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つまらない人生じゃなくなったのは
失敗することに、大きな恐怖を抱いていた。
「失敗したくない」と思うのはきっと人間の性で、それ自体は悪いものじゃない。だけどその気持ちが強すぎて、「失敗しないように」と石橋を叩くことにだけ集中して生きてきた結果、「この道は安心だ」とみんなが言う道しか歩けない、つまらない人生になっていた。
そんなつまらない人生に愕然としていた時に、尊敬する人から「もっと失敗したほうがいいよ」と言われたことは、過去にも何度か書いたけれど。
それほど、失敗しないように生きてきた自分が。
いま「失敗がこわい」なんて、微塵も思わなくなったのだから、びっくりする。
メンタルが劇的に強くなったわけじゃない。昔と変わらず物事がうまくいかなければがっつり落ち込むし、ちいさなことを気にして何も手につかなくなったりは、ちゃーんとする。
では、失敗がこわくなくなった大きな要因はなんなのだろう、と考えてみた。
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最も大きなポイントは、失敗に対する見方が変わったことだと思う。
以前のわたしであれば、失敗は一律で恥ずかしいことであり、すべて自分の存在を傷つけるものだと思ってた。
けれど今、わたしは失敗をすべて同じ重さの「失敗」だとは捉えてない。
失敗は失敗なんだけど、重いものと軽いものがある。
その重さは、取り返しがつくかどうか、というところで測っている。
取り返しがつく軽い失敗はこわくないし、挑戦する。一方で取り返しがつかない重い失敗になりそうなことは、そもそも「自分にはまだ早い」と判断する。
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例えば、お金について考えるとわかりやすいかな。
何かお金がかかることに挑戦したいとする。失敗した場合、失うお金はどれくらいだろうかと想像する。その金額が「失敗したら破産しちゃう」とかそういうものでなければ、その失敗は取り返しがつく、そんなに重くない失敗だと考えている。
ちなみに、わたしは金額がちょっと大きめの失敗を、2020年にしてる。
2020年3月に東京都内に商業用物件を借りたのだけど、それは端的に言えばちょっと苦い経験になった。失敗したなと思う内容はnoteメンバーシップに書いたので割愛するけど、引っ越し費用、家賃、内装費用、退去費用を積み重ねると、まあまあのまとまった額になる。
それでも「とりあえず場所を借りてみよう!」と挑戦できたのは、事前にそのお金を想像した上で「小さい額ではないけど、失敗しても勉強料だと思えるかな」とイメージできたから。
「勉強料」というのはけっこう都合の良い言葉で、わたしは割とよく使う。
その挑戦で学べること、見えるようになる世界、自分の気持ちの高揚感と、必要になるお金を天秤にかけて、失敗しても「勉強料を払った」と思えるのなら、その失敗はこわくなくなるのだ。
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お金の場合は「取り返しがつくかどうか」を想像しやすいけど、例えば事業のなかで何をやるか/やらないかという判断とかは、想像が難しかったりする。
「これやっちゃうとブランドイメージが崩れるかもな」ということが、結構ある。具体的に挙げるのが難しいけど、極端な例で言えば、じぶんジカンは「静けさ」を大事にしているはずなのに、実店舗に行ってみたらHIPHOPを窓ガラスが揺れるほどの爆音で流してるとか(なんだこの例えは…笑 ちなみにわたしはHIPHOP好きです、意外って言われがちだけど)。
ただ、だからって保守的になりすぎて「取り返しがつくかどうかわからないから、やめておこう」という選択ばかりすると、冒頭に書いたように「つまらない人生」が待っているわけで。
そうならない予防策として、わたしは「取り返しがつくかどうかわからないから、試しに小さく挑戦してみよう」と考えるようにしている。
やってみないとわからない時は、失敗しても痛くないぐらいの大きさで「お試し」をやってみる。とりあえず小さくやってみると、イメージがしやすくなる。
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ちなみに「とりあえずやってみる」ができないという声を、よく聞く。わたしもそうだったから、わかる。
でもそういう人は(過去の自分も含め)、たぶん「やってみよう」としていることが、大きすぎるのだと思う。大きな挑戦を「とりあえずやってみる」は、強靭なメンタルを持ってないとできない。当然わたしはできない。
もっと小さくするのだ。
海の近くに住みたいけど「とりあえず住んでみよう」ができないなら、1週間だけ海の近くの民泊かなんかで、旅行と暮らしの間のように過ごしてみるとか。
自分でつくったものを売るお店を持ちたいなら、まずひとつ作ったものをオンラインで出品してみるとか。
そうやって、失敗しても痛くないくらいに。勉強料だと思えるぐらいに。これはお試しだからと納得できる大きさに。
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失敗がこわくて動けない "つまらない人生" を脱いで、軽やかに走り出せる自分に。これは、わたしにとって大きな転換だったと思う。
まあ実際のところ、取り返しがつくことはそもそも「失敗」とも言わないのかもしれないけど。でもわたしはそこまでポジティブではないので、「失敗したなー」とは思うんだけどね。
ただ昔のわたしと違うのは、「失敗したなー」のあとに「でも、やってよかった!いろいろわかったし!」がプラスされたことかな。
おわり
「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。
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