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自分を良く見せようとして

「上手くいくだろうか」「がっかりさせてしまわないだろうか」

そんな心配が、頭をぐるぐると駆け巡る。
てのひらにたっぷりと汗をかき、心臓は暴れ、胃のあたりはしくしく痛い。

昨年6月、じぶんジカン初主催のオンラインワークショップ直前の自分の様子だ。

人前で話すことが、本当に苦手で。
大勢の前はもちろんだけれど、2人以上の前で自分の話しをすることですら苦手なのだから、だいぶ重症だと思う。

話し始めてしまえば緊張は和らいでいくのだけど、今後こうしてイベントを開催するたびに心臓が暴れていては、身体がもたないような気もする。

そもそも、どうしてこんなに緊張してしまうんだろう。
自分は、何をそんなに恐れているんだろう。

冒頭に書いた、自分の気持ちをもう一度見つめてみる。

「上手くいくだろうか」「がっかりさせてしまわないだろうか」

わたしは、このイベントが上手くいってほしいと思っている。そして、参加してくれた方に満足してもらいたいと思ってる。これらは自分で開いたイベントなのだから、当然のことだとは思う。

でも、ひょっとして。

そのために、自分を良く見せようとしていないだろうか。

持っている力以上の結果を望んでないだろうか。

……思い当たる節がありすぎる。
緊張が湧いてくる源は、ココなのかも。つまり「今の自分」よりも、自分を良く見せようとすることだ。

自分を良く見せようと努力したって、結局その「自分」はハリボテにすぎないよなあ。そもそも人にどう思われるかなんて、わたしにはどうしようもないし。相手が満足してくれるかどうかは、自分がコントロールできる範疇にはないことだ。

どんな結果になっても「これが今の自分の持っている力だから」と認める勇気

それが、わたしに足りなかったものだったんだと思う。

そう気づいてからは、人前に立って話した結果満足してもらえなかったとしても、それはもう今の自分の実力だから仕方がないのだと、思うようにした。

大事なところなのだけど「思うようになった」のではなくて「思うようにした」のだ。なかば無理矢理にでも、自分に "認める勇気" を植え付けていった。

もちろん上手くいくように、満足してもらえるように、自分の持てる力のすべてを出すのは当然。でも、それ以上のものは届けられないというのは、認めなきゃいけない。だから、そこから先の「どう受け取るか」は、相手に委ねるしかないのだ。

そんなふうに思うようになってからは、格段に緊張が解けた。主催のワークショップ前でも、ドキドキはするけれど、以前のように胃が痛むことはなくなった。喋り出すまでガチガチに緊張していた頃とは違って、これから起こることを楽しみに思う余裕すら生まれるほど。

今持っている自分の力を知っておくこと。

そして、それ以上に大きく見せようとしないこと。

結果的に相手に満足してもらえなかったり、離れていってしまったりしても、それが自分の実力だと認めること。

たったそれだけで、わたしの心はふわりと軽くなり、気合いが入りすぎていた頃よりもむしろ良い状態で居られるようになった気がする。

そして何よりも。わたしは、今の "肩の力が抜けたわたし" がとても好きだ。


おわり
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じぶんジカン松岡
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