「やりたいこと」から「自分だからこそできること」へ
「やりたいこと」がたくさんあるとき、その中から「自分だからこそできること」の成分が多いものに、エネルギーを注ぐのが良い。
そんな考えがポンと頭に浮かんできたのは、先日鎌倉山のブックカフェを訪れたときのこと。
ずーっと行ってみたいと思っていたブックカフェ。
駅からだいぶ離れていて、道中に急な坂や階段があることもあって、自分の休みと天気との関係を見ながら、1年ほど機会をうかがっていた。
そして、よく晴れた初夏の日。ついに訪れたのだった。
「好きな感じだろうなあ」と思い描いていた通り、そっくりそのまま好きな感じだった。
静かな空間、本の読みやすいふかふかソファ、木々が揺れるのを眺めるカウンター席、来ている人達の雰囲気、想いを持って選定されている書棚。
鎌倉山は、閑静な高級住宅街。「鎌倉山」というくらいなので、だいぶ高台になっている場所だ。遠くに煌めく由比ヶ浜、そして背後には森、鳥のさえずり。どれもがブックカフェに良い作用をもたらしていた。
この立地で、この素敵な空間で、個人経営の小さなお店であれば、料金がお高かったり、時間制だったりしても当然だと思う。だけどカフェラテは600円と一般的なお値段で、しかも時間の制限も特にないとのことだった。
わたしが行ったのは平日で、それほど混んでいなかったので、たっぷり2時間本を読み続けた。わたしより前に来ていたお客さんは、もっと長く居たと思う。
心ゆくまで本が読めて、新しい本も購入できて、風景や雰囲気に心洗われて、帰り道の足取りはずいぶんと軽やかだった。
*
わたしはいつか「場」を持ちたいなと思っていて、このブックカフェはまさに「そうそうこんな場所がつくりたい!」と思う空間だった。
あのブックカフェは、ひとりでも落ち着ける席配分で、景色もよくて、店内やウッドデッキにもこだわりが詰まっているのも感じた。たぶん大きな戸建て住居の1階をカフェにしている……という感じ。鎌倉という立地もとても良い。何から何まで、こんなカフェができたら最高だ。
ここで、冒頭の文章に戻る。
紛れもなくこのブックカフェは、わたしが「やりたいこと」である。つくりたい理想の場所である。
ただ、例えばわたしがまったく同じ場所で、同じ店を経営できるかというと、答えはNOである。
なぜなら……もうここまで読んでくれた人は察しがつくと思うけど、場所は高級住宅街の鎌倉山。そしてそこに戸建てを持っていて、その1階が店だということ。店内のつくりも凝っていて、めちゃくちゃお金がかかっていることもわかる。それなのにドリンクが安くて、時間制じゃないのだ。これはわたしの推測だけど、たぶんすごく利益を出そうとは、してないんじゃないかと思う。
つまり、財力がないと、これとまったく同じことはできない。そしてわたしには、そんな財力はない。精一杯貯めたとしても、今世では難しいような気がする。
だから「ここみたいな素敵なカフェをつくってみたい」は、やりたいことのひとつではあるけれど、このままだと「自分だからできること」にはならない。こういう立地で、こだわりを詰め込み、なおかつリーズナブルな価格設定の場所をつくるのは、財力がある人に任せるのが吉だ。
では、わたしが「自分だからできること」とは?
わたしだからつくれる「場」とは?
それは、自分の身の丈にあった場所に店を構えること。
本当は鎌倉山みたいに人気で景色の良い場所に店を構えられたら良いけれど、それはきっと今のわたしがやるべきことではない。
そして、「自分のための書く時間」に特化して、できる限り心地よい場所をつくること。
あのブックカフェみたいに、カフェとしても、本屋としても、本を読む場所としても、またのんびりする場所としても利用できるような、欲張りな造りは難しい。特化して、「わたしだからできる」の成分をもっと強くすること。
そうやって、「自分だからこそできる」を見つけ出して、そちらにエネルギーを注ぐのが良いと、わたしは思ってる。
ちなみにここで書いた一連の思考は、「やりたいことを自分の中で批判して潰す」ってことじゃなくて、子どものように無邪気に「やりたーい!」と出てきたアイディアを、大人の自分が「どうやったらわたしにできるかしら?」と一緒に考える、という過程。
わたしはいつも、こうやって自分の中で会議をしてる。
無邪気に発案する自分と、「どうすればできるか」を考える経験を積んだ自分。
その脳内会議の結果、「自分だからこそできること」の成分をどんどん増やして、そこにこれからのエネルギーを注いでいきたいと思う。
おわり
「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。
もっと心地よく自分を生きるための一歩目に、よかったらどうぞ。