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「ちゃんとしなきゃ」を手放していく

「ちゃんとしなきゃ」と最初に思ったのは、いつのことだっただろう。

一番古い記憶は、小学2年生で東京に転校してきた日のこと。ちゃんと友達をつくらなきゃ。変なやつだと思われないようにしなきゃ。そんなふうに身を固くした、あの日の緊張感。

それから何度も「ちゃんとしなきゃ」と自分を奮い立たせてきた。
好きな子ができて「わたしの前髪変じゃないかな」と思ったときも、入学式の日に「はじめまして」と挨拶するときも。どれも根本にある思いは、相手に良く思われたいとか、幻滅されたくないとか、そういうことだった。

誰かとの関係を、より良くしたいから。
だから、少しだけ「わたし」を取り繕って、ちょっとだけ背伸びをする。そんな感じ。

まだ可愛らしい「ちゃんとしなきゃ」で済んでいた頃は、自分もよそ行きの顔を整えることに "大人になったような気分" で、それはちょっと誇らしいことだったような気もする。

でもその "ちょっとした背伸び" が、どんどん癖になり、自発ではなく義務になり、「ちゃんとしなければならない」という呪いになった。自分以上の「自分」を演じることが当たり前になり、むしろそうすることが正しいと、それが "大人" なのだと、いつのまにか心に深く刻み込んだ。

先日、「ちゃんとしなきゃ」が発動した出来事があった。

大人になると、どうしてこんなに暗黙のマナーや礼儀が多くなるのだろう。結婚式のご祝儀や、お中元、お歳暮、誰かの家に持っていくちょっとした手土産。何が正解なのか、どうすれば常識的なのか、ちゃんとするにはどうしたらいいのか、必死に検索する。「こうすべき」という絶対的な正解のない暗黙ルールのなかで、自分がちゃんとしていると思われるためにはどうすればいいのか。青白く光る画面に指を滑らせて、次から次へと情報を摂取する。でもやっぱり、正解はわからない。最適解の結論が出ない。焦りから、喉元がぎゅっと締め付けられていく。「ちゃんとしなきゃ」「でないと、人からどう思われるか」という不安に飲み込まれそうだった。

スマホの充電が残り10%になったと知らせる通知が画面にふわりと浮かび、はっと我に帰る。「これではいけない」と、深呼吸をする。

冷たい水を喉に流し込み、過熱していた頭を冷やしているうちに、「なんだかこの感覚、久しぶりだな」と気づく。思い返せば最近は「ちゃんとしなきゃ」と思う場面が少なかったな。冷静になった頭が、久しぶりに訪れたこの感覚に新鮮さを抱き始め、なんだか自分が滑稽に思えてくる。画面のなかの、どこの誰ともわからない人が書いている「これがマナー」「こうするのが当たり前」みたいな記事をいくつも読んで、わたしは何をしているのだろう?

ふと、いったん自分の中にある「ちゃんとしなきゃ」を分解してみようか、と思った。

「ちゃんとしなきゃ」で括られていた気持ちを、バラバラにしてみる。ひとつずつ並べてみると、「ちゃんとしなきゃ」の内訳は「ダメなやつだと思われたくない」「常識がないと言われたくない」「後から文句を言われたくない」などであり、つまり大方「いつもの自分への呪い」だった。

「でも、本当にそうかなあ」と、冷静になった自分が、自分を論破しにかかる。

ーー相手の人、もしわたしがちゃんとしてなかったら「ダメなやつだ」と罵るような人かなあ?

相手はそんな人じゃないかもしれないけど、嫌な気持ちにさせたりしたら、申し訳ないじゃん。

ーー申し訳ない? それってどういう感情なわけ?

いやだから、申し訳ないっていうか、今後の関係が……

ーーじゃあそれって、相手に申し訳ないんじゃなくて、自分の保身のためってことじゃない。

まあ、そうかもしれないんだけど……

ーーそもそもさ、ダメなやつだと思われるだけで関係が悪くなるような相手なら、別に関係を続けなくても良くない? そんな人と仲良くしたくないよ。

それはそうだけど、親族とかさ、そういうわけにはいかない場合もあるじゃん……?

ーーわたしの親族には、そんな性格悪い人、いないと思うけど?

ううむ……でもダメな人って思われたら、嫌じゃない?

ーーそれずっと言ってるけどさ、ダメなやつだって思われて、なんの不都合があるわけ?

うーん……恥ずかしい、よね。

ーー恥ずかしい思いを、自分がするだけでしょ。それ以外、別に支障はないじゃない。っていうか、相手がどう思うかなんて、こちらにコントロールできないじゃん。であればさ、自分の想いをじゅうぶんに伝えられれば良くない?マナーとか、礼儀とか、そりゃあ大事かもしれないけど、それよりもっと、大事なことあるよね?

た、たしかに……。

ーってかさ、自分の立場に置き換えてみなよ。もしも相手がわたしに対して「ちゃんとしなきゃ」と思っていて、それによって息苦しさや面倒臭さを感じているとしたら? そんなの悲しすぎない? というかむしろ、わたしは「ちゃんとしなきゃ」が真ん中にあるような関係性なんて、望んでないよね? ちゃんとしなくていいし、ちゃんとしてない方がいいじゃん。そのまま同士の方が楽しいし、お互い心地よいじゃない。

論破、である。見事に。
冷静になった自分の開き直った思考って、すごい。

保身のための「ちゃんとしなきゃ」なんて、必要ないのかもしれない。そうやって考えていったら、なんだか「ちゃんとしなきゃ」がすべての元凶なのかも、という気さえしてきた。

世の中には、たくさんの「こうあるべき」がある。

それに合わせることで「ちゃんとした人」と見られる場合も、たぶんたくさんあるのだと思う。

でも「ちゃんとした人」なんて、思われなくても良いじゃない?

もしも自分が「ちゃんとした人」じゃないからという理由で、縁を切るような人があるのだとしたら、その人はそれだけの人だったということじゃない?

ひょっとすると「ちゃんとしなきゃいけない」のではなくて、「ちゃんとしてない自分を見られるのが怖い」ってだけじゃない?

それで結局、わたしはなるべく「ちゃんとしなきゃ」と思わないようにしようと決めた。ひたすら検索して正解を調べることもやめた。もちろんそういう知識は参考にはするけれど、その上でわたしはどうしたいのかを考えることに、時間を割くほうがよっぽど良い。

これからも「ちゃんとしなきゃ」という思いが顔を出したときは、今回みたいにいったん深呼吸して、自分はどうしたいのか、考えてみよう。「ちゃんとしなきゃ」を、少しずつ手放していこう。

だって、"ちゃんと" 体裁を整えることよりも、心がこもっていることの方が、よっぽど大事なはずなのだから。


おわり
***

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じぶんジカン松岡
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