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自分の物語を、もっと。

海岸沿い。江の島をぼんやりと視界の隅におさめながら、ペダルを漕ぐ。

花冷えの今日は、頬を撫でる潮風がキリッと冷たい。冬と春の狭間のある日。風で運ばれてきた砂に車輪を取られないよう、わたしは必死でハンドルを握った。

今日は波がいいのか、サーフボードを抱えた人がわたしの自転車の前方をたびたび横切り、海へと吸い込まれていく。

今日は少し遠出をして、自転車で15分。江の島にほど近いカフェへ。オープンテラスがあり、店内は2階建の吹き抜けで、広々と心地よい場所だ。

普段文章を書くときは、歩いて20分ほどのところにあるチェーン店のカフェへ行く。そこはカフェラテが一杯600円以上もするものだから、周囲にあるスタバやプロントと比べてお客さんが少ないため、心地よく作業ができるのが気に入っている。

でも今日は気分転換に、ちょっと遠くのカフェで書こうと決めた。

ちなみに今日のカフェもチェーン店。ほどよく放っておいてくれる感じが好き。匿名性の高い場所のほうが、気兼ねなく仕事ができる。

このカフェ、実は4〜5年前から何度か通っている。辻堂に引っ越してきてからは、初めて行くけれど。

以前通っていた頃は「海の近くに住みたい」と憧れながら、家から1時間以上かけてこのカフェに気分転換に来たものだ。

まさかこんなに早く、海の近くに住む夢が実現するとは。今は家からこのカフェまで、自転車で15分だよ。あの頃の自分に言ったら、驚くだろうねえ。

「できっこない」という思い込みは、5年前までにだいぶん削ぎ落としてきた。2018年ぐらいからの自分は「イメージしたことは、だいたいできる気がする」という無根拠な自信に包まれている。

それでも自分の数年間を振り返ると、まだまだ「これができるようになるのはもっと先だろう」とか、自分をちょっと甘く見ている節がある。

「海の近くに住む」なんていうのは、その典型例。「海の近くに住みたい」と思い始めてから、いろんな言い訳をしながら2回も海に近づかない引越しをして、それでもやっぱりどうしても満たされず、今の海街に来たのが2020年末のこと。

本当は海の近くへの引越しなんて簡単で。家を決めて、そこへ移動すればいいだけの話だ。

それなのに、「海の近くに住むこと」に憧れすぎてハードルを自分で爆上げし、「人生のなかで、いつかは」なんて今の自分から遠ざけてしまったのは、他でもない自分だったのだろう。

「人生の舵をとるのは自分」

これは、とても強く実感していること。進路を選んでいるのはいつだって自分で、ハンドルを切っているのも自分。選ぶ自分と、動かす自分。どちらも自分の役割だという自覚は、とても大切。

つまり物語を進めていくのは、他でもない自分だ。

ただ一方で、自分だけでは見られない景色というのもある。なぜなら、選ぶのも自分、動かすのも自分だと、自分が見えている範囲の道にしか進んでいけないから。

その点、見える景色を広げてくれるのは、自分以外の誰かの存在。物語の中で出会う人々が、ぐぐっとわたしの世界を広げてくれたり、ぐいっと別ステージへ引き上げてくれたりする。

自分で舵をとることと、誰かに景色を広げてもらうこと。その2つを程よくブレンドしていく。どちらかに偏りすぎても、つまらない。

せっかくなら、物語をおもしろくしていきたいじゃない。

さて今日は、このあと由比ヶ浜まで行くと決めている。

長谷にある大好きなカフェで、本を読もうか。お寺をお参りするのも良いかもしれない。帰りに江の島の本屋さんにも寄ろうかな。久しぶりに水族館に行くのも良いかも。

いつだって、自分で舵をきれる。それをたびたび、確認する。

「いつも」を選ぶことも、崩すことも、自分の舵とり次第。

「いつも」を崩すと、新しい誰かや何かとの出会いがあったりする。もちろんなかったりもするけれど、それはそれで良いのだ。

自分の選択ひとつで、日々は変えられる。それが大事。

おもしろくしたいんだ。わたしは、わたしの物語を。


おわり
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じぶんジカン松岡
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