は方向性なので、
達成されるものではなく続くもの。

「結婚する」は結婚でおしまいです。
「愛する」に終わりはありません。

価値は自由に選択できる

価値は誰かに選ばされるものじゃありません。
世間体や常識は、一度無視してよいのです。
あなたが自分で選ぶものです。

価値を正当化する必要はない

「価値は、好きなアイスクリームの
 味のようなものである。」
とラス・ハリスさんはたとえます。

価値は、
「自分にとってこれが大切だ」
という単なる主張です。

誰かに正当化する必要はありません。
(行動にうつすときは、
 正当化が必要かもしれません)

「自由に働きたいなんて言ったら、
 周りにどう言われるか。。」
なんて考えは、一度横に置いておきましょう。


では、
どうしたら
価値は明確になるのでしょうか。

これもいろんな方法がありますが、
基本は、次のような問いかけに
時間をとって答えてみることです。

もし、今あなたを縛っているあらゆる制約が、すっかりなくなってしまったとしたら、あなたはどんな人生を送りたいですか?何をしたいですか?

ここで大事なのは、
「非現実的だ」と適当にやるのではなく、
騙されたと思って、
真剣にイメージしてみることです。

少なくとも
これに取り組もうと思われる方は、
現実を少しでも変えたいと思っている人
だと思います。

現状という名の「現実」の
奴隷になる必要はありません。

あなたが人生で大切にしたいことを、
深掘りしてみてください。

機能しない行動(有効でない行動)→コミットされた行為


最後は、
機能しない行動(有効でない行動)
です。

何に有効でないのか、
というと、

マインドフルで価値に沿った人生の実現、
つまり、充実した人生の実現に
有効でない行動
のことです。

先ほどの価値に沿わない行動
とも言えます。

あまり良くないとはわかっているが、
ついスマホに手が伸びてしまい、
期限内にやるべきことができなかった

などは、
有効でない行動の
ライトな例です。

うつ病の方の例だと、
薬物やアルコールを過剰に摂取する
人との関わりを持たなくなる
などが挙げられます。

これに対するプロセスは、
コミットされた行為

大切にしたい価値につながる行動をする
ということです。

でも、
実際ここが一番難しく思えますよね。
言うは易し、行うは難し、です。

コミットされた行為を行うために、
価値に基づいた
ゴールを設定する方法があります。

この記事では、
チョイスポイントの考え方を
ご紹介します。

先ほどの
「人との関わりを持たなくなる」
という方を例にしてみます。

人との関わりを選択する場面は、
1日の中で何度も訪れます。
「ご飯を買いに外に出ようか」
「友人にLINEで質問しようか」

その度に、
人との関わりを断つ方を
選択しているわけです。

この時、
この方は選択(チョイス)する
ポイント
にいます。

一つは、
「人と接するのが怖い」
という感情に引っ張られて、
関わりを断つという選択

もう一つは、
「人とつながって生きていきたい」
という価値に近づくように、
関わりを持つという選択

まず、自分が
「今はチョイスポイントにいるんだな」
と気づくこと。

そして、
長期的に自分が大切にしたい
人生の価値に近づく選択をすること

何もしなければ、
きっと
短期的な安心を選んでしまうでしょう。

しかし、
それが本当に自分が望むものではない
と感じているならば、

深呼吸をして、
アクセプタンスや脱フュージョンを意識して
価値に近づく行動を選んでいきましょう。

まとめ


ここまで
ACTの心理的柔軟性モデルにおける
6つの病理と6つのプロセスについて、
紹介してきました。

まとめると以下の通りです。

  1. フュージョン→脱フュージョン
    思考と融合している状態を、
    思考と距離をおくことで抜け出す

  2. 体験の回避→アクセプタンス
    不快な感情や思考を生み出す体験を
    回避してしまう状態を、
    あるがままの状態で受けれることで抜け出す

  3. 概念としての過去や未来による支配/少ない自己知識
    →「今、この瞬間」との接触
    過去や未来に意識が行き過ぎている状態を、
    マインドフルネス(「今、この瞬間」に
    意識を集中すること)で抜け出す

  4. 「概念としての自己」に対するとらわれ→文脈としての自己
    自分の思う自分にとらわれている状態を、
    「思っている自分」に気づくことで、抜け出す

  5. 価値の明確さの欠如、価値との接触の欠如→価値
    人生で大切なことがわからない状態を、
    価値を明確にすることで抜け出す

  6. 機能しない行動(有効でない行動)→コミットされた行為
    価値に基づかない行動を選択し続けてしまう状態を、
    価値に沿った行動を選択していくことで抜け出す。


独特な用語や考え方が多いので、
はじめは、
「なんだろうこれ?」
という感覚かもしれません。

でも実は、
今回紹介したACTのプログラムは、
日本人に馴染みの深い
仏教から影響を受けているのです。

そう考えてみると、
思考や感情を手放すような姿勢は、
諸行無常という言葉のようです。

実は、まったく新しい
世にも珍しいようなセラピーではないことが
ご理解いただけると思います。

ACTのねらいは、
避けられない痛みは受け容れながら、
 有意義で豊かな人生を切り拓くこと

でした。

そのねらいを達成するために、
「今ここに集中すること」
「大切な価値のために行動すること」
の2つを重要視しています。

もしあなたが、
この記事の中で一つでも
当てはまると思ったもの、
引っかかりを覚えたものがあれば、
ぜひACTに取り組んでみてください。

どこで学べるの?(読書案内)

最後に、
改めて日本語で一般の方向けに
ACTを解説している本をご紹介いたします。

ACTを体験してみたいあなたへ

ACT 不安・ストレスとうまくやる メンタルエクササイズ

イラスト付きでとてもわかりやすいので、
はじめて読む本として最適です。

筆者の武藤先生は、
日本におけるACT研究の第一人者で、
国際学会でも重要な役割を担っている方です。

漠然とした不安や焦りに悩まされているあなたへ

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門

こちらは、読み物としてとてもおすすめ。
ラス・ハリスさんは、
本当にわかりやすくACTを解説できる人です。

ACTの基本をもう少し知りたい人は、
こちらをおすすめします。

以下は、
同じくラス・ハリスさんの著作です。

悩みごとに書かれており、
気になるものを手に取ってもらうと
よいかと思います!

人間関係に悩むあなたへ

相手は変えられない ならば自分が変わればいい: マインドフルネスと心理療法ACTでひらく人間関係

自分を責めてしまいがちなあなたへ

自分自身にやさしくすれば悩みの出口が見えてくる ――マインドフルネスと心理療法ACTで人生のどん底からはい上がる

自信が持てないあなたへ

自信がなくても行動すれば自信はあとからついてくる ――マインドフルネスと心理療法ACTで人生が変わる


「人生迷子」を乗り越えよう


ここまで
お読みいただきありがとうございます。

私、かふぃは現在、
ACTやストア哲学をベースにして、
「人生迷子」を乗り越えるためのプログラム
立ち上げております。

私が実現したいのは、

一人ひとりが、
自分が生きる上で大切にしたい
人生の指針(テツガク)を明確にして、
穏やかで充実した人生を送れるようになる世界

です。

そのためには、
「人生迷子」を一人でも減らし、
テツガクを持って生きる人を増やしていく

必要があると考えています。

noteでは、
そのための情報発信や、
背景となる理論・実践の紹介などを
記事にしております。

よろしければ、
自己紹介とプログラムの紹介をしている
次の記事もご覧ください♪


ご興味をお持ちいただけましたら、
↓公式LINEより、繋がっていただけますと幸いです♪

https://line.me/R/ti/p/@913vsimd?oat_content=url


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かふぃ
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